2008/12/11

吉武博通 (2005)「プロフェッショナル人材にどうやって育成するか」『カレッジマネジメント 』No.133

本稿の主張は、大学の職員に必要な資質が、(1)コミットメント、(2)広い興味関心、(3)3つの知識の3つであり、知識は(1)教学・経営関係法令、交付金・補助金などの知識、(2)経営(経理・財務・戦略・マーケティング・人事)の知識、(3)国内外の大学のGPの知識の3つを指すというものである。それよりも面白い指摘は、大学人は経験したことない仕事をたらい回しにしてチャレンジしない傾向についてである。
基本的に民間企業であれどこであれ、仕事をする場合にはそれまで経験したことがないものが大多数であり、自分の仕事でない、前例がない、上から指示されていないと言っては新しい価値は何も生まれない。よって、(1)持ち込まれた仕事は基本的に拒否せず引き受ける、(2)自分で手に負えないと判断したら必ず担当してくれる人を見つけ、その人が処理できる道筋をつける、の2点が基本的な仕事のやり方である。
また仕事が持ち込まれたときは、一貫して原理・原則に従って考える。具体的には、(1)学生・社会・教職員の順でステークホルダーの利益になるかを考える、(2)大学が目指す方向と合致しているか考える、(3)費用対効果の適切性を考える、(4)方法の適法性を考えるの4点で、規則や前例は仕事のプロセスでテクニカルな問題として対応する。

2008/12/09

赤堀侃司(2004)『授業の基礎としてのインストラクショナルデザイン』日本視聴覚教育教会

 題目が示す通り、本書はIDに関する文献である。残念ながら、先行する文献と比較して新しい点はほとんどない。理論書ではないが、実践者を支援するものでもない。授業のテキストを念頭において制作されたものとのことであるが、制作のコンセプトが見受けられず、既存の原稿を集約して出版したと思われても仕方ないものとなっている点が、残念である。

 プレゼンスライドの上部に、緒論から結論までの構成を常に提示するノウハウは使える。

 ブルームの認知に応じた質問の仕方がある。
  • 知識:~は何ですか、もう一度説明して下さい。~と~は同じですか、違いますか。
  • 理解:~はどういう意味ですか。~はなぜですか。
  • 適用:~はどういう場合に役立ちますか。~はどこに適用されていますか。
  • 分析:~はなぜか理由を言って下さい。~と~はどのような関係ですか。
  • 総合:~から考えると~になりますがどう思いますか。~についてあなたの考えを述べて下さい。
  • 評価:~についてのあなたの考えは、この点が矛盾すると思います。~については面白いですが、~についてはどう思いますか。

2008/12/06

橘由香(2004)『アメリカの大学教育の現状』三修社

  • モンタナ大学のFDで「教師の資質は生まれつきのもので、努力によるものではない。いかに努力しても根本的な資質を変えるのは不可能ではないか」という問いに対して、ワークショップ担当者は誰でも努力次第で優れた教師になれると答える。その方法として、自分の専門領域だけでなく、ティーチングに関する分野や一般教養を学ぶことで教え方を学ぶ。そんなものだろうか。
  • 学習の促進に教員が精通する必要のある分野は、教科内容の知識、クラスマネジメントの知識、一般的教育学の知識、カリキュラム構成と教材作成の知識、学習者の特性についての知識、教育目的、目標、価値とそれらの哲学的・歴史的背景に関する知識、コミュニケーション技術に関する知識
  • 優れた教師になるための能力は、指導内容と目的の両方を理解する能力、授業をうまく組織・運営し、明確かつ快活に説明し、課題を出して評価し、質問や調査によって学生たちと効果的に交流し、彼らを賞賛・批判する能力、学生に学習結果をフィードバックし、成績評価のためのテストや評価を行う能力、教える教科について常に新しい理解を持って向上させる能力

イクストラクレジットという特別加点の課題を設けるというアイディアはよい

2008/12/04

潮木守一(2006)『大学再生への具体像』東信堂

 本書は、人間潮木の半生を記したとも言える著作であるが、興味を引いたのはむしろ著者のデータから論を立てる鮮やかさである。

 諸外国で高等教育の機会拡大を支えたのは、政府による公的支出であった。戦後社会の「社会的公平の実演」が課題であったためだ。しかし日本の高等教育拡大を資金的に支えたのは、政府ではなく、健気な親たちであった。日本の高等教育が恐れなければならないのは18歳人口の減少ではなく、健気な親の消滅である。

 今、親と子の関係が変化してきている。すなわち、子どもは家の宝ではなく、家のお荷物になり始めている。子どもが老後の親の面倒を見ることに期待を持てない親たちは、自分の資産を子どもの教育に投資するか、老後の生活資金に充てるかの選択問題を迫られるようになった。これを筆者は、親子関係の市場経済化と呼び、背景に介護ケアの市場経済化を指摘する。

 これをマクロにとらえると、国家予算をどれだけ高等教育へ投じ、どれだけ老人福祉に回すかを迫る選択問題でもある。欧州では、親世代が子どもをお荷物としか見ていないことに早くから気づき、高等教育の無償化を導入した。

 生産性の向上は、少数者労働・多数者扶養の時代をもたらし、自由時間は若者に集中的に割り当てられた結果、若年者が労働から分離・隔離されることになった。そこに教育機会の均等化がもたらされると、当人のやる気が曝け出されることになる。教育が無条件によいものという考えを再考する必要がある。

 いずれにしても大学はカリキュラム改革に乗り出すのだが、現職の教員の存在を危うくするカリキュラム改革は、果たして可能か?大学は学外のステークホルダーの意見に耳を傾けるべきといいながら、具体的なカリキュラムは教員でなければ考えられない。そして、その教員が改革の最大の抵抗勢力でもある。

 これは、特定大学の博士課程で要請される大学教員の育成システムを変えなければ解決しない。腰掛けの教員ではなく、大学の発展に生涯をかける教員を自家養成する必要がある。

 学問研究が一つの職業となったのは最近100年少しのこと。大学の使命は若者の教育であったが、研究というスリリングな上に、成果に対して社会的賞賛と報酬をもたらす活動の場となった時、矛盾が生じてしまった。

 大学教員のキャリアは極めて特異で、それまで身につけようと思ったこともない思考様式や能力を突如発揮しなければならなくなり、キャリア形成上連続性を欠いたものである。

 教育困難大学の現状がある以上、一つの解決策は第三者機関による共通教科書・統一試験による単位認定である。100点満点で算出し、どの得点以上を単位認定するかは、各大学が決めればよい。こうすることで、大学における教員、学生の行動インセンティブが大きく変わる。学部教育は18歳人口の半数が通う基礎教育であるから、基礎教育としての共通性が必要という考え方である。これで、社会に対する責任も果たせる。もちろん、それ以上の科目を提供したい大学は、すればよい。

 最後に著者の提言を示すと、
  • 若くて優秀な教員を集めるために、現職者で人材誘致資金を拠出
  • 共通教科書・共通問題を使った第三者による資格認定
  • 教員は資格認定のコーチ役
  • 学生は大学の授業を資格認定のための準備とする
  • 大学評価より資格認定の整備を
  • 教員は教える自由という幻想を捨てる
  • 教員は大学を移動せよ
  • 学生は、わかりやすい授業というものは存在しないことを知るべき
  • 大衆化大学は教員の自前要請を
  • 院生は生涯狭い専門で食える時代ではないことを知る
  • 研究発表にITを活用せよ
  • 研究費は授業料ではなく外から獲得すべき
  • 職員は職務にプライドを持て
  • 大学は学問の継承か職業教育かという問題のたて方自体が無意味
共通教科書の考え方は重要であるが、その評価法法をペーパー試験だけで行うなら、高校までの学習と大学での学習が同じで、受け身なものにならないだろうか。ペーパー試験以外の評価を行うなら、配点はどうするか、採点のコストはどうするか。

2008/12/02

吉田一郎・大西弘高(2004)『実践PBLテュートリアルガイド』南山堂

 本書は、医学部におけるPBL教育の実践事例を紹介したものである。しかし、成人教育論を簡潔にまとめたものとしても大変優れた面を持っている。

以下の5点が、なぜPBLかの理由。(1)関連づけによる定着率(学習効率)の向上、(2)少人数グループ学習による対人関係教育、(3)将来働く現場に直結、(4)能動学習による生涯学習力の獲得、(5)成人学習論に合致。

Knouwlesの成人教育の5つの前提は、(1)自己概念:人間は成熟するにつれてその自己概念が依存的人格の自己概念から自己主導性を持った自己概念へと変わっていく、(2)過去の経験:成人は経験を蓄積させていくが、その経験が学習の豊かなりそーすになる、(3)学習へのレディネス:成人の学習へのレディネスはその成人の社会的役割をめぐる発達課題に密接に関わるものである、(4)学習の導入:人々が成熟するにつれて時間的概念に変化が現れる。将来的に知識を適用しようとする考え方から差し迫った場面に適用しようとする考え方への変化であり、成人は学習において教科中心的よりも問題解決中心的である、(5)成人は外的要因よりも内的要因によって学習への動機付けを得る。

社会的学習理論では、行動が個人要因(既得の知識・態度)、環境要因(他者のアドバイス、学習促進・阻害因子)、行動要因(学習活動)の3つの相互作用で決まる。社会的学習のプロセスは、注視(attention)、概念記憶(retention)、運動再生過程(motor reproduction process)、動機づけ過程(motivational process)。

自我は心的・内的エネルギー、自分は社会の中での位置づけ、自己は自らの心理的スクリーンに自分とはこういうものだと思い描かれているもの。

SDLは自己学習、自己主導型学習、自己決定学習と言われるが、医学教育では自己主導型学習というべき。

SDLの3つの立場は、(1)成人学習者が学習プロセスの中でSelf-diredtedになる能力を伸ばすことが学習の最終目標にある(Knowles)、(2)SDLの中核に認識変容学習をおくことを最終的に目指すべき(Mezirow)、(3)SDLに統合された解放のための学習と社会行動の促進を学習の最終目標とする(Freire)。2と3が自己決定学習(学習の社会的文脈を重視)、1が自己主導型学習。

PBLやSDLはポートフォリオ評価(=自己評価)がなじみやすい。

2008/11/27

堀義人(2002)『吾人の任務』東洋経済新報社



行動計画はオプションを挙げて意志決定し、詳細な計画を立案する。それらはチームで役割分担する。
常に自らの意志決定が間違っている可能性と、考え通りに進まないリスクに対して、コンティンジェンシープランを用意する保守的な心構え。

起業家と一般人の違いは、可能性をとことんまで信じているかどうか。
日本では、リスクや問題点を挙げて、できない理由を簡単に列挙してしまう。

ワークシートスタディ。HBSのケースメソッドは、経営環境を分析しなさい、行動計画を立案しなさいの2つの質問のみしかされない。これをひたすら考えて、クラスでの意見交換の過程で学ぶ。
これを通信化する際には、質問を細分化し、20~30以上の質問をワークシートに列挙して、その質問を解くことによって分析や行動計画が立案できるようにした。

創業とはゼロベースから人間関係をつくりあげるプロセスと、堀は定義する。
事業では、全てのステークホルダーの満足が一番重要である。
顧客の満足、スタッフの満足、株主と銀行の満足、社会全般とのきちんとしたコミュニケーションをする必要がある。
成長段階で満足要因を最大限に高めて、不満足要因をつくらないことが事業拡大のポイントである。

クリエイティビティとは、顧客のニーズと、自分たちの理想としている姿のみから生まれる。
同業他社に焦るのではなく、自分がやりたいことができないことに焦る。
他社のまねをしてもユニークなポジションは築けない。
意志すべきは、上の2点である。顧客のニーズを見極めて常に理想のサービスを提供すべく努力し続ける必要がある。

事業にはスピードが必要である。
ブレストしてみてある程度方向性が固まれば、それ以上の完成度を求めずにまず始めて見る。問題があれば、フレキシブルに変更する。

能力が高い会社は必ず勝つ。HBSで学べることの一つ。

タイムマネジメントとは、自らと家族の健康管理を含めて、アウトプットの最大化をはかること。

思考、行動、思考、行動のサイクルによる知恵と行動の拡大再生産が重要。Thoughtful Action

経営者が持つべき能力は、外的要因の中で経営資源を分析し、目標達成に必要な戦略をつくる考える力、それをコミュニケートしてスタッフを鼓舞する人間関係力、考えの定石であるビジネスフレームワーク。
まとめて、ヒューマンスキル、コンセプチュアルスキル、ビジネスフレームワーク

2008/11/20

Madden, G. and Savage, S. (1997) "Measureing Public Sector Efficiency: A Study of Economics Departments at Australian Universities," Education Economics, vol.5, no.2, pp.153-68.

 本稿は、豪州の国立大学経済学部系の活動効率性計測を試みた実証研究である。24大学を対象に87年と91年の比較を行う。教育成果は学部・院の卒業者数ではかり、研究成果は5段階に格付けした論文数ではかる。
 データに関する注意点として、一時点のデータを用いることには特に論文数のカウントでバイアスが出やすいこと、共著は1/nとしてカウントすること、5段階目の論文は後に別のジャーナルに出ることが多いことからデータから省くことが指摘されている。24大学のうち7大学は新規参入大学であり、分析上区別する。
 本稿のおもしろい点は、政府の教育政策の転換を評価する点である。政策導入の前後の時点のデータを取り、効率性を測定して比較することで、政策の意義を検討しようと言うものである。これは国立大学法人化のケースで試みてもおもしろいと思われる。分析結果では、新規参入大学の活動効率性が極めて高かったことを示している。

2008/11/18

Beasley, J. (1995) "Determining Teaching and Research Efficiencies," Journal of Operational Research Society, vol.46, pp.441-452.

本稿は、英国の化学系・物理系の学部55大学について、研究活動と教育活動の効率性を計測し評価した実証研究である。
産出指標は、学部学生数、修士学生数、博士学生数、研究費、S評価ダミー、A+評価ダミー、A評価ダミー、A-評価ダミーの8つ。投入指標は一般経費、施設設備費、研究費の3つ。研究費はだぶっている。このようなデータでよいものかどうかが疑問であるが、判断基準がないためわからない。これらから各学部の効率性ekを計測する。

ek = [Σ(i=1~8)uiyik]/[Σ(j=1~3)vjxjk], k = 1, ... , 55

where 0 ≦ ek ≦ 1,
max ep,
s.t. ui ≧ ε, for i = 1, ... ,8,
vj ≧ ε, j = 1, 2, 3

本稿の分析のポイントは現実的に不可分な教育と研究の割合をqというパラメータで分離する点である。詳細な計算は省略するものの2n+14の変数を2n+16の制約条件を用いて推定することになる。
本稿には、実際に使用したデータが掲載されており、検算をするにはちょうどよい。また、非線形最適化問題を計算するソフトウェアGINOというものが紹介されている。どうせクソWindowsのソフトだと思うが、DEAで非線形モデルの収束計算にどのようなアルゴリズムを用いているのかわからなかったので、調べてみる価値はある。

2008/11/17

Johnes, J. and Johnes, J. (1995) "Research Funding and Performance in U.K. University Departments of Economics: A Frontier Analysis," Economics of Education Review, vo.14, no.3, pp.301-314.

本稿は、英国の大学における経済学系学部の研究活動を、DEAによって評価する実証研究である。本稿では、分析の経済学的な解釈を丁寧に行っており、分析そのもの以上に注目に値する。
大学のような組織体が産出するサービスには市場で直接価格がつけられるものではない。従って、ある産出物が大学の価値をどれだけ高めたかを明示的に評価することは困難である。しかしながら、DEAでは直接価格を扱うことなく分析を行うことができる。ここがDEAのメリットであると述べられているが、同時に相対的な評価しかできないという点での短所もあるだろう。
DEAの注意点としては、第一に変数の選択がある。どんなに非効率な機関も他が全く産出していないものを産出したり、ある投入を全く使わなかったりすると効率的と評価されるため、投入と産出を明確に定義しておかないとロバストな結果が得られない。第二に、ある投入がある産出にどのようなインパクトを持っているかを評価することができない点である。これはDEAの計算方法から言っても当然なことであり、市場の存在しない組織内の分析における工夫でもあり、限界でもある。
DEAでは分析上、フロンティアが凹で、フロンティア上の機関は観測値からきめる。また、規模に関する収穫一定を仮定する。
英国には氏名、年齢、在職期間、職位、著書数、論文数などを取れるデータベースがある。36大学を対象にして分析を行い、大学を評価する指標としての提案を行っている。

2008/11/14

Astin, A. (1991) "A Conceptual Model for Assessment," in Assessment for Excellence, ch.2, pp.16-37.

初期値の違いを考慮せずに結果の評価のみに注目することは偏りが出てしまう。そのため評価には、初期値、教育的関与、成果の3点を常に把握する必要がある。すなわち、初期値をコントロールした上で学習環境の違いが学習成果に与えた効果を見なければならない。

そのための分析手法にはいくつかタイプがあり、次のようである。
  • 実験グループと対照グループを作って比較をする方法。しかし実験台にされたという事実が参加者へ与える影響が無視できない。
  • 既存のグループと実験グループを作って比較する方法。
  • 学習成果のみを評価する方法(統一テストなど)
  • 学習環境と学習成果を評価する方法(学部別の退学率をとる、学校別の成績をとる)
  • 初期値と学習成果を評価する方法(追跡調査のような形)
  • 学習環境のみを評価する方法(授業評価アンケートなど、教授法・教室・教材の評価)
思った以上に当たり前のことが書かれているが、導入としては重要なところなのだろう。

2008/11/12

Iacovou, M. (2002) "Class Size in the Early Years: Is Smaller Really Better?," Education Economics, vol.10, no.3, pp.261-290.

 本稿は初等教育の少人数クラスが、学習成果を高めるのか否かを検証する実証研究である。少人数クラスの場合、そもそも他の教育環境も変わっているので、少人数であることが学習成果向上の原因になるとは直接言えない。少人数クラスでは教授法が異なる、少人数クラスへ入れる学生は家庭の階層が異なるなどの内生的・外生的要因が関与するからである。そこで、操作変数法で純粋な少人数クラスの効果を計ろうという趣旨の分析である。

 具体的には、学校規模と学校タイプの交差項を操作変数に使う。生産関数は次式の通り。

 Ti = αXi + γSi + ui

ここで、Tはテストスコア、Xは学生の属性、家庭環境を含む説明変数ベクトル、Sが学生のクラスサイズを表す。E(Xi, ui) = 0であるが、E(Si, ui) ≠ 0の可能性がある。そこで2つの変数の操作変数ベクトルZを作る。しかし、このZの定義が何度読んでもわからない。学生数とInfant schoolダミーの交差項なのだが、ダミーとの積を取るとゼロになるのでは?という点がわからない。

 それはともかく、むしろ少人数によって可能になる教育方法の方が実践上重要ではないかと思う。仮に少人数にしさえすれば学習成果は上がるという結果が出て、それを採用するという政策に至るだろうか。少人数化は教授法の選択肢を広げる環境の一つで、効果の検証は教授法を対象にすべきかと思う。

2008/11/09

Jourmady, O. and C. Ris (2005) "Performance in European Higher Education: a Non-parametric Production Frontier Approach," Education Economics, vol.13, no.2, pp.189-205.

 本稿は欧州の高等教育機関の生産効率生を非線形の生産フロンティアで評価する実証研究である。だが、この論文は本論よりもAppendixに掲載されたDEAの方法論の解説が興味深い。
 DEAは投入物の加重総和に対する生産物の加重総和を最大にする問題を扱う分析で、ウェイトが最適化すべき変数となる。各機関の相対効率性値の推定方法は、同じ投入量で最も産出の高い機関を特定し、他の機関はそれとの差を取ることで相対的非効率性を計算するという2段階が基本。フロンティア上の機関の効率性を1とする。
 n個の機関がm個の投入でsの産出を行うとする。ある機関jが投入iをxijの量投入して、産出rをyrjの量産出する。産出rにかかるウェイトをur、投入iにかかるウェイトをviとすると、ある機関の生産性は次式で表される。

 h0(u, v) = {Σ(r=1~s)yr0ur}/{Σ(i=1~m)xi0vi}

このウェイトを内生的に決める。ある機関は他の機関に対して1を超えない範囲で生産性を最大化するようウェイトを決める。すると最大化問題は、

 max(u,v) h0(u, v) = {Σ(r=1~s)yr0ur}/{Σ(i=1~m)xi0vi}

 {Σ(r=1~s)yrjur}/{Σ(i=1~m)xijvi} ≦ 1 for j = 1,2,...,n (each DMU sample)
 ur≧0 r = 1,2,...,s
 vi≧0 i = 1,2,...,m

 観測された投入量を用いて産出を最大化するOutput-orientedモデルでは、分母を一定にして分子を最大化する線形問題へ上記問題を変形する。

 min(μ,v) h0 = Σ(i=1~m) xi0vi

 Σ(r=1~s) yr0μr = 1 (ウェイトの合計が1になる制約条件)
 Σ(r=1~s) yrjμr + Σ(i=1~m)xijvi ≧ 0, j = 1,2,...,n
 μr ≧ 0 r = 1,2,...,s
 vi ≧ 0 i = 1,2,...,m

 規模に関する収穫を可変にするには、凸制約(Σ(j=1~n)λj)を追加する。

 max(θ,λ,s+,s-) θ + ε[Σ(r=1~s)sr+ + Σ(i=1~m) si-]

 θyr0 - Σ(j=1~n)yrjλj + sr+ = 0
 Σ(i=1~m)xijλj + si- = xi0
 such that Σ(j=1~n)λj = 1, sr+ ≧ 0, si- ≧ 0

 このモデルでは、θ=1かつsr+とsi-がゼロのとき最も効率的になる。

2008/11/06

Flegg, A., Allen, D., Field, K. and T. Thurlow (2004), "Measureing the Efficiency of British Universities: a Multi-period Data Envelopment Analysis," Education Economics, vol.12, no.3, pp.231-249.

 本稿は、イギリスの大学45校を対象に相対的な効率性を計測した実証研究である。通常DEAでは、その年の効率性フロンティアの変化や、経年でのシフトを捉えられないので、Malmquist Indexも計算する。ある年の各大学の技術効率性は、大学iの算出rの産出量がQr、投入sの投入量がXsとして、次のように表す。

 TEi={ΣUriQri}÷{ΣVsiXsi}

ただし各大学は{ΣUriQri}÷{ΣVsiXsi}≦1、u, v≧0、の制約の下で最大化を行う。

 さて、実際の分析に用いるデータであるが、研究・社会活動からの収入、質調整済み学士学位授与数、修士・博士学位授与数を算出に、教職員数、学部学生数、大学院学生数、大学の歳出を投入に使う。これによれば、80~87年の間はTEはほぼ一定だったが、その後93年にかけてTEが上昇する。マンモス大学と小規模大学では学生数が異なるので、学生数でウェイト付けした計算結果でもほとんどかわらない。


 ところで、Malmquist Indexとは、もともと地域Aと地域Bの生産性を比較する際に、それぞれの生産関数Qaa=fa(Ka, La)とQbb=fb(Kb, Lb)を考え、生産要素を入れ替えたQab=fa(Kb, Lb)とQba=fb(Ka, La)を用いて計算する。Bに対するAのMalmquist Indexは、Qaa/QabとQba/Qbbの幾何平均(算術平均ではない)である。これが1を超えればAの方が生産性が高い。

2008/11/05

Coates, D. (2003) "Education Production Function using Instructional Time as an Imput," Education Economics, vol.11, no.3, pp.273-292.

 本稿は、イリノイ州の公立小学校の教育生産関数の推定を主なテーマにする論文である。教育費の投入は増え続けているのに成果としてのテストスコアが伸びていないというのが、モチベーションである。推定式は

 Sjtk=α+γ×Xjtd+μ×Xjts+β×MPDjt+εjtk

t年における学校jの科目kについて、Sはテストの平均得点、Xdは地域特性変数、Xsは学校特性変数で、MPDが指導時間を含むベクトルになる。95、96、97年度の3年について800地区2500校から6806のサンプルを得ている。変数には学生数とその白人割合・留学生割合・低所得家庭出身割合、出席率、転入出率、白人教員の割合、学位取得教員の割合、教員の教育年数、国語、数学、理科、社会の一週間の平均指導時間、年次ダミー、読み・書き・計算のテストスコアを使う。

 結果的に時間の効果は小さいようだが、日本の小学校では指導時間は学習指導要領等学校側で可変な部分が少なく、同様の影響ではないだろうか。

2008/11/03

Worthington, A. (2001) "An Empirical Survey of Frontier Efficiency Measurement Techniques in Education," Education Economics, vol.9, no.3, pp.245-268.

 本稿は、教育機関の効率性フロンティア計測に関するこれまでの研究動向をまとめて、今後の研究課題を展望するサーベイ論文である。そもそも効率性には技術効率性と配分効率性の二つがあり、両者の結合で生産効率生が決まるとミクロ経済学的には解釈される。等量曲線上の議論のためには効率的な期間が既知である必要があるが、実際にはこの効率的な等量曲線をデータから推定することになる。その推定では、初中等教育、高等教育を含め、これまでに多くの分析が行われてきたが、分析方法は大きくわけてDFA、SFA、DEAの3つに分けられる。中でもDEAは変数選択の適切性を誤ると結果の信頼性が落ちるとい制約があるものの、多くの分析が行われてきた。DEAではスラック変数の解釈が一つのポイントになる。

 実際の分析では、投入に教職員数、運営費や管理費、蔵書数やコンピュータ数などを入れ、産出に卒業者数、一定水準に達した学生の割合、初任給などを使っているようである。このペーパーだけでは具体的な分析内容まではわからないので、他の文献に当たることになる。高等教育機関を対象とした分析として、Diamond and Medewitz (1990), Johnes and Johnes (1993), Beasley (1995), Johnes and Johnes (1995), Athanassopoulos and Shale (1997), Madden et al (1997)と基本的な手法に関して示したBessent et al (1982)が重要。

2008/10/24

潮木守一(2004)『世界の大学危機』中公新書

 著者によれば本書は大学アドにミストレーション課程向けのテキストとして書かれたものである。内容は、イギリス、ドイツ、フランス、アメリカの大学とその改革の歴史を大きく概観できるものである。これを読んでいかに自分が他の国の大学のことを知らないかを思い知らされた。各国には固有の文脈と制度があり、多くの人が引用するアメリカモデルは一つの事例に過ぎないことがよくわかる。日本の高等教育論者はとかくアメリカ信奉者が多く、アメリカの事例を引き合いに日本の大学改革を論じる傾向があるが、まず本書を読んだ上でお願いしたいものである。これを読むと日本は日本なりの文脈と制度に沿って大学改革を論じる重要性がわかる。
 いくつか引っかかったところを記録。
  • イギリスでは納税者の目から見れば大学は同質ではない。運営費の資金配分は教育研究上の成果に基づいて傾斜配分を行う。評価は教員に委嘱して行う。
  • ベルリン自由大学は発足当初から学生代表二名が加わり、学ぶものと教えるものの共同体という理想を持っていた。
  • どの国も大学が抱える卓越性と高等教育の普及という二つの対立する要件をどう調整するかを模索している。
  • グランゼコール生は国家公務員で給与がでる。
  • ドイツのゼミナール研究室をモデルにジョンズホプキンスはアメリカに大学院を作った。
  • アメリカの大学院は研究の専門化と細分化により研究のための研究、研究中心主義、専門研究こそが優れた教師を養成する発想へ進んだ。
  • アメリカでは本当の大学院を認定する作業を民間の自主的専門家集団に求めた
  • 研究大学という名称はカーネギー分類で使っている名称
  • 大学改革、カリキュラム改革の必要性は、セカンドチョイスとしての大学生の期待にどう応えるかという必要性から生じるものであり、職業教育とリンクしたカリキュラムなどの改革課題が出る。
  • よって大学は一種類という思い込みは通用しない。大学が引き受けなければならないのは多様な学生層と多様な社会的ニーズであり、大学という名の下に画一化せず、研究特化大学、職業教育特化大学があるべき。そもそも大学とは何かという問題を具体的文脈を抜きに議論することは生産的ではない。

2008/10/21

高橋正視(2002)『項目反応理論入門』イデア出版局

 項目反応理論では、能力θ∈(-∞, +∞)が平均ゼロの正規分布をするという事前予想のもとで、θを測定する。正規分布の下では、-1<θ<1が68%になり、θ=1が偏差値60、θ=-1が偏差値40にあたる。そして、問題ごとにθ=xの人が正解する確率pを表す項目特性曲線を考える。この項目特性曲線にどのような曲線を当てはめるかは経験的に決まるようであるが、通常はロジスティック曲線を当てはめる。

 1パラメータロジスティックモデルでは、項目難易度bを考え、曲線の変曲点(θ=0, p=0.5)の横軸の値(すなわちθの値)になり、b=0となる。項目難易度のプラスシフトは、その問題の難易度を上げ、グラフを右シフトさせる。2パラメータロジスティックモデルでは、さらに項目識別力aを考え、変曲点の微分係数になる。aの値がゼロに近づくと直線に近づき、その問題の正解・不正解情報が全体に与える影響が小さくなる。よって、0.3<aが望ましい。2パラメータモデルでは、曲線の曲がり具合も考慮したモデルとなる。3パラメータモデルは、能力の低い人のまぐれ当たりを考慮したモデル、4パラメータモデルは能力の高い人のうっかりミスを考慮したモデルとなる。

 さて、ここからがミソなのだが、能力の推定方法である。全3問(s, t, u)のテストがあり、受験者が3人(k, l, m)いる。各問題の正誤ベクトルがそれぞれ、s=(1, 1, 0)、t=(1, 0, 1)、u=(0, 1, 0)とする。2パラメータモデルにおける各問題のパラメータ(a, b)がそれぞれ、s=(0.5, -1)、t=(0.6, 0)、u=(0.7, 1)であるとする。各問題に正解する確率は独立とする。項目特性曲線から各問題の正解率を出し、受験者の回答パターンを当てはめると、(k, l, m)の能力はそれぞれθ=(1, 1, -1)となる。より詳しい能力を知りたい場合は、θを0.1刻みなど細かくしていく。

 これをみてわかるように、この計算では事前に各問題の項目難易度と項目識別力がわかっている必要がある。では、これをどのように求めるかというと、θがわかっている受験者の解答の正誤の結果を用いて対数尤度関数を作り、最尤法で推定する。しかしこれでは、いったいどっちが先に決まるのかわからない。aとbの決め方に関しては、他の方法もあるようなので、他の文献をあたる必要がありそうだ。

 いくつかの基礎知識。
  • 標準偏差が大きいほどできる人とできない人の差がついたテスト。
  • 正解率=その問題の正解者の人数÷受験者の総数、この二項分布は平均値が0.5のときに最大になり、有効な問題。
  • 弁別指数=上位グループの正解率ー下位グループの正解率、グループは上下27%で作り、よい問題は通常0.4以上の値になる。
  • 点双列相関係数=(その問題の正解者のテスト総得点の平均値ーその問題の不正解者のテスト総得点の平均値)÷テスト総得点の標準偏差×その問題の標準偏差、弁別指数が中位グループのデータを使わないことへの改善策、0.3以上が望ましい。

2008/10/18

Duch, B. and S. Groh (2001) "Assessment Strategies in a Problem-based Learning Course," in Duch, B., Groh, S. and D. Allen (eds) The Power of Problem-Based Learning, Ch.9, pp.95-106.

 PBLでは、学生の能動的な学習を尊重するために学習目標を狭く限定すべきでないという意見もあるが、過渡期において学士課程における少数のPBL実践者として取り組む場合、目標設定とそれにともなう評価基準・方法は重要な問題である。すると次のような問題に直面することになる。
  • 問題を解決できると学生はどのような成果を見せるのか?それは個人によるものか、グループによるものか?また優良の区別ができるものか?
  • 個人の成果が評価できることを担保した上で、どのようにグループ学習を促進するのか?
  • 問題発見型のシナリオを試験でどのように使えばよいのか?
  • グループ活動やコミュニケーション能力を評価すべきか?そうであればどのように評価するのか?
評価にあたって重要なのは授業の目標である。重要な目標は全てシラバスで示し、詳細な内容に触れて書くよりも大きな概念レベルで書くべきである。目標は、次のように考える。
  1. コース終了時に学生がどのような知識を獲得し、価値観を形成し、行動できるようになっているか
  2. それらの達成を示すために学生はどのような根拠を示せばよいのか
  3. の2点をまず考える。以下では前者について少し細かく見る。

 知識の獲得に関しては、目標を3点にまとめ、1点目は知識の認知領域で、残りをより高いレベルの認知領域で示す。行動の獲得は、(1)問題解決に必要な情報を収集分析する(2)口頭・文書で概念をやりとりする(3)グループで協力して作る、の3つの行動力の獲得である。価値観の形成も、できる限りシラバスの目標に明記し、評価対象にするべきである。

 次に、目標をどのように評価するかを決めるのだが。要するに論理的思考力をもとにエッセイを書く試験を行うということである。肝心なところが書いてないじゃないか。少なくとも異なる認知レベルにそれぞれグレード付けを行うような評価を行うようだ。しかし、それでは行動力や価値観を評価できないではないか。

 本稿のポイントは抽象的論理的思考力を評価する方法にあるのだが、ズバリとは書いてなく、実践者をサポートする内容ではない。改めて評価の難しさを示唆している。非常に期待して読んだのに、その反動でショックが大きい。

2008/10/16

White, H. (2001) "Getting Started in Problem-based Learning," in Duch, B., Groh, S. and D. Allen (eds) The Power of Problem-Based Learning, Ch.7, pp.69-78.

 実際にPBLに取り組むには、どのようにすればよいのか。ここでは、教員が実際に取り組むプロセスについて検討する。
 まず授業開始前には、次のような活動を行う。(1)メンタリング:PBLを実践している教員の授業を見る、教員と食事・お茶をする(2)既存のコースをPBLへ変換する(3)目標設定:学習成果をリストアップする。PBLでは口頭・文書によるコミュニケーション、学習資源の収集なども明示的な目標として掲げることができる。(4)問題設定:多くの学問分野にはPBLに適した問題は載っていないので、自分で開発しなければならない。また、シラバスは、初回の授業でPBLを学生に伝える重要な手段である。特に学生の行動を左右する成績評価は、個人単位で行うか、グループ単位で行うか、どのような成果が優にあたるのかをシラバスに示さなければならない。
<  どんなに準備を完璧にしたとしても、授業開始前は不安が必ずでる。初回の授業では、教員と学生および学生同士のコミュニケーションがいかに重要かを理解できるようなゲームを取り入れるとよい。
 本文で指摘される、out-of-class examinationというのがどういうものを指すのか、まだわからない。

2008/10/13

Allen D., Duch, B. and S. Groh (2001) "Strategies for Using Groups," in Duch, B., Groh, S. and D. Allen (eds) The Power of Problem-Based Learning, Ch.6, pp.59-68.

グループ学習では、独断的な者、非協力的な者、学習の遅い者、学習をさぼる者などにより、放任していてはうまくいかない。よって、グループ学習を促進するための取り組みには、時間を惜しまない方がよい。ここでは、学習者中心の学習を進める上での留意点をまとめる。

初回の授業で、グループ学習の良さを説明し、過去のグループ学習経験を調査する。また、次のような活動を行う。
  • グループ内で、実家・進路希望・得意科目などの自己紹介をする
  • 個人の成績よりもグループの成績が重要であることを確認する
  • 学習スタイル調査を行い、グループメンバーで確認し合う(see Kolb Learning Style Inventory, 1985)
  • Stand and Deliverゲームをする。
  • グループを作る。グループは異質なものを組み合わせるように作る。
次に、グループ活動中の教員の役割である。授業中は、グループ作業を明確に示し、10~15分おきにキーポイントを確認し、質問を受けるために教室内を巡回するのが基本である。できれば、過去の受講生をTAに招くとよい。それ以外にも、(1)時間通りに教室に来る(2)予習・課題をやってくる(3)授業に来れない時はメンバに事前に連絡する(4)メンバーの考え方や取り組みに敬意を払う、を基本的なルールとして示す。

ちなみに、Stand and Deliverは、以下のように行う。
  1. 授業日に誕生日が近い人を4、5人選び、講師役に任命する。
  2. 講師を教室の外に集め、幾何学模様を見せ、グループメンバーに口頭で伝えるよう指示する。(図は、三角・四角・円を大きさ・位置・重なりが異なる形で配置されたものを見せる)
  3. 講師は2分でメンバーに伝える。講師は身振りを使えず、メンバーは講師に質問をすることができず、ノートを取ることはできても図を書いてはいけない、というルールを設ける。
  4. 講師だけを集め、感想を述べながら待つ。
  5. メンバーは誰とも話をせず、2分で一人で図を書く。
  6. その後メンバーで書いたものをについて話し合う。5分で修正を加え、最終案を決める。
  7. メンバーの成果を講師はどれだけ再現できたか評価する。
  8. この体験について話し合う。各メンバーは同じものを描いたか?、議論で最終案はよりよくなったか?、講師は結果に満足できるか?
これを通じて教員中心から学生中心の学習へ、ということを自覚してもらおうという意図だが、これは授業改善を無視した議論であって、これを理由にPBLがよいなどと言うべきではない。

2008/10/11

Duch, B. (2001) "Wrinting Problems for Deeper Understanding," in Duch, B., Groh, S. and D. Allen (eds) The Power of Problem-Based Learning, Ch.5, pp.47-58.

 PBLでは問題・教材を適切に選ぶことが、重要なポイントとなる。ここでは、適切な問題の特徴についてみてみる。
  1. 学生の興味と動機付けを高める問題でなければならない。そのためには、できる限り現実的・職業的問題であることが望ましく、学生が身近に感じるほどよい問題である。
  2. 問題は、どのような前提条件が必要か、何が必要な情報か、問題の解決にはどのような手順が必要かを、学生に考えさせるものでなければならない。通常、問題は段階的に示すことができるように設計する。
  3. 問題は、全ての学生が活動に参加できる程度に複雑なものでなければならない。また、問題を分割して個人が担当し、それを合わせてまとめるようなものであってもならない。
  4. 初回に示す問題は、オープンエンドで、全ての学生の間で論争になるようなものでなければならない。特に、問題が個人で取り組むものではなく、グループで取り組むものだという気にさせることが重要である。初回の議論では、既知の知識を確認できるようなものにすべきである。
以上の特徴を満たす問題の書き方について次に示す。
  1. 作業を通じて獲得する学習目標をリストアップする。ここでは、通常のテキストの練習問題を参照してもよい。
  2. 学習目標を実社会の場面でとらえる方法を考える。雑誌・新聞・評論からストーリーを取る。
  3. 学生が学習すべき内容を自ら設定できるよう、導入付け・段階化を行う。
  4. 講義、グループ討論などの授業実施計画を立てる。
  5. 学生の学習資源をリストアップする。(提示のためではなく。)
これらの例としては、慣性の法則の指導→交通事故の文脈で説明→ストーリーの中で検討すべき点を問いかけ、というところ。

 本文でブルームの教育目標の細分化について触れられていたので、ここで振り返っておく。

 認知領域:
  • 知識(学んだ時と似た状況で情報・考え・原理を再生・再認できる=書く・項目をあげる・名前を言う・名付ける・述べる・示す)
  • 理解(既習事項に基づいて情報を換言・解説・解釈できる=説明・要約・言い換え・記述)
  • 応用(問題や課題を解くためにあまり指示されなくても原理やデータを選択・変換して利用できる=利用・計算・解決・演示・適用・構成)
  • 分析(見分け、分類し、仮定・仮説・根拠あるいは文や問いの構造を述べられる=分析・分類・比較・対比・切り分け)
  • 総合(考えを生み出し、統合し、組み合わせて新しい作品・計画・提案を創る=創造・デザイン・仮説立て・発明・開発)
  • 評価(規準や基準に基づいて評価・査定・批評ができる=判断・推奨・批評・証明)の6つ。
3領域のでの段階:
  • 認知領域=知識→理解→応用→分析→総合→評価
  • 情意領域=受容→反応→価値付け→価値の組織化→価値の行動化
  • 精神運動領域=知覚→準備→導かれた反応→メカニズム→複雑な顕在的反応→適用→創造

2008/10/09

Duch, B. (2001) "Models for Problem Based Instruction in Undergraduate Courses," in Duch, B., Groh, S. and D. Allen (eds) The Power of Problem-Based Learning, Ch.4, pp.39-45.

 本稿は、臨床医学教育以外のクラスで活用できるPBLモデルを示すことが目的である。PBLは問題設定という点からも、学生の資質や動機付けの点からも他の領域への直ちに応用できるものではないからである。以下、順にモデルを示していく。

 (1)医学教育モデル:これは症例を通じて基本的な概念を学ぶ方法で、8~10のグループにチュータ(教員・院生・医師)がついて議論をする。

 (2)教員巡回型:大人数でグループにチュータを割り当てられない場合は、4、5人のグループで自律的に学習を進めながら各グループを教員が巡回し、理解度の確認と質疑応答を行うことになる。必要に応じてクラス全体への簡易レクシャーを行い、各グループには学習成果のプレゼンテーションを行わせる。問題が示され、時間外学習を挟んで初回の議論を迎えたクラスにおける活動を例示すると、次のようになる。
 (i)授業のスケジュールを示す。(ii)各自が学習した結果に基づいて、学習内容の説明、今後学習すべき課題の提示を行う。これらをグループ内で15~20分間報告・議論をさせる。ここで、グループ内で学習課題のリストアップ、優先順位付けも行う。この間教員は各グループを巡回する。多くのグループが議論が止まっている場合には、クラス全体への短い講義を行う。(iii)各グループから最重要学習課題を報告させ、グループ間で議論をさせるとともに、各グループの学習課題が適切かを再考させる機会を与える。(iv)学習課題を設定できたら、調査の方法を検討させる。問題を解決するために必要な学習や学習資源のリストアップの活動を含むが、重要な学習課題を落としていたり、必要な学習資源を逃しているグループには教員がアドバイスを加える。(v)グループ内で議論をまとめる。次の授業までに、教員はこれらの授業をまとめて重要な問題、キーワードなどを示しておく。

 (3)学生チュータ活用:医学教育モデルを基本に、チュータに学生を活用する。学生チュータを使うことで、議論が円滑になり、過去の受講生のチュータは自身の学習も強化される。

 (4)大人数型:教員巡回型を基本に、クラス全体のマネジメントを強化する。具体的には、クラス全体へ次のような働きかけを行う。(i)教員が投げかけた質問や学習課題について議論させる、(ii)学習課題に優先順位をつけさせる、(iii)プレゼンテーションの代わりにレポートを要求する、(iv)共通の学習資源を用意しておき適宜紹介する、(v)問題発見につながるような質問を投げかける。

 モデルを示すということだったが、医学教育以外では実質的に教員巡回型しかなく、内容も決して具体的ではないく、多少裏切られる内容でもある。教員巡回型では、教員が学習課題を指示してしまったらだめなのではないか、学生チュータ型ではだれがチュータになり得るのか、前年度の履修生を使えばいいのかなど、いくつかの疑問もある。まだまだ議論が抽象的で、実際に教員が実践するためには、更なる方法論の探求が必要と思われる。

2008/10/06

Duch, B., Groh, S. and D. Allen (2001) "Why Problem-based Learning?," in Duch, B., Groh, S. and D. Allen (eds) The Power of Problem-Based Learning, Ch.1, pp.3-11.

本稿は、なぜPBLが必要とされるようになってきたのか、その背景を概説するものである。この問題を考えるために、まずなぜそもそも教え方を変えなければならないのか、この点を考える必要がある。そもそも大学卒業者が身につけているべき資質を考えると、(1)コミュニケーション力・数的処理力・計算機リテラシーと必要に応じて新しい知識を獲得し、応用する力、(2)問題を設定し、解決に必要な情報を収集して判断する力、などがあげられる。こうした大学で身につけるべき資質の伝授に、講義という方法は現在でも一定程度有効だが、学習者中心で、研究的指導を行い、問題解決型の学習がその理念に忠実なものと言える。PBLのような学習に注目する背景には、こうした考え方がある。
では、PBLとはどのようなものか。基本的には次のような能力の獲得を目指す授業である。
  1. 内省的な思考により、現実社会で直面する複雑な問題を分析し、解決する力
  2. 適切な学習資源を見つけ出し、活用する力
  3. グループで協力して学ぶ力
  4. 口頭・文書で効果的なコミュニケーションを行う力
  5. 授業で身についた知識や勉強方法を継続する力。
PBLを実際に行う際は、次のようなサイクルで進めていく。
  1. 学習者は事例、研究論文、ビデオ等を通じて問題を提示され、グループ内で問題に関する知識や意見を交換する
  2. 議論を通じて問題の理解できない点を学習課題として(複数)設定する
  3. 重要度に応じて学習課題に優先順位をつけ、学習を進めた結果をクラスへ報告し、教員とさらに学習すべき課題について議論する
  4. それまでに学んだ知識や問題に関する理解を活かして、さらに学習すべき課題に取り組む。
PBLは医学教育の領域で始まった取り組みであるが、ここまでの議論はまだ大枠で、さらに詳細な方法論を検討する必要があるだろう。

2008/10/05

阿部和厚 他(1998)「全学部に共通するコアカリキュラム-全学教育は校風をつくる-」『高等教育ジャーナル』vol.4, pp.1-13.

 本稿は、北海道大学における共通教育カリキュラムの再編の経緯をまとめた文書である。コアカリキュラムという言葉が出てくるが、本稿では全ての学部に共通して必須な科目として分けられた一般教育科目と考えているようである。その中身は、基礎科目から切り離された教養科目、と外国語が該当する。
 一般的にはコアカリキュラムは、一般教育(教養教育)必修科目を意味するものとして扱われるようである。専門教育のミニマムリクワイアメントという見方もあるが、本稿では各分野に共通のものを求めると結局一般教育のコアを検討すると述べている。実態の説明と概念の説明が区別なく行われるので、結局北海道大学の実際はどうなっているのか、いまひとつわかりにくい文章である。

 いくつかの基礎知識。
  • リベラルアーツは3学4科(論理学・法学・修辞学+天文学・算術・幾何学・音楽)
  • ハーバードのコアカリキュラムは文学と芸術、科学、歴史研究、社会分析、外国文化、道徳倫理の6つ。
  • AACが全ての学生のMinimum Requirmentとして求めているのは次の9つ:(1)仮説調査、抽象的論理的思考、批判的検討、(2)基礎能力(書く・読む・話す・聴く)、(3)数値データの読み取り、(4)歴史観の形成、(5)科学、(6)価値判断力、(7)芸術、(8)多文化・国際理解、(9)探求的学習。
これがあってはじめて専門性が社会で活かされる。

2008/10/04

Astin, A. (1991) "The Philosophy and Logic of Assessment," in Assessment for Excellence, ch.1, pp.1-15.

 本稿は、主として学生評価に対象を絞って、高等教育の評価実践を批判的にとらえ、改善につながる評価の方法論を示すことを目的とする。この間米国では、学生評価に対する批判から実践手法の見直しが行わてきたことと、高等教育の説明責任としてアウトカム評価の導入が進んだという二つのトレンドを経てきている。
 本稿ではMeasurement + Evaluation = Assessmentという立場をとる。評価のためには情報(指標)の単純収集(Measurement)とその情報を個人や組織の活動の改善のために利用する(Evaluation)二つが必要である。ここで、Evaluationは何らかの意図や価値判断を伴う作業である。よってEvaluationは他者によって行われるものである(学生評価を念頭に置いているためでこのことは評価一般に言えることではないと思われる)。評価はパフォーマンスを高める効果があり、評価を行う意味もそこにある。
 本稿のもう一つのキーワードであるExcellenceであるが、伝統的には資源(資金、優れた教員・学生など量的なもの)と評判(大学間の序列構造)を指し、相互に強化し合うものである。しかしこれらのExcellenceは、大学の目的と直接関連するものではない。そこで、Excellenceの中身を能力開発ととらえると、Excellenceは学生と教員の学習の量・質と両者の変化の大きさで決まるものだろう。本稿の基本的なスタンスは、評価による能力開発を通じた大学の教育・研究の質向上をテーマにする。
 基本的には同意できるないようであるが、まだここまでは概念レベルの議論であり、具体的な方法論を見ないことには評価が難しい。

2008/10/01

川島啓二(2008)「初年次教育の展開とGP事業」『大学と学生』2008.5

国公私立全学部対象の初年次教育質問紙調査。
  • スタディスキル:レポートの書き方、文献の探し方、プレゼンテーション、図書館利用法、調査実験方法
  • ステューデントスキル:一般常識、時間管理、学習習慣、健康維持
  • オリエンテーション・ガイダンス:履修案内、単位制度説明、施設利用
  • 専門教育の導入:基礎知識、基礎技能、
  • 教養ゼミ・総合演習
  • 情報リテラシー
  • 自校教育
  • キャリアデザイン
学習面と社会面の軸と、問いかけと支援の軸、
第1象限:スタディスキル、導入教育、情報リテラシー
第2象限:教養ゼミ
第3象限:キャリアヴィジョン
第4象限:ステューデントスキル

2008/09/25

米澤彰純・浦田広朗(1996)「私立大学授業料の規定要因」『高等教育費の費用負担に関する政策科学的研究』科研費報告書第3章 pp.55-77.

 本論文は、私立大学の授業料がどのような変数で説明できるかを検討する実証研究である。丸山(1991)との違いは使用する説明変数群の違いであり、授業料を、偏差値、全学学生数、学部学生数、学生教員比、教員平均給与額、学生一人当たり校舎面積、学生一人当たり校地面積、地価、都市ダミー、帰属収入に占める教員人件費比、経常費補助率へ回帰する。
 結果は、全学を対象とした分析では偏差値(-)、校舎面積(+)、都市ダミー(+)、経常費補助率(+)が有意、経済経営系学部対象の分析では学生数(-)、教員平均給与(+)、都市ダミー(+)、経常費補助率(+)が有意という結果である。理系、人文系学部ではあまり有意とならない。このことはヘドニックアプローチが前提とする市場モデルが成立していない(大学間に線形の関係がない)という含意を持つ。逆に、経済経営系は多くの大学が参加できる競争市場が成立しやすい。
 属性別のデータの特徴として、経済・工では、大規模大学は学生数優先、中規模大学は学生数・授業料両立、小規模大学は学生数も授業料も拡大できないというパターンを見る。ここから、大規模大学でさえ授業料を抑えて偏差値と学生数の最大化を図る行動が見られるという。また、時系列では基本的に価格設定者の大学にそって授業料は決まるという。あえて結論を示すと、授業料は各学部の市場固有の要因とその市場競争力の大きさで決まる。
 こうした内容なので、授業料がどう決まるかに対する答えは直接的に示していない。偏差値が55以上の約70大学を対象とした中で、偏差値別の分析は少し無理があると思われる。

2008/09/23

丸山文裕(1991)「私立大学授業料の規定要因分析」『大学論集』第20集 pp.267-280

 本稿は、私立大学の授業料がどのような変数で説明できるかを検討する実証研究である。
 分析の前に、育英主義と市場主義という二つの概念が重要となるのでまずこれを示す。育英主義の下では威信の高い大学ほど授業料が安く、能力が高く努力した者が安くて良質の教育を受けることができる。これは国立大学の授業料設定を説明する考え方である。逆に市場主義の下では、良質で威信の高い大学ほど教育コストがかかり、授業料が高く設定される。この視点で日本の私立大学を見ると、威信の高い大学ほど授業料が安いという実態が観察でき、育英主義に近い。
 決定要因の分析は回帰分析で行うが、授業料を入学難易度(1から20の値をとる変数)に回帰するだけである。結果は医学部だけが負の効果で、他は全て正の効果があることが示される。すなわち、入学難易度が1単位上がると(係数β×入学者数)円だけ授業料が上げられるという市場主義を支持する結果である。
 いうまでもなく本論文の分析は大幅な改善の余地があり、その後の研究を追う必要があるだろう。今後の研究課題としては、大学教育の需要側の価格弾力性推計がポイントになるのではないかと思われる。先行研究からすると重要な問題でありながら、日本で全く取り組まれていない研究である。

2008/09/21

Hutchings, P. (2002) "The Scholarship of Teaching and Learning in Higher Education," An Annotated Bibliography, Revised and Updated, Fall 2002.

本稿では次のようなことを紹介する。(1)SOTLを定義するにあたり学生の効率的な学びや学びの特徴に注目する。(2)Scholarshipというと伝統的には研究論文や文献の執筆・出版だが、教授法の研究コミュニティでは現在はより広い手法(事例研究、聞き取り調査など)が用いられている。SOTLのモデルは、特定の教員だけが行える狭い手法に絞るべきではない。(3)SOTLの歴史自体が複線型で現在も進化している。
まずSOTLの歴史は、Boyerの90年の著作に始まる。伝統的な研究vs教育の論争を超えてscholoarshipという概念を打ち出し、優れた教育も研究と同様の意識・手法で行うことを提唱した。
その後94-98年にShulmanらを中心にして、教育のピアレビューという概念をSOTLに持ち込んだ。教育は単なる技術ではなく専門領域や関連領域の内容とその意味の深い理解を示す行為である。学者のコミュニティでは文書化し、公開し、総合に評価するのが基本であり、教育においても同様の活動が行われるべきと提唱した。彼らは教育の成果を他の教員が利用できるための9つの方針を開発して示した。
さらに97年にGlassick, Huber, MaeroffによってScholarshipを評価する6つの基準(明確な目標、十分な準備、適切な手法、有為な結果、効果的な提示、回顧的な批判)が示される。
こうした流れを経る中で、現在のSOTLの中心的な概念である、教育を研究的に振り返り、論文化などを通じてピアレビューを行い、質を高めていく活動へとつながっていく。

2008/09/19

Eberly, M., Newton, S. and R. Wiggins, (2001) "The Syllabus as a Tool for Student-Centered Learning," Journal of General Education, vol.50, no.1, pp.56-74.

 本論文は、オークランド大学の3人の教員が自大学の一般教育のシラバスを読んで、その特徴を記述するという分析を行った記録である。結論としては、オークランド大学の一般教育シラバスは、学生の学習支援シラバスとしてはやや不十分であるということを述べるが、それよりもシラバスが学習者主体の学習を進める道具であるという点に注目した解説が興味深い。
 今日の大学のおけるシラバスの役割には3つある。(1)事務的書類、(2)授業開発、(3)学生との人間関係構築、といった役割である。
 1点目については、さらに3つの側面がある。シラバスは(1)授業に関して公的かつ明確に文書化された書類であり、(2)学生からの履修・単位認定等に関する問い合わせの際に回答の根拠となる資料であり、(3)授業担当者が変わった際に授業内容の同質性を維持するための連絡文書である。シラバスが学生と教員(大学)との契約文書と言われる背景は、こうした側面によるものである。
 2点目について、シラバスの中心は授業計画である。教員にとってはシラバスをつくることは、授業全体を綿密に計画するまたとない機会であり、分析的な視点で振り返るべきである。また、シラバスには出席に関する考え方、学生に期待する学習成果、授業の受講上の規範などが書かれている文書であり、教員の授業に対する責任と考え方が現れている文書である。よって、定期的なシラバスの点検はカリキュラムと開講科目を評価する重要な手段になる。カリキュラム改革では授業の内容のみが問題にされがちであるが、シラバスの分析はカリキュラム改革の作業で一番始めに行う作業である。
 3点目について、学生の教員に対する前向きな人間関係作りと授業に対する期待の維持は、初回の授業のシラバスと教員によるその説明の仕方で決まる。シラバスを丁寧に作って提示することは、クラスの暗黙の行動規範を決める上で重要であり、教員への信頼度を大きく左右する。
 事例分析を通じて主張された点は、どのようなテストを行うかに関する説明が少ない、カリキュラム上の目標や科目区分の目標と授業の目標との関連(なぜこの授業を受ける必要があるかの説明)が書かれていない、学習内容と学術憲章との関連に関する記述が少ない、学生間の協力を通じた学習の内容など授業で得られる学習経験や学習プロセスに関する説明が少ない、授業計画がただのアウトラインで学生が学習するためのガイドになっていないというものである。学問分野別の比較等も示されているが、これらによれば日本の大学の現状と全く変わらず、米国だからシラバスが充実していると見るのは間違いだろう。
 最後に、教員がどれだけシラバス作りに時間をかけられるかが、シラバスを学習のための支援書とするために決定的に重要であるという自明なまとめで終わる。しかし、比較的シラバスとは何かを先行研究に沿って整理して書かれた文章であるといえる。

2008/09/18

Simonson, M. (2000) "Making Decisions: The Use of Electronic Technology in Online Classrooms," in Weiss, R. and D. Knowlton eds. Principles of Effective Teaching in the Online Classroom, pp.29-34.

 本論文は、対面教育と同等の教育を行うための、オンライン教育における技術の使い方について述べたものである。対面教育と同等の教育とは、バーチャルシステムによる授業配信のような技術を活用して対面教育を忠実に再現するという意味ではなく、対面教育で得られる学習経験と同じ学習経験をオンラインでも行うという意味である。ここでいう学習経験は、知識の習得、他者との共同作業や討論、学習成果の発表などが含まれる。
 同等の教育経験を獲得するための技術の組み合わせは、Equivalency Theoryという考え方に基づく。Equivalency Theoryは、通信技術の進展に伴い、オンラインにおいても適切な技術を組み合わせることで、教材の配信、教員と学生・学生間のコミュニケーション・コラボレーション、課題の提出とフィードバックなどが対面教育の学習経験に近づけることができるという考え方である。ここでは、それを実現するための方法論を以下の4点でまとめる。
 (1)技術の検討:これには2つのステップがあり、(i)最も効率的に学習できる抽象度(Cone of Experience)を決める(効率的 vs 効果的)(ii)最低限必要となる技術を決める、である。
 (2)学習成果の決定:ここでは、さまざまな技術を使って学習成果を示させることが重要になる。よく用いられる効果的な方法として、昨年度の学生の成果を提示し、その批判的検討をさせる課題が有効であることを多くの実践者が指摘している。
 (3)学習経験の特定と適切な技術とのマッチング:先に指摘したように、対面教育の学習経験と同等の学習経験を得ることは、対面学習のバーチャル配信ではないため、対面教育の授業計画と同一ではなく、むしろ根本的に異なる。本論文では、その具体的技術マッチングについて、掲示板など様々な方法に触れているが、現在ではCMSがあれば解決できる問題がほとんどであるため、この点は問題とならないだろう。
 (4)学習経験の配信:最後に学習計画のフィックスを行う。オンラインの学習プロセスの特徴は、教員からのアプローチと学生の自学自習の二つの側面がある(対面教育でも同じだが)。プロセスを大きく分けると、リニアモデル、枝分かれモデル、学生主体モデルの4つになる。リニアはスモールステップでプログラム学習的に進める学習、枝分かれはリニアにいくつかの階層を持つものである。学生主体になると、学習のペースは完全に学生に委ねられる。リニアであれば、前のチャンクの学習を引き継ぐ形で設計できるが、学生主体の場合、前のチャンクからの時間が個人により変わるため、学習目標の獲得を保証するには各チャンクでの完結性が求められる。
 本論文の指摘は、オンライン教育の領域で一定のコンセンサスを得たものということであるが、ガイドラインを語ってはいるもののこれだけで授業実践者がその意図するところを汲み取れるかというと疑問が残る。また、本論文の主旨は基本的に賛同できるものであるが、こうした議論の土台となる根拠が見えにくい。おそらく学習心理学によるところが大きいと思うが、そのロジックをもう少し正確に示さないことには、研究論文としての価値に疑問がついてしまうだろう。

2008/09/17

Morrison, G. and P. Guenther (2000) "Designing Instruction for Learning in Electronic Classrooms," in Weiss, R. and D. Knowlton eds. Principles of Effective Teaching in the Online Classroom, pp.15-22.

 本論文は、いわゆるe-learningにおけるウェブデザインについて述べることを目的としている。その論は(1)遠隔教育の定義、(2)遠隔教育におけるWebの意味、(3)教材のデザイン、というように述べられている。
 まず、遠隔教育の定義であるが、これまでの議論をまとめる限り、(i)教師と学生が時間と場所の両方において離れていること、(ii)時間というより場所において離れていることの2つがある。(i)は通信教育のように学習教材が、実際に学習が行われるずっと前に準備され、パッケージされるという意味であり、(ii)は近年現れた、バーチャルシステムとも言うべき、ストリーミングやチャットのような双方向コミュニケーションである。ただし、本論文では、基本的に遠隔教育では時間と場所の双方において離れていることと定義すると考え、(ii)も完全な同時性はないが双方向コミュニケーションを重視したものとして、Asymchronous Learning Networks (ALN)と考える。
 次にWebの意味である。第1にWebが学習に与える影響であるが、これは本質的にない。学習に影響を与えるのは学習者を参加させる方針と考えをコミュニケートする方法であるから、それらを効率的に行う方針としてのWebにフォーカスしなければ意味がない。第2に、ハイパーリンクであるが、ハイパーリンクは学生が学習内容と積極的に関わることを促進する点で、学習に本質的な影響がある。特に、オンラインディスカッションやレポート執筆の準備や、情報の比較などを行う際には、ハイパーリンクの長所が生きる。
 最後にデザインの設計であるが、このポイントはRecall Strategy(事実の記憶を支援する仕掛け)、Organizational Strategy(異なる理論を表にして対比する)、Integration Sstrategy(文章を要約する)、Elaboration Strategy(考えたことを書いてまとめる)とまとめられている。
 Designing Instructionということで、読んでみたものの文字通りのデザイン論ということで、少し狙いを外してしまった。

2008/09/16

Knowlton, D. (2000) "A Theoretical Framework for the Online Classroom: A Defense and Delineation of a Student-Centered Pedagogy," in Weiss, R. and D. Knowlton eds. Principles of Effective Teaching in the Online Classroom, pp.5-14.

 本論文は遠隔教育では原則としてSutdent-Centeredであるべきということを、論理的に説明することを試みたものである。本論文が主張する本質的なOnleine Classroomとは、教員が学生に対し、他の学生・テキストなどの伝統的教材・ニュースグループなどのWebリソース・職業や文化などの生活経験・問題解決との関わりを与える枠組みを設定することと要約できる。
 ここではまず、Professor-CenteredとStudent-Centeredの違いを明らかにしておく。
内容と教材
P:教師が準備した内容を学生が知り、記憶し、意味付ける。
S:学生自身も内容の提供を行い、学生自身の学習を積極的にコントロールする(学習の成果がより個人的になる)
教師の役割
P:学生を組織化し、知識を広く伝えて、学生はそれを吸収する
S:教師と学生の役割が動的に変化し、教師はコーチ・メンターのような役割をする
学習プロセス
P:知識が教師から学生へ一方向で移転し、学生に知識を伝える点で最も効率的
S:学生に他の学生や教師との共同作業を求め、知識(の体系)を自ら構築する
当たり前のような気もするが、まずこの定義を確認しておく。
 では、なぜ遠隔教育ではStudent-Centeredなのか。これには、(1)教授法と(2)社会性の2点からその根拠を説明する。(1)Onlineでは、教授はテキストによって行われる。教授が学生の知識を満たすことを目的とし、その中心的役割としてのテキストがあるなら、教師の本質的な役割はない。(2)対面授業では学びの中に社会性があるが、Onlineでは他者との相互交流なしには、学生にこうした面は認識されない。本論文では、なぜStudenet-Centeredなのかを論じた点はこの2点と思われるが、理論的な根拠という割には裏付けが曖昧である。

2008/09/15

Taylor, J., Amaral, A. and Machado, M. (2007) "Strategic Planning in U.S. Higher Education: Can it Succeed in Europe?" pp.5-17

組織の変化を測るポイントは、(1)戦略計画に基づくマネジメント、(2)上級マネジメントチームの設置、(3)意志決定プロセスの省力化・組織構造のフラット化、(4)教員レベルへの予算権限委譲、の4つ。

英国での高等教育の市場化は、思ったような効果を持たなかった。その理由は、学生が商品に対する対価を支払う主体でないこと、その価格と商品を決める主体は政府であること、の2つ。

欧州の高等教育室保障のスタートは、学生の流動性を高めること、欧州市民の雇用適正の向上、それらを通じた欧州社会全体の経済的発展を目指したこと。
Bolognaプロセスの中で、大学院教育に対する国家の役割が軽視され、個人の責任で行うことになった。
流動性、雇用可能性、競争性、透明性については合意できても、各機関におけるその実現は別の問題。
質保障とは、誰が質を定義するかという問題であり、その議論はまさに権限に関する議論である。

戦略プランニングは、機関内の実行では様々な問題がありながらも、その有用性が指摘されてきた。本論の立場は、戦略プランニング自体の有効性を認めながらも、その実効性には不備があるというもの。

戦略プランは、アメリカで始まったが、必ずしも成功しているとは言えない。

その原因は、リーダーシップの欠如、コミュニケーションの不足、構成員の不参加、権限の分散、資源不足、改革への抵抗、戦略プロセスそのものへの不理解である。

Brysonによれば、非営利組織の戦略プランニングは、プランニングというよりも戦略的マネジメントである。戦略的な思考に参加することの方が、プランの立案そのものよりも重要。

もう一つアメリカでうまくいっていない理由は、単に流行に乗るためにプランを作っていて、信頼性がないため。対外的な文書作成に終始してる。

HEFCEの戦略プランニングガイドは、高等教育機関の複雑性や不確実性への配慮がなさすぎた。組織として直面する不確実性の認識や、戦略を単なる計画立案と解釈した点が問題だ。

本稿ではプランニングプロセスに失敗の原因があると考える。プロセスが、データ主義で、官僚的であるために、プランニングがうまくいかなくなる。戦略プランニングは、データ主導の情報処理、戦略的思考は創造的な発想と言ってもよい。

戦略プランニングは権限を教員から中央へ移すことと理解されがちだが、そうした状況では、教員は取り残されることへの不安を覚える。

ポルトガルは、戦略の必要性が業界で高まっている。:私大の成長と人口減、ポリテクの大学化など。

総じて、アメリカに比べて欧州では、組織が構造化され、コミュニケーションが効果的に行われず、教員が力を持っているため、トップが設定したプランを実行することが難しい。
しかも、トップが教員から選挙で選ばれ、トップしての準備をせずにポストに就くケースも多いために、リーダーシップを発揮しにくい。

欧州は、しっかりした質保障システムを持つ割に、国際化の取り組みが不十分。国際化を通じて質保障を進めることも取り組むべき。

PetersonのContexualアプローチをより重視すべき。

結局、アメリカ型の戦略プランニングモデルは、欧州で有効なのか?
→かなりの障害があるといえる。
課題は2つ。
1つは、自律性を高めること。
2つめは、構造化された組織でのモデルを確立すること。
↑あまりに、一般的すぎ?

2008/09/14

慶応義塾大学教養教育研究会(2002)『教養教育グランド・デザイン -新たな知の創造-』 文部科学省委託研究報告書

本書は研究論文という性格のものとは異なるが、教養教育に関して分析的にまとめてモデルを提示したという、この領域では珍しい文献であるので、ここで取り上げてみたいと思う。現在の教養教育の問題とは何か。本書ではこれを、大学教員の専門重視・教養軽視と言い切る。しかし、大学全入時代がくる中で私立大学にとっては、基本的な知識や基礎学力の欠如した学生・学習分野の偏った学生とのミスマッチの解消が、教育の質の向上に決定的な問題となる。
学力の低い入学者を受け入れる中で、大学の存在意義は何か。それを本書では、社会のリーダーの輩出と位置づける(これを前提に以下の議論を組み立てる)。すると、リーダーに求められるものは、「人類が築き上げてきたさまざまな知の体系に対する深い造詣とこれを現実に適用するための明確な自己の座標軸」であるという。別の言葉では、古典から現代までの知の連鎖の理解と、それに自らの体験を符合させることで確固たる世界観・価値観を確立することである。
ここまでは、概論ということで他の文献でも既に語られていることかもしれないが、これをどうやって具体的なデザインにするかである。以下ではこれを(1)知のありかた、(2)カリキュラム化、(3)それらを支えるマネジメントシステムという視点で独自に整理してみる。まず(1)について、知とは文化知・社会知・化学知・身体知・言語知・複合知があるという。身体・言語が知の創造と継承、文化・社会・科学が知の継承と伝達、複合が新たな知の複合という。しかし、これだけではこれまでいわれてきた教養科目の分類を言葉を変えているにすぎない。(2)については、モジュール制というものを出している。このモジュール制自体は非常に興味深い特徴を持っており、レベル制の導入、複数専攻制など、知を獲得するためのロードマップが示されている。(3)においては、グレード制科目の設置、GPAの活用、入学要件などが示されているが、具体的な提案は示されていない。ここでは、(2)の知を継承し、創造して伝達し、複合させるための道筋が本書のポイントと思われる。これは見方によっては、モジュール=学年で、従来のものを言葉だけ変えているように思えるのであるが、専門と教養というような区分を考えず、学士過程はすべて教養教育であるという発想を前提にデザインされている点が重要と思われる。

2008/09/13

山内乾史(2000)「何のためのFDか? -イギリスとの比較-」『高等教育ジャーナル』 pp.22-32.

 本論文は、FDを学内で有効に機能させる可能性について探ったものである。基本的に専門的自決性を持った教授職に外からFDを強要するものではない。従って、日本の大学に求められているFD政策は自発性を引き出す仕掛けである。本論文は、日本におけるこうしたFDの可能性を探るために、イギリスの事例を検討する。
 先に触れたことはイギリスでも同様にいえるが、なぜイギリスでSDが進んだかというと、端的に行ってSDを行うことが財源の獲得になるためである。財政難とともに高等教育サービスの品質管理が厳しく問われるようになった。大学は、SD研修の実績(効率性・有効性・生産性)の評価に基づいて財政的補助が受けられるようになったため、大きな大学では専門のセンターを設置し、ノウハウを蓄積し、学内のみならず学外のコンサルティング、公共機関や企業の人材研修までできるようにして資金を得ている。
 この意味は、SDは単に教授職の能力開発支援から、機関の効率的・効果的な管理運営を促す手段と位置づけられている点で重要である。日本と同様に研究指向であるイギリスのように、日本においてこうした仕掛けが有効に機能するだろうか?少なくともFDが何らかの教員の評価に関連しなければ仕掛けとはならないであろう。イギリスでも実態としては教員は研究のためにSDに真剣に取り組んでいないくらいであるから、日本においては相当な仕掛け、例えば給与へ直結する仕掛けが必要になる。
 すると当然出る疑問が、そうしたFDの評価をどのように行うかであり、ここに今後の研究の余地があると考えられる。

2008/09/12

Caffarella, R. (1993) "Self-Directed Learning," in Merriam, S. eds. An Update on Adult Learning Theory.

 本論文は、Self-Diredted Learning(SDL)が、Adult Learningの研究にどのような貢献をしたかという点を考察することを目的としている。ここでいうSDLを端的に言うと、SDLが伝統的な学習と異なる点は、学習者が学習の計画・実行・評価に関わろうとうする点である。成人教育の分野における概念的枠組みには大きく分けてAndragogyとSDLの二つがあるということだが、両者は本質的には同一ではないかと思われる。また、本論文でもAndragogyの議論と同様に、SDLが大人を学習者としてみる際の視点や、大人の学習プロセスを理解する点で貢献があるものの、SDLがAdlut Learningの真理というわけではなく、多くの議論の余地を残していることを指摘している。
 結局のところここまで見てくると、AndragogyであれSDLであれ、「~らしい」ということまでは分かっているものの、単一のモデルの構築には至っていないというのが現在までの研究であると考えられる。教育学のモデルに単一のモデルがあるのかどうかは分からないが、この分野の研究者がそれを求めており、かつ、この20年間その発見に向けての研究はブレイクスルーがないまま停滞していると理解しておいてよいだろう。これまでに膨大な数の文献が蓄積されているようだが、どの文献も非常に観念的で現実的なインプリケーションが乏しい上に、ここ20年の間に書かれた文献は、過去の文献を引用して再解釈するという非生産的活動になっている。個人的に、教育学に「理論」などというものはありえないと思うが、少なくとも科学的にアプローチしたいのであれば、この手の研究の増産ではなく、例えば三十歳代理系技術職の成人教育、低所得階層ブルーカラーの成人教育など対象のフォーカスを絞るべきであろう。成人教育という大きな土台で観念的な議論を堂々巡りさせていては、研究者として社会貢献をしていないに等しいのではないだろうか。

2008/09/11

Pratt, D. (1993) "Andragogy after Twenty-Five Years," in Merriam, S. eds. An Update on Adult Learning Theory.

 本論文は、これまでのAndragogy の研究が、成人教育の分野にどのような貢献をしたかについて再考するというものである。この問題に取り組むために、本論文では、次の4つの課題を設定して考察する。すなわち、第一に、学習とは何か、第二に、Adult Learningの前提は何か、第三に、Adult Learningをどのように促進したらよいか、第四に、Adult Learningの目的は何か、という課題である。
 まず、Andragogyに関しては、学習の中核的概念がないことは古くから指摘されている。しかし、Adult learningを理論的に特徴づけられるかどうかは、学習の概念に依存する。知識は学習者によって能動的に構築され、学習は個人の経験した世界を理解・統合・転換する総合的プロセスであるという、二つの学習原則にAndragogyは依存している。しかし、Andragogyは学習者の心理的側面のみに着目したものであり、社会的・経済的・文化的・歴史的側面を考慮したものではない。実際の学習者にとっては、学習はキャリアを変えるなどのチャンスであり、社会経済生活と切り離せないものである。Andragogyは学習者個人が学習の中心にいることは自明と考えているが、実際に大人を教育している人は個人と社会の相互作用があると考えている。
 結局のところ、Andragogyは大人を学習者として理解する点においては多大な貢献があったが、大人の学習プロセスを理解する点においてはほとんど貢献がなかったと考えるべきであろう。当初の4つの課題は、次の二つの議論に集約できる。一つは、学習の過程と評価において学習者本位か教師本位かの問題、もう一つは学習に影響を与えるものが人間の生来的特質か社会構造的特質かの問題ということである。
 ちなみに、Knowlsの概念についてまとめておくと、Andragogyの背景には、(1)Self-concept、(2)prior experience、(3)readiness to learn、(4)learning orientation、(5)motivation to learnがあり、Andragogical process designにおいては(1)社会的風土、(2)学習計画に学習者が関わる、(3)学習者の自身のニーズの発掘に学習者が関わる、(4)学習目標の形成に学習者が関わる、(5)学習計画のデザインに学習者が関わること、(6)学習計画の遂行を援助する、(7)学習の評価に学習者が関わること、という7つの要素があると指摘している。
 Andragogyのサーベイとしては大変興味深い文献であるものの、今後の研究の方向については言及していない点が残念である。

2008/09/10

Merriam, S. (1993) "Adult Learning: Where have we come from? Where are we headed?," in Merriam, S. eds. An Update on Adult Learning Theory.

 本論文は、成人教育の分野がどのような研究を行い、今後どういう方向へ向かうかについて述べたサーベイ論文である。サーベイの視点は成人教育を「単一のモデル」で説明する研究としてこれまでの研究を整理するものである。
 その本論を要約すると、(1)初期の成人教育研究を牽引してきたのは、学習行動を研究する心理学者であった、(2)その後子供の教育との対比するという点から成人教育者が説明を加えた、(3)現在は批判科学的な社会学者・女性学者など成人教育の領域の外から意見が出ている、というものである。この主張は、今後の研究課題についてなんら語っておらず、お粗末極まりないという以外にないところが残念である。ちなみに、Andragogyについて若干考察した点があるが、(i)Andragogyはインストラクションのデザインのガイドラインに過ぎず、大人にユニークとはかぎらない、(ii)自発的な学習が大人にユニークであることを示した研究はない、(iii)伝統的学生より学校に通うことでキャリアを変えられる可能性があるという面で、成人教育は優れて社会的な問題である、という意見をまとめている。
 問題意識は重要であるが、それほど重要な文献ではないかもしれない。

2008/09/09

Feldman, K. (1997) "Identifying Exemplary Teachers and Teaching: Evidence from Student Ratings," in Perry, R. and J. Smart eds.Higher Education in Europe, No.2, pp.368-395.

 本論文は、学生による授業評価の結果を用いて模範的な授業(教師像)を取り出す試みについてまとめられたものである。学生の授業評価を用いて分析を行った研究にはいろいろあるが、本論文は研究の高さと教育の有効性の相関を見たり、学生の授業評価から教育改善のフィードバックを取り出すものとは異なる。
 分析手法は若干複雑ではあるが、以下の通りである。まず、評価項目を教育上重要な28のカテゴリーに分ける。そしてまず、個々の項目と学生のパフォーマンスの相関を見る。この過程で学生のパフォーマンスの高さに重要なカテゴリーがリストアップできることになる。次に、この結果に授業全体の評価を加えて同様のリストアップをする。授業全体の評価は、個々の項目の積み上げであり、これと個々の項目との相関を学生のパフォーマンスとの相関を比較することは、興味深い点である。この結果が驚くほど一致しない。これらを通じて、本論文では重要なカテゴリーをリストアップする。最重要なカテゴリーを一部取り上げると、教員が興味を湧かせる工夫、授業の目標と実際の内容が一致していること、教員によって新しい知識が注入されること、などである。
 本論文では、学生による評価にまつわる様々な議論についてもまとめており、興味深い内容になっているが、分析上は全く扱われないのでやや残念なことと無意味に長いと思われる。本論文は、先行研究の内容(データや結果)をやや角度を変えて再解釈するというものになっており、分析自体について正確に把握するためには先行研究に当たらなければならない(further reading として、Feldman, K. (1989), "The Association between Student Ratings of Specific Instructional Dimensions and Student Achievement: Refining and Extending the Synthesis of Data from Multisection Validity Studies," Research in Higher Education, pp.583-645.)。

2008/09/08

Pike, G. (2004) "Measuring Quality: A Comparison of U.S. News Rankings and NSSE Benchmarks," Effective Teaching in Higher Education: Research and Practice, pp.193-208.

 本論文は、いわゆる大学ランキングが大学の教育の質を正確に反映しておらず、別の角度から教育の質を測る必要性を主張するものである。ランキング作りはビッグビジネスになる一方で、受験生の学校選択に使われている。しかし、ランキングは外から見える数値と評判で決められていて、実際の学生が経験したことは反映されず、時に大学側がランキング向上のために不正確にデータを提供するなど問題がある。
 それに代わるものとして、NSSEが学生の教育への関与を測る指標の開発を行っている。大学間のベンチマークを行う項目に(1)学問的課題のレベル、(2)主体的・共同的学習、(3)教員と学生間の関わりの深さ、(4)教育経験の豊富さ、(5)学習環境サポート、の5項目がある。ここでは、NSSEとU.S. Newsの大学ランキングの比較を行う。
 基本的な分析手法は分散分析(ANOVA)であるが、使用しているデータセットがどういうものになるのかが本文の説明では明確にわからないため、どのような計算を行っているのかはよくわからない部分がある(further reading として、Kuh, et al. (2001), "NSSE Technical and Norms Report," Indiana University Center for Postsecondary Research and Plannning, Bloomington.)。
 結論としては、学生の教育の質がNSSEベンチマークの平均値とU.S. Newsのランキングは有意に異なるとしている。本論文では、教育の質をどのように測るかという問題意識で書かれているが、実際の分析は既存データの分散分析であるという点を見ると、やや狙いがずれているようにも感じる。しかし、本論文を通じて紹介されているNSSEの質問項目や調査概要が、今後の教育評価の成果指標開発において有益な示唆をもたらすと考えられる。

2008/09/06

寺崎昌男(2007)「私学」『大学改革その先を読む』第5講 東信堂

私学は、今後学部・学科の壁を低くしていくことが迫られる。(なぜ?)

建学の理念は、そのままでは多くの場合役に立たず、現代の言葉に代えて、現代に活かす道を探らなければならない。

同時に、建学の理念が作られた価値を確認するために、当時の理解が必要。

戦後、大学が育ててきた学力は問われた問いに答える力であり、正解は先生だけが持っている教育文化を作ってきた。その結果として、全科目優等・高い平均点を求めてきた。その結果、日本は産業化を早く進めることができた。

これまでは、文学、工学など、専門領域があるから、それに対応する学部をつくるというやり方。これからは、課題があるから学部を作る。新しい知的能力が必要だから学部を作るというやり方になる。

2008/09/05

寺崎昌男(2007)「教員と職員」『大学改革その先を読む』第4講 東信堂

D.ケネディのAcademic Dudyでは、教員は自分の専門に閉じこもらず、専攻の壁を越える学識・能力が求められるし、大学を変えていくことも責務の一つ。

組織化は、Institutionalize。

職員の専門性は形成途上であるが、形成のための動因は、責任能力を持つこと、すなわち、その人に任せられる仕事を見つけ出すこと。

これまで事務の合理化は、手間をどれだけ省くかであった。なぜなら、彼らは帰属意識が高いにもかかわらず、ビジョン形成や運営に関わる権限を与えられてこなかったから。事務員をやめて職員になる必要がある。

大学のミッションと教員のミッションは、違うことが重要。どんな大学でも、教員は研究者。組織のミッション以外に、個人のミッションを持っている。組織と個人のミッションの間で、どう教員としての倫理性を気づくかがこれからの大学の課題。

FDもSDも学生のために行う点を忘れてはいけない。FDは、大学の課題を発見することから始める。

2008/09/04

寺崎昌男(2007)「カリキュラムと授業」『大学改革その先を読む』第3講 東信堂

カリキュラム=教育課程。91年の大綱化では、どれが専門科目でどれば一般教育科目かは各大学が裁量しなさいということになった。
教育課程には、正課活動と正課外活動が含まれる(初中等ではそう。)。しかし、大学設置基準では正課活動しか書かれていない。大学を変えるには、正課外を含めて大学のトータルな教育活動全体を変えるという発想が必要。

カリキュラムは、スコープ(広がり)とシーケンス(順次性)でとらえる。スコープは、その時代の文化・科学の総体から何を科目という形で選び出し、教育課程の中に設定するかということで、選ぶ側の主体性が問われる。シーケンスは、どういう順序で学習するかが一番いいかを考えること。
カリキュラム作りは、大学の個性と実力をもっとも鋭く現す作業であり、明確な目標設定に基づくカリキュラム編成が大学の勝負の分かれ目になる。

カリキュラムを変える際には、学生のためにあるという原点を忘れないこと。縄張り、負担の軽減、大事な科目の非常勤化などは、もってのほか。

日本の教員が、授業に関心を持たない理由はいくつかある。
文化的理由:江戸時代までの勉強のさせ方は、漢籍の暗唱、会読、講釈であり、寺子屋では手本を元に師匠に持って行く学び方。近代大学制度が入ると、欧州の学術を輸入して見せることが大学の役割。学生はひたすら教員の話を聞き、公務員試験で高得点をとって中央官庁に就職するという風土を醸造してきた。

授業では、導入を工夫すること。次に、題目を明示化して、内容を構造化する。教員は授業を論理的に組み立てる傾向があるが、構造化の方が大事。

2008/09/03

寺崎昌男(2007)「大学改革の歴史130年」『大学改革その先を読む』第1講 東信堂

学士課程教育は、専門教育と呼んでいた。戦後40年は、一般教育と専門教育しかなかった。そこに、大学院が入り、学部教育と大学院教育ができる。学士課程4年の教育を学部教育と呼ぶと、専門教育だけを指し、一般教育が含まれないという危惧から、4年間の学士になるための教育として学士課程教育という呼び方が生まれた。

学士課程教育においてまず必要なのは、目標を設定する作業。そして、それを表現する作業。

旧制大学では専門教育だけを行い、教養教育は大学予科や旧制高校で行い、それを終えた人が大学へ入っていた。(教養ある専門人の育成)

教養ある専門人は大学院の役割、学士課程は専門ある教養人の育成。目標を分担して棲み分ける。

入門教育は、今後のカリキュラム改革上大きな問題になる。大学に入る間口が広がり、入試方法が多様化することで、高校生活と大学生活との境目があまりなくなり、高校までの学習と大学の学習の違いを意識することが困難になっている。

入門機教育には3つのタイプがある。(1)アカデミックスキル、(2)キャンパスライフへの適応指導、(3)キャリア教育。

自校教育では、(1)大学の中の学生がどう変わったかを正確に話す、(2)その大学でなぜ自分は働いているかを語る。自校の歴史は正直に話すこと。(鉄道で大もうけしたスタンフォード家が作ったスタンフォード、無名の青年が出資したハーバード)。

自校教育の必要性は、日本の特別な入試事情に関係がある。学生は自分の偏差値と他大学の偏差値をよく知っている。自校教育では、自分の大学の特色が何かを必ず言う。

大学院の教授に求められる資格は、「質問が出るような話ができるか」。積極的に質問しない学生ですら、質問したくなるような話をできることが、大事な資格。

2008/09/01

沼上幹(2003)『組織戦略の考え方』ちくま新書

  • 本書は、日本の組織の本質的な部分を維持しながら経営していくにはどうしたらよいか、という問題意識で書かれている。本質的な部分とは、コア人材の長期雇用を前提とするということ。
  • 組織設計の基本は官僚制で、官僚制組織がしっかりしているから、その上に創造性や戦略性の発揮が可能になる。組織設計上の工夫は官僚制組織に付加する形で行われる。
  • 官僚組織でルーチンワーク(例外処理)が多くなった場合は、現場の知的能力アップ、意志決定の補佐役の創設、情報技術の装備、小規模な自律的組織の創設、水平関係の創設(マトリックス組織)の5つで構造的に解決する。
  • 人材育成の基本は、決まり切った仕事をミスなく処理し、若干の例外に創意工夫で対応できる熟練者、例外事例を分析し、バランスのとれた決断をする管理者、戦略を思考できるトップの3つ。これらは、どれか一つを行うのではなく、全て同時に行う。現場、ミドル、トップを分離した組織を設計しておいて、3つの仕事を混ぜた仕事ができるように組織設計を行うべき。
  • ボトルネックは、優秀な人材ほど雑務までしている状況で出やすい。
  • 日本の(大学)教育では、ゴールが多様であるという言い訳によって、自分が楽をするだけの方を自然に選び、教育効果を考えていない人が多すぎる
  • 組織は、仕事の邪魔はしても、自動的に仕事の処理はできない。組織論では、ある構造下で働くヒトに注目しないといけない。ほとんどの場合、ヒトの問題であるのに、組織が悪いということで、だれも傷つかないコンセンサスをしてはいけない。
  • マズローの欲求階層説では、美しく安上がりな自己実現を要求しやすいが、本当に大事なのは、承認・尊厳の欲求。ポストで報いられないなら、全員自己実現できるようにと考えるのは誤解。成功体験をさせることがミドルの役割で、承認・尊厳欲求の充足。
  • 組合にはフリーライダーの問題があり、組合費は強制徴収せざるをえない。(組合が公共財を提供している役割があると考える)。しかし、フリーライダー問題は根本的な解決ができず、責任感の強い人材を採用・育成する前提で、組織の長期的な運命と自分の運命が密接に関連していると思う人を作るだけ。
  • 決断は単なる意志決定ではなく、何かを捨てて何かを取るような、大胆で不連続な側面を持つ意志決定で、出せば批判され、出さなければ批判されるもの。
  • 決断不足の兆候としては、フルスペックの改善案、全方位全面対応型の戦略計画がでること、経営改革検討委員会の増殖、見当違いの人材育成(今の問題の解決には人材の育成が時間的に間に合わない状況)の3つ。
  • 決断は、トップがしなければならない。トップが決断することで、ミドルも決断を迫られる。
  • 組織内のエースを明確に認識し、重要な仕事が回るように決断することも重要。
  • 組織のパワーには、賞罰、正当性(服従が当然の状況)、同一化(カリスマ)、情報(専門的知識)の4つ。情報パワーをベースに、正当性と賞罰を一致させれば、組織設計は最適になるはず。
  • このバランスを乱すのが、厄介者。多くの人が優等生の組織では、厄介者が理不尽であっても、ことを荒立てないために、組織として通るケースが出てしまう。
  • もう一つのおかしなパワーが狐の権力。顧客のため、社長の意向、という伝聞を活用する方法。複数部門を調整するリエゾンポストを作らないこと、シニアになったら外圧を利用しないの2つが、これの予防。
  • 内向きマネジメントでは、組織価値を高める議論が何一つ含まれない。スキャンダル対応では、組織価値を高めるための議論をすることが重要。そのためには、トップマネジメントを3,4人で行う、内向きの評価基準を使わない、の2つ。

2008/08/25

本間政雄(2008)「これからの大学職員とは」『大学時報』

 今、職員に求められる最も重要な能力は、立案した政策を様々な関係者の利害を調整しながら、理解を求め、了解を取りながら実行に移す「政策実行力」である。
 特に、既得権擁護に走る教授会を動かすには、確かな事実とデータの裏付けを持って、教員を説得する力である。
 そのため、高い調査力・分析力を持っていることが前提である。

 立命館大学大学行政権級研修センターでは、内外の高等教育に関する知識、学内の課題分析と政策の理解、調査・アンケートの実施、具体的な政策提言を行う研究論文、調査統計・統計解析、日本語文章力検定2級、TOEICを1年で修めるプログラムを行っている。

2008/08/24

吉武博通(2008)「知識基盤社会における大学職員の役割」『大学時報』

 職員に期待されるプロフェッショナルとしての役割を、教育研究(客観データの分析とFDの推進)、人的基盤(人材育成・評価システムの整備)、財務基盤(財務戦略の策定)、ハード・ソフト基盤(情報システム基盤整備、効率的な意志決定システム整備)、リレーション(産学連携、地域貢献、同窓ネットワーク、国際連携)の5つで考える。

 こうした人材をどう育てるか。第1に、理想の職員像を明らかにして学内で共有すること(ディプロマポリシーと同様)、第2に、理事・部課長のマネジメント能力育成が重要。これらは、OJTをベースに、研修プログラムを組み合わせて育てる(具体策の言及なし)。

 これといって新しいことも、具体的な政策や解決策を述べたものではない。

2008/08/23

喜多一・井田正明(2003)「大学評価と大学情報データベース」『大学評価』No.3 pp.5-20.

本論文は、大学の評価のための情報活用について述べたものである。論旨として特に重要な点があるというわけではないのだが、本論文なりの評価論について触れた点があるので、ここで簡単にまとめておく。
情報という点から評価の課題をまとめると、使命の複合性、ステークホルダーの複合性、活動の多様性、アウトカム計測の困難さがあるといえる。
  • 使命の複合性:教育・研究・社会サービスという組織全体としての複合的な使命に加えて、個々の教員が多面的に関わっており、大学院など教育と研究が不可分な領域もある。他学部への教育参画、学外者との共同研究もある。そのため、その寄与が情報として把握しにくい。
  • ステークホルダーの複合性:使命の複合性に関連して、その利益の享受者も複合的である。例えば、教育の直接的受け手は学生であるが、間接的に活用するのはその雇用者であり、学費の負担は多くの場合学生自身ではなくその親と、公的支出を払う社会全体である。また、研究成果も学問領域の知の蓄積だけでなく一部は社会にも還元される。満足度などの調査を行う際には、こうした情報の把握を行った上で行われなければならないだろう。
  • 活動の多様性:Boyerによれば、大学教授職の使命を学識(Scholarship)を発見(Discover)・統合(Integration)・応用(Application)・教育(Teaching)することと言う点からも多様であることがわかる。例えば、研究は学問分野によって投入する資源やプロセスが大きく異なり、発表形態も多様である。
  • アウトカム計測の困難さ:評価を困難にする点がここであり、例えば教育で明示的に獲得した知識は計測しやすいが、問題を発見・設定して解決する力は計測が困難である。研究面では査読システムが比較的計測として使いやすいが、多様な研究成果の発表形態の一つであり、全てを覆うものではない。まして、研究成果が社会に与える効果などは計測が困難であるし、多くの費用を要する。また、アウトカムの計測にはタイムラグが存在する。教育・研究の成果が即時に現れるとはかぎらないが、長い時間を経て得られたアウトカム情報がどれほどの価値を持つのかというのも問題であり、正確性と迅速性のトレードオフ問題が存在する可能性がある。
評価における問題点を述べたものは、それはもう数え切れないほどあると思うが、比較的コンパクトにまとめられているのではないかと思う。評価情報の収集にあたって、こうした点を十分考慮すべきであると本論文では主張している。

2008/08/22

Yonezawa, A. (2002) "The New Quality Assurance System for Japanese Higher Education: Its Social Background, Tasks and Futuer," Research in University Evaluation, No.2, pp.23-34.

本論文は、日本の大学において評価が必要になってきた背景と、新しい評価システムについて述べることを目的としている。しかしながら、その論旨を一言で述べると、評価のための情報収集の方法を確立し、そのデータベースの活用を早急に進めるべきであるというものにとどまっており、研究論文としてはほとんどインプリケーションのないものになっている。本論文は、大きく分けて(1)質の保証(Quality Assurance)の複雑な文脈の中における大学評価学位授与機構(NIAD)設置の背景、(2)新しい質保証システムのデザイン、(3)大学評価活動の大学へのインパクトについて考察する。
まず、日本の高等教育の特徴であるが、(1)行政組織は欧州型に近い、(2)大学の序列が明確、(3)私学セクターが大きい(この点は韓国も特徴的)という点があげられる。こうした中で、教育・研究・社会サービス活動のQAについては、日本が複雑な背景を負っていることが指摘されている。すなわち、戦後QAの責任は文部省が負っており、大学基準協会は実質的な機能を果たしてこなかったが、その後、質の保証は大学の自己評価が基本であるというトレンド、大学の社会的な存在意義を高める動きとしてJABEEなどに代表される専門団体による認定の動きが現れ、第三者評価の要請とそれを束ねる機関の設立が要請されるに至った点である。評価システムとしてはアメリカ型がよく知られているが、高等教育の制度からみるとイギリス型の評価システムを日本は注目すべきである。
第三者評価機関は(1)教育・研究活動の改善活動と成果を各大学にフィードバックする役割であることと、(2)評価手法の専門職団体であることの二つが求められ、本論文でいうNIADによる新しいQAシステムはこれである。そのために、NIADには大学評価、大学改革と質的評価に関する研究、大学評価に関する情報の収集・分析・公開の機能が付加されている。
次に、評価プログラムについてであるが、前提としてNIADは質保証は大学の自律的な仕事ととらえている。すなわち、自らゴールを設定し、それに基づいて外部評価を行うということである。その評価プログラムは3つのタイプに分けられ、(1)テーマ別評価(特定領域において日本の大学全体を評価する)、(2)専門分野別の教育評価(ミッションが評価の鍵になり、5年ごとに行う。教育の目的とゴール、教育の内容と方法、学生支援・教育成果、社会サービス・交換プログラム、教育の質の向上と改革のシステムの5点を評価する)、(3)専門分野別の研究評価(ピアレビューが質を保証する。研究の目的とゴール、研究の内容と水準、社会・経済・文化への貢献、機関の目的への到達、研究の質を向上させる組織的対応の5点を評価する)とまとめられる。
こうして、いわゆる「機構評価」が行われるようになった結果、NIADは、機関がミッションを明確にし、機関の差別化を図るための高等教育の情報の提供、すなわち、高等教育の巨大なデータベース作りと活用を進めるというインパクトを与えたと論じている。しかしながら、こうした形でNIADの存在意義を主張するだけでは、QAの本質を語っていることにはならないだろう。本論文は非常に重要な問題意識を持っているものの、その論旨が主観的な点と、論旨をサポートするバックが論理性や学術性に欠ける点が非常に悔やまれる。まず、QAにあたって「質」というものをどのように考えるのかという議論が前段階に必要となるだろう。

2008/08/14

McMillan, M. and Chan, W. (2006) "University Efficiency: A Comparison and Consolidation of Results from Stochastic and Non-stochastic Methods," Edu. Econ., 14

 本稿は、カナダの大学効率性推定を事例に、DEAとSFAの結果の違いを検討した大変興味深い分析である。

 効率性推定において、どちらのモデルを選択すべきかについては、判断基準がない。そこで、両者の推定を比較して、その特徴を出そうという意図である。

 45の大学について、出力変数として理系在学数、文系在学数、修士数、博士数、外部研究費額、教員平均給与額、文系教員の外部研究費獲得件数割合、理系教員の外部研究費獲得件数割合、博士課程を持たない大学ダミーを入れる。入力変数は、総支出のみである(DEAとSFAの比較のために、入力を1変数にしている)。

 推定は、外部研究費獲得件数割合を含めるものと含めないものの2種類をそれぞれ、narrowとbroadとしてモデル化する。

 結果は、モデルによってかなりばらつきがあることがわかる。結果の効率値ランキングの相関は、どの組み合わせも低い。強いて言えば、narrowモデルの方が一致性が高くなる傾向はある。すなわち、単一の推定では結論を誤る可能性がある。

2008/08/09

里見朋香(2008)「「体験的」大学職員論」IDE No.501

 本稿は、本省官僚による大学職員体験論であるが、大変興味深い指摘をしている。

 指摘は4点で、大学の自治は教員の自治、事務からは言えない、説明しておかなくていいの?、代理がきかない、である。

 そして、SDなどいろいろ言われるが、前提条件が必要であり、職員のエンパワーメント、すなわち、運営に関わる執行部や教員が、職員を大学運営の対等なパートナーとして認めることであると指摘する。

 中でも、説明しておかなくていいの?という指摘は、職員のみならず、大学の至る所で見られる。

 改革案は、関係差に応援してもらわないといけない。そこで、ご説明が必要で、委員会なら委員の一人一人に出向いて前もって意見を聞いておくことが必要だ。省庁では常識とのこと。下準備をする文化を創らなければならない。

2008/08/07

小田切宏之(2008)「公益事業と競争政策」経済セミナー No.634

1日に100人利用する駅と1000人利用する駅を比べるとき、校舎を10倍大きく作る必要はない。100人しか利用しない駅にも改札口は少なくとも1つ必要で、電車が停車できるプラットホームの長さが必要。すなわち、最低限の大きさが必要。

このため、利用者あたり費用は利用者数が増えるに従って逓減する。これが規模の経済性。

これは、設備を重複して建設・維持することが社会的に非効率であることを意味する。
このため、必然的に独占になりやすく、社会的にも独占の方が効率的になりやすい。(自然独占)

これらは設備を建設・維持するコストが大きく、サンクコストであるため、新規参入が難しい。この状態では、高価格を設定しやすいため、認可を行うなど価格規制を行うことが一般的である。

こうした産業では複数事業間で、範囲の経済性が生まれやすい。

2008/08/05

山本眞一(2008)「これからの大学職員」IDE No.501

本稿は、大学職員の能力について述べたものであるが、端的に言えば、大学職員に必要な能力は専門性ではなく、問題解決能力である。

日本では、教員数に比べて職員数が少なく、専門性を主張するほどの余裕はない。

興味深い指摘であるが、問題解決能力と言ってしまえば、それは社会人基礎力であり、あらゆる職種に求められる能力である。本当にこんなことを主張するために、本稿のような文章を書いたのであろうか。

その養成についても曖昧な主張であり、説得力のある論稿とはなっていない。

2008/08/04

金子元久(2008)「大学職員の展望」IDE No.501

大学職員の展望という題目で書かれた論稿であるが、特別興味深いことを述べているわけではなく、むしろ冗長とも言える内容である。

しかし、一点目を引くのは、日本では将来事務職員(や教員管理職)の専門化は進まないと論じている点である。

現代の大学職員に求められるのは、大学全体がどのような課題を抱えているかを考えるための広い視野、大学がどこへ向かっているかという方向感覚、それを具体的な業務に結びつけていく知恵である。
その形成に向け、人事制度、処遇、能力開発を、組織的・計画的に形成することが、大学に求められている。

2008/08/03

上杉道世(2008)「トータルプランで職員を変える」IDE No.501

 本稿は、東京大学の事務局長であった人物による、同大学の事務職員改革に関する紹介である。  興味深い点は、職員組織の改革では、「全ての課題を一気に示して、同時並行で改革する」という点である。これが、トータルプランという意味であろう。 人事
  • 定員管理方式から、人件費管理方式へ
  • 統一試験に加え、独自採用試験実施
  • 非常勤職員の選考採用
  • 大学職員キャリアガイドを作成、将来の希望を書かせる
  • 研修は、課題発見解決型
  • 若手に新人の採用面接と初任者研修、メンターをさせる
  • 幹部職員は学内公募制、論文と面接と業務実勢で判定
  • 目標管理方式評価は現在試行中
組織
  • 部・課をやめ、全てグループ制
  • そのため、決済は立案責任者と承認責任者の2つだけ
  • 従来の役職呼称は処遇上残すが、給与体系とは切り離す
業務
  • 学内から業務改善案を募集、収益なものを実施し、優秀な取り組みは学長表彰
  • 幹部職員行動指針、新人職員応援ブックの制作
 大変興味深い取り組みであり、改革はスタートが大事だということが言える。はじめに、問題を全て出して、徐々に全体を変えるやり方は、多くの組織が参考にできると考えられる。

2008/07/27

治部眞里・安髙志穂(2008)「国立大学法人等の財務分析(調査資料—150)」科学技術政策研究所政策研ニュース No.231

 各国立大学法人が、教育・研究・社会貢献の機能を如何に自律的に分化させているかを、以下の9つの指標から分析する。
 各指標は、平均50、標準偏差10となるように規格化し、教育・研究に関しては、それぞれを構成する指標の平均を求め、9つを組み合わせてクラスター分析を行う。
  • 教育: 教育経費率、教員あたり学生数、学生あたり教育経費 
  • 研究: 研究経費率、教員あたり博士課程学生数、教員あたり研究経費、論文数、特許公開件数 
  • 社会貢献: 国等以外の受託事業費及び寄付金収益 
結果として、10のクラスターに分けられた。
  • 研究の偏差値が60以上である2グループと3グループは、基盤的資金に対する外部資金等の割合が非常に高い=研究を強く推進するためには、外部資金の取得が不可欠
  • 社会貢献の偏差値が高い大学あるいは教育の偏差値が高い大学は、総じて基盤的資金に対する外部資金等の割合が低い
  • 次に、教育、研究、社会貢献、それぞれの偏差値が50前後でバランスを取っているグループは、基盤的資金に対する外部資金等の割合が、0.2-0.4前後
結論としては、
  1. 国立大学法人が、歴史的経緯・学部構成・専門領域に着目して作られた類型化「国立大学法人の財務分析上の分類」の同一類型内であっても、さらにサブグループ化が必要なこと 
  2. 国立大学法人が同一の機能や特性を持つものではなく、多様化していること
  3. 基盤的資金に対する外部資金等の割合が高い大学は、研究にその機能を特化させ、反対に基盤的資金に対する外部資金等の割合が低い大学は、研究以外の機能を特化させていること 

2008/07/22

Dochy, F., Segers, M., Bossche, P. and Gijbels, D. (2003) "Effects of Problem-based Learning: A Meta-Analysis," Learning and Instruction, vol.13, pp.533-568.

 本稿は、これまでに行われてきたPBLの効果検証論文をサーベイし、全体としてPBL教育に効果があるか否かを検討したサーベイ論文である。本稿では、効果の対象としてみたい変容を知識と技能の2種類に特定する。43の先行研究を調査した結果は、知識に関しては負の効果、技能に関しては正の効果、全体としては負の効果という結果を得る。この点は医学教育を例に考えると納得のいく説明になるかもしれないが、先行研究が全て医学教育を対象にしたものか否かが不明であり、より詳細な検討が必要である。

 本稿の分析手法で興味深いのが、投票法と統計的メタ分析という2つの手法である。投票法は手法というほどのものではなく、単に先行研究の推計値の正・負を数え上げて集計するだけのものである。ポイントは統計的メタ分析であるが、比較可能な平均値を持つ推計値の有為差を測定するもの、分散まで考慮に入れるものなど、かなり複雑な操作を行う。この具体的手法は、Cooper (1989)にまとめられているということで、今後サーベイする。分析に用いる従属変数は、医師国家試験のような知識ベースの試験の得点を使用する。しかし、技能は、知識の応用をみる試験の得点ということで、両者の関係は完全に切り離せないもののようである。

2008/07/19

Colliver, J. (2000) "Effectiveness of Problem-based Learning Curricula: Research and Theory," Academic Medicine, vol.75, no.3, pp.259-266.

本稿は、PBL教育の効果を批判的に検討したサーベイ論文である。具体的には、PBL教育と従来の教育を受けた学生を比較した研究のサーベイを行う。先行研究で報告された結果をもとに、両者の平均差を全体の標準偏差で割って求めた標準化平均差を、Effect size d値として抽出し、教育効果の検証を行う。個別指導を最も効果的な教育と仮定して基準化すると、個別指導と従来型大学教育ではd=2、PBLとはd=1の差がある。

先行研究では学生の無作為抽出が問題となっている。つまりPBLカリキュラムに自発的に参加したか否かによって、先行研究が2タイプに分かれる。通常、自発的に参加する学生は学習意欲が高く成績も良い傾向があるので、本来は無作為抽出が望ましい。無作為抽出の研究では、PBLに教育効果はなし、負の効果さえあることが示されている。ただし、医師国家試験等の選択式テストの結果でPBLの効果を測る点に注意すべき。自発参加の研究でも、それほど大きなPBL教育効果は認められない。

結論としては、PBLの教育効果は全くないとは言えないが、負になる場合もあり、概して高いとは言えない。この結論は、大変重要な点であろう。理論的には絶賛されるPBLであるが、実践上の疑問が示されているということになる。もちろん、実証分析上の問題はあるだろうが、PBLに過度な期待をしないというメッセージは注目すべきだろう。

2008/07/15

川崎一泰(2006)「初等教育における少人数教育の政策評価 仮想市場法(CVM)を使った計量モデルによる検証」『会計検査研究』No.33, pp.239-258.

 本稿は、少人数教育導入の効果を、アンケート調査結果を用いて計量的に検証することに挑戦した、貴重な研究である。

 学習の価値Vは市場で決定する人的資本で表される。全生徒数をZ、教員数=クラス数をmとすると、クラスの構成員はn=Z/m、クラスを維持する費用をW、他人の学習を邪魔しない確率をp、これはクラス規模に依存し、確率p^nで規律が保たれ、1-p^nで学級崩壊を起こすと仮定。この時の社会全体の利潤は、

 Π=ZVp^n-Wm

 生徒一人当たりに置き換えると、

 π=Vp^n-W/n

 上式の最大化の1階の条件は、

 Vp^n ln(p)+w/n^2=0

 利潤が負になると教育を行う意義がなくなるので、非負条件Vp^n≧W/nをつけると、上式は次式へ変形できる。

 1+n logp≧0

 クラス規模縮小の限界効果を、規律の度合いpで微分すると、

 ∂(-d(Vp^n/dn))/∂p = -Vp^(n-1) (1+n logp) < 0

 この結果は、規律の低い生徒を対象とするほど、クラス規模縮小の限界効果が高くなるので、学級崩壊に陥ったクラスを立て直すためにはクラス規模を縮小することが解決策の一つとなることを示唆する。

 この枠組みを実証分析にのせるために、少人数教育に対する支払い意思(40→20人学級への移行希望と月間負担増額)をアンケート調査し、便益を推定する。成績を上位・中位・下位に分け、ダミー変数を作成し、次式を推定する。

 WTP = f(d, X)

 結果としては、OLSでもヘックマンの2段階推定でも、全成績グループで正値で有意な係数が得られ、少人数教育に関する正のネット便益が発生する可能性が高い。

2008/07/09

Ono, Y. (2006) "Fallacy of the Multiplier Effect: Correcting the Income Analysis," ISER Discussion Paper No.673.

公共事業の合理性の根拠で、公務員試験の問題にも堂々と出される乗数効果。だが、例えば道路に穴を掘って埋めるだけの工事で国民所得が上がるような魔法は本当に存在するのか。ケインズの議論に真っ向から勝負するおもしろい論文に出会った。

本論文の結論は、意味のない公共事業は失業手当の配分と何ら変わりがないというものである。

どこにでもあるマクロの教科書には、国民所得の決定式として次式が示される。
y = c(y-t+z) + g + i
この式から、dy/dg = 1(under z=0), dy/dz = 0 (under g=0)がわかるが、これは、公共事業は常にその価値に等しい国民所得上昇効果を持ち、失業手当は所得の再分配だけで所得を上昇させないという意味だ。

ここで著者は鋭い指摘をする。そもそもの誤解は、政府支出=その生産物価値と捉える点である。民間部門は、生産物を売って所得を得る。その値は c + i に等しい。よって、可処分所得は
yd = c + i + g + z - t
であり、cはydに依存するから、c = c(yd)である。

一方で、国民総生産は総消費、総投資、「公共事業の価値」で決まる。ここがポイントで、公共事業の支出額は費用であって生産ではない。実際の生産は支出に効率係数θを掛けた値だろうと考える。すなわち、全く無意味な公共事業ではθ=0となる。すると、総生産は
yv = c + i + θg
で表せる。

あとはパラメータの特性を調べるだけ。
yd = c(yd) + i
が得られるから、dyd/dg = 0, dyd/dz = 0 であり、政府支出も失業手当も所得を変化させないことがわかる。

yv - θg = yd
の関係から、yv = c(yv-θg) + i + θg であり、dyv/dg = θ, dyv/dz = 0 が得られる。
公共事業の価値は効率性θで決まる。意味のない公共事業が、効果を持つことはない。

2008/07/04

Johnes, G. (1996) "Multi-product Cost Function and the Funding of Tuition in UK Universities," Applied Economics Letters, vol.3, pp.557-561.

 本稿は、英国の学士課程の学費政策を分析するものであるが、OLSとSFMを比較するという特徴がある分析である。

 本稿では学生負荷、大学院負荷、獲得研究費の3つについてそれぞれ文系理系ごと、計6つの変数を投入物兼算出物として扱う分析を行う。費用関数は、6つの一次項、二次項と15の交差項を含む線形関数を考える。

 資金配分者は、V = wx - zx - (1/n)Ax という価値関数を費用関数を制約条件として最大化する。ラグランジュアンで解くとAx = nw - z という一階条件が得られる。のだが、ここからが理解できない。実際のデータを使って、従来のOLSで費用関数のみを推定する結果は示される。SFMはどこへいったのか。また、28個のパラメータを含む推定に使用したサンプル数はいくつなのか。対象となった大学数は50前後ということなのだが、計算手法で理解できない部分が多い。

 結局のところSFMはどういうものなのか、何度読んでも理解できないままで先へ進めない。当分は格闘することになる。

Jondrow, J., Lovell, K., Materov, I. and Schmidt, P. (1982) "On the Estimation of Technical Inefficiency in the Stochastic Frontier Production Function Model," Journal of Econometrics, vol.19, pp.233-238.

 本稿は、SFM推定において、誤差項を非効率性とホワイトノイズに分解する方法を示した統計理論の文献である。

 y = g(x, b) + e という生産関数において、OLSで推定を行うと、e^ = y - g(x, b^) という推定値が得られるだろう。しかし、これでは推定された残差のうち、v とu がそれぞれどの程度含まれているかがわからない。

 本稿は、σ2 = σu2 + σv2、u* = -σu2 ε/σ2、σ*2 = σu2σv2/σ2の時、u のεで条件づけられた分布は、ゼロで切断されたN(μ*,σ*2)であるという結論を示している。純粋な理論の文献。

井原徹(2008)『私立大学の経営戦略序論』日本エディタースクール出版部

本書は、著者がこれまでに各誌で大学職員論について書いてきた文章をまとめた作品集という性格の本である。
意欲的な題目であるが、基本的には著者の職員としての経験を紹介しながら、職員論について論じるものである。そうした点で、一般的な知見をまとめたものとは言い難い。

本書では、経営の根幹は、(1)達成目標の設定、(2)戦略立案、(3)実践のための意志決定であると言う。そして、職員にはポジションが必要であり、職務概要、職務権限、職務資格要件をポジションに明示して、各職員を配置すべきという。
一貫して述べられているのはこの点であり、それ以上のことは語っていないが、興味深い指摘である。

しかし、このポジションという考え方は、概念として理解できるものの、運用上機能するかがわからない。豊富な事例を出しているのだから、この点を述べるべきだろう。
大学では、ポジションを明記した専門職が必要である一方で、事務職も必要である。それらにも全てポジションの明記が必要なのだろうか。あるいは、そうした業務は人員整理が容易な非正規労働へ回すのか。そうした分断された職場では、雰囲気が悪くなるのではないか。

ポジションも大事だが、職員の職能開発全体を描くキャリアマップのようなものを用意し、その中で、どのようなトラックを選択するのか、現在のポジションはどの位置にいるのか、という取り組みに発展してはどうだろうか。

2008/07/03

Stochastic Frontier Method

 SFMは、通常のOLS推定 y = xβ+εの誤差項をε= v + u というホワイトノイズと非効率性の二つに再構成するものである。以下、そのことを確認する。

 いわゆる非効率性には技術非効率性と配分非効率性の二つがある。そのうち、ここでは技術非効率性に注目して分析を行う。通常、効率性を計算するには完全に効率的な生産関数が既知である必要があるが、無論非現実的である。そこで、完全に効率的な生産関数を推定するという作業が発生する。その推定方法には2つあり、(1)DEAのようなノンパラメトリック断片的線形化法による推定、(2)SFMのようなパラメトリックな関数型を使う推定、の2つである。
 今、ln yi = xiβ、yi は第i主体の生産量、x は第 i 主体のK個の投入ベクトルである生産関数を考える。
 ここで、各主体は所与の投入量の下で生産量を最大化していると仮定する(これがポイント)。その場合、生産量は xiβになるはずであり、これをフロンティア生産量 yF とする。しかし、実際の yi は yF よりも小さくなる。
 すなわち、ln yi < xiβである。書き直すと、ln yi = xiβ- ui と考えられる。すなわち、第 i 主体の観測できない何らかの技術非効率性があることを意味する。さて、所与の xi の下で、技術非効率性は、yi/yF であるから、

 yi / exp(xi b) = exp(xi b - ui) / exp(xi b) = 0 < exp(- ui)≦1

つまり技術非効率性の大きさが、第 i 主体の非効率性を表すことになる。

 さて、以上の議論から、技術非効率性は「非負」の確率変数である(ui≧0)。ln yi = xiβ- ui をそのまま推定しても他の誤差を含むので、iid な v~N(0,σ2)という誤差項を加えて、ln yi = xiβ+vi - ui 、v と u は独立、という関数の推定を行うことになる。u はhalf-normalの分布である。

 さて、yF はxiβ+ vi、yo はln yi = xiβ+vi - ui である。yF は主体によって異なり、yo は確率的な yF でバウンドされる。なので、Stochastic Frontier 呼ぶ。(vi - ui) という項の存在は、OLS、MLとも推定量に影響を与えない。

 SFMの理論的な面はわかりやすいが、実際の推定作業はなかなか表立って論じられることは少ない。v と u の2つの分布については通常、v i.i.d. N(0,σv2)、u i.i.d. truncations (at zero) N(0,σu2)を仮定する。Aigner et. al. (1977)では、分散のパラメータを、σ2 = σv2 + σu2、λ= [σu /σv]≧0 とした。Battese and Cora (1977)では、σ2 = σv2 + σu2、γ= (σu2 /σ2)∈[0,1] とする点が違う。どちらかというと、後者の方が、γの初期値を [0,1] の範囲から選んで収束計算を始められる点から好まれるようである。このとき、具体的な尤度関数は、

 ln L = -(n/2)ln(π/2) - (n/2)ln(σ2) + Σln[1 - Φ(zi)] - (1/2σ2)Σ(ln yi - xiβ)2

ただし、Φは累積分布関数、zi = [(ln yi - xiβ) /σ]√(γ/ 1-γ)。これを最大化するβ、σ2、γ(K+2)を求める。手順としては、OLSで、βとσの初期値を作り、γを[0,1]で選んで適当なアルゴリズムで収束計算を行う。こうして推定されたσとγを、E[exp(-ui)] = 2[1 - Φ(σ/γ )] exp(- γσ2/2)に代入することで、技術非効率性を計算する。

リクルートHC(2007)『感じるマネジメント』英治出版

本書は、会社の理念を従業員に共有してもらうプロジェクトについて示した、実践記録である。

組織の理念や方針を、どのように構成員に理解し、それにそって行動してもらうか。
そのためには、各構成員が自ら理念について考え、共感して、実践してみたいと思ってもらう必要がある。
当たり前だが、これほど難しい組織運営課題はない。本書は、これについて様々な示唆を与える。

  • 経営ビジョンは説明してもだめ。それに対する説明者の経験や自分の実践を語ると、聞き手の共感の手がかりとなる。
  • 理念浸透という目的が達成された状態とは、その組織の全ての人が、理念と自分自身とのつながりを見出し、行動を通じて表現している状態
  • 従業員の評価を、業績と理念の実践の2つの観点で行う。理念を具体的な好ましい行動やあるべき職場の状態に分解して定義し、自分・自分の組織がどれだけ実践できているかをサーベイする。(日本では雇用に直結する仕組みは難しいが。)
  • 理念の浸透には、トップの意志と行動、プロモーション、職場での実践、物語の伝承、仕組みの設計と運用の5つが必要。そして、職場での実践には、語り伝え(知識による学び)、体験の共有(行動による学び)、対話(つながりの発見)の3つの取り組みが必要。
  • 有名ヘッドハンティング会社コンサルタントの給与は、完全年控序列・歩合給なし。自分たちはチームで仕事をする会社とし、他のコンサルタントの案件に躊躇なく貢献できるようにした仕組み作りの例。

2008/07/02

Izadi, H., Johnes, G., Oskrochi, R, and Crouchley, R. (2002) "Stochastic Frontier Estimation of a CES Cost Function: The Case of Higher Education in Britain," Economics of Education Review, vol.21, pp.63-71.

 本稿は、これまで多数行われてきた高等教育機関の費用関数推定を拡張し、費用最小化に関する対数尤度関数を用いた分析を行う。

 従来の研究は、CES型、二次形式型、トランスログ型などの関数型から最も当てはまるものを選んで結果を示していた。理論的に導出される費用曲線は技術効率的な状況化を反映したものだが、実証的に推定される曲線には様々な非効率性を含んでいる。フロンティア分析においても同様なため、確率的フロンティア分析か非線形モデルの定式化が代替的な手法となる。こうした分析は過去になく、ここでは94,95年の英国の大学99機関のデータを用いて、確率フロンティア手法によるCES型費用関数推定を行う。誤差項については、正規分布と片側正規分布の2つの要素から成る項を仮定する。先行研究では、パラメータが少ない場合はCES型費用関数をOLSかNLSで推定するものが多い。その中には、大学院の学費に関して規模に関する収穫逓増の結果を得た研究もある。しかし、範囲の経済性については研究によって結果は多様である。

 フロンティア推定では、xを説明変数、θをパラメータとし、誤差項についてはε= v + uで、v~N(0,σ2)とu~|N(0,σ2)|を仮定した次式を最尤法で推定する。

 yi = f(xi, θ) + εi

 本稿の分析では、次式のCES型費用関数を非線形最尤法と確率フロンティアで推定して結果を比較する。

 y = α+(β1x1^γ1 + β2x2^γ2 + β3x3^γ3 + β4x4^γ4 )^ρ+ε

それぞれ、総支出、文系学部学生数、理系学部学生数、大学院生数、研究費のデータを使う。この結果から規模と範囲の経済性を計測して技術効率性も各機関ごとに算出する。結果的には確率フロンティアの方が、優れた推定値が得られる。

 本稿には、具体的な計算方法が書かれていないので、別の文献で確認する必要がある。

2008/06/28

早田幸政(2007)『よくわかる大学の認証評価』エイデル研究所

アメリカのアクレディテーションでは、機関別と分野別の2つが行われる。機関別評価のポイントは、(1)全ての大学がミッションを掲げ、達成可能な目標を定めているということ、(2)個々の大学のミッションが独自性・特殊性に富んだものであることの2つ。

評価ではリエゾンオフィサーが任命され、3年で自己点検から認証評価までを行う。3~4人の専任スタッフにデータ収集を行わせ、多くの人に協力を求め、自制心が強く、他人とうまく対応できる人でなければ務まらず、学内の意志を統一し、一つの方向へ向かわせる重大な使命を委ねられているといえる。

リエゾンオフィサーは、(1)高等教育に関する知識を高め、(2)評価機関の示す基準に精通し、(3)第三者評価に対する学内の理解を深め、(4)関連性のあるデータ・情報を蓄積し、タイムスケジュールを作成することが求められる。

評価で重要なことは、改善に必要な弱点は、大学が把握し、具体的な改善策を示していることが重要。100点のレポートではおかしい。

2008/06/20

藤田整(2007)『大学卒業制度の崩壊』文芸社

本書は、筆者が提案する大学卒業制度の廃止を、様々な傍証を引用しながら説明したものである。
筆者が指摘する、卒業認定の厳格性に関する指摘は、多くの大学人が同意するところであると思われるが、それが直ちに卒業制度廃止論へ向かうとは短絡的すぎる。
筆者には大学教育の目標という概念がなく、卒業制度廃止後の大学の組織としての目的をどこに置くのかを考えないため、現状への不満を述べているにすぎない。
筆者の指摘する問題は、大学教育のみならず、職業キャリアのスタートとなる新卒採用慣行にあるのに、大学内だけで解決しようとするために、方向違いの提言になってしまうのだろう。

2008/06/15

ロバート・アンホルト(2008)『理系のための口頭発表術』講談社

本書は、口頭発表に関する実践的なノウハウをまとめたもので、理系のみならず全ての人に有益なものである。
  • 口頭発表術は単なるノウハウやコツではなく、努力して習得する専門技能である
  • 聴衆の傾向、要望、興味を知り、何を求められているかを知る(これが、意外とむずかしいのだが)
  • 最初にこれから何を話すか話し、その話をし、最後に今何を話したかを話す
  • 導入ではズームインで重要な原理との関係を示し、事実の羅列ではなく文脈を作って物語を語る
  • 強固で憂鬱の決定的な結論(お土産メッセージ)を示す
  • スライドは、入念に作成し、単純を心掛ける
  • ゆっくり話すことで問題の90%は解決する、緊張しているときこそゆっくり話す
  • 緊張するときは、冒頭だけ読み上げ原稿を作る

2008/06/12

金子元久(2007)『大学の教育力』ちくま新書

本書で言う大学の教育力とは、大学教育が学生に与えるインパクトを指す。単に大学側の教育の働きかけのみで決まるものではなく、学生側の知的・意志的準備や期待も重要な要因。

大学教育への満足度と大学教育のインパクトは必ずしも一致しない。学生を、高同調、限定同調、受容、疎外の4類型に分けると、高同調はもともと満足度が高く、インパクトも高い。限定同調は満足度が高いがインパクトは小さい。受容型は大学への期待が高いほど現状への不満が大きくなる。

ドイツの大学のにおける講座は、正教授のポストを意味する。教授1,助教授2,助手2,学生・院生といった、制度的に標準化された単位組織としての講座は日本独特のものである。先端的な専門分野を急速に導入し、後継者を養成する上では大きな役割を果たした。

日本の大学は、学生の学習に対する制御機構が弱い。学習の事由を前提としながら、ドイツのような外部の卒業試験がなく、大学教育の修了を証明する手段がないと言える。むしろ、実際に学生の学習行動を強力に制御することが困難であることが問題である。日本の大学教育の内容はきわめて専門的である一方で、実際の職業上に要求される知識・技能とは乖離し、教育内容は就職の実質的な条件となっていない。

経済の国際的な競争の中では、広い知識と視野に立った、的確な判断力を持った人材が求められる。こうした高度のホワイトカラーを労働経済学者ライシュはシンボリックアナリストと定義し、(1)具体的な現象からその背後にあるものを見抜く抽象化の力、(2)それに基づいて広い視野から判断を行うための体系的志向、(3)常に新しい試みを果敢に実験する志向、(4)文化や価値観を持つ人々を含めて共同作業を行う能力が必要である。

企業は、学生の基礎学力を基準に採用し、各職場を定期的に経験することで技能を形成させる。こうした職業能力形成のあり方は、終身雇用制度に支えられ、職場全体としての効率性の向上に大きな役割を果たした。同時に、日本企業は大卒者に求める技能を具体的に表現できないことを示している。
これは、技術が直線的に発展する際に有効で、今やこのシステムは崩壊しつつある。大学入試による選抜機能の力が弱まり、一部の選抜性の高い大学を除いて大学入学が基礎学力を保証するものでなくなっている。

シラバスは、講義の予定を示すだけでなく、学習の到達目標を明確に学生に示すことに意味がある。また、到達目標は、学術分野での専門的な知識のみでなく、何らかの基礎的な能力の形成について設定すべきである。

高等教育の資源配分を、より選択的・集中的にする案があり、社会の一定の支持を受けている。これは、社会人自らが、大学教育から有効な影響を受けたという実感がなく、それを基本的に大学の怠慢ととらえていることを反映している。
高等教育の質の低さは、低コスト構造がもたらしたものであり、そのコスト構造をそのままにして競争的な資源配分をしても、質向上につながるかは疑問。市場的競争は、一定の質の製品をより低価格で生産するには効果的であるが、質が評価しにくい高等教育に当てはまるかは疑問。

2008/06/10

石渡嶺司(2007)『最高学府はバカだらけ』光文社新書


本書は、今日の大学事情を広く一般向けに紹介したものといえる。刺激的なタイトルを付けているが、内容は表面的で、特別新しいことが示されているわけではない。
学生のバカさと大学のお粗末さを指摘する一方で、大学の面倒見の良さも一面的に紹介している。既出の資料を再構成した書籍であり、著者による独自の貢献はあまりないように見える。著者は大学ジャーナリストとのことであるが、大学の構成員の話を聞いたものではなく、基本的に二次資料で取材した情報で書いているので、このくらいの内容になるのだろう。
以下、メモ書き。
大学の勉強について行けないなら、専門学校への進学や高卒での就職をすべきとはいかない。高卒・専門卒よりも大卒の給料は高い。親なら給与条件のよいところへ就職させたい。高校も進学実績として、専門学校より大学の方がアピールしやすい。学生も専門学校で必死に勉強するより大学で4年間いろいろやりたい。
私大推薦入試の上限は、1995年、大学3割、短大5割→2000年、大学5割、短大制限なし
国大協は、1996年、3割→2006年、5
大学数増加要因は、(1)短大昇格、(2)自治体の見栄、(3)学校経営者の見栄。この新設大学は、ユニークな学部などで差別化を図る。

2008/06/05

水月昭道(2007)『高学歴ワーキングプア』光文社新書

 本書は、任期付きの職にある博士が、日本の大学院拡充政策の功罪を論じるエッセイである。

 本書の基本的な違和感は、博士は有能で尊敬されるべき存在なのに、現状や待遇は異なっている、という前提をおくとも読み取れる記述の仕方である。すなわち、博士イコールあらゆる面で優れたスキルを有する人材という前提である。著者自身が述べているように、今日の博士は能力証明書であり、これだけ増えたのだから教員職にこだわらなくてもよいと考えられるが、そうした指摘をしながらも博士取得者を別の種類の人間のように主張する点が、読み手に違和感を抱かせる。

 しかし、やはり博士は卒業証書にすぎない。研究ができることの証明は研究業績で、教育面での有能性を示すには教育業績で、そのたコミュニケーションなどのスキルは相応の実績で示せばよい。

 確かに、文部科学省の政策に誤りがあったのは間違いない。しかし、それをこのような形で本にしては、著者の評判を逆に落とすことになるのではないか。

 その他、興味深い点ならびに検討を要する点は以下の通り。
  • うちは教員の博士取得率があまり高くない。三流私大出身の私が学位を取ってしまったことに不快感があったのかも。
  • 大学院に誘った教員は最初から学生たちの未来を見通していた可能性があるのではないか。大学は、学校法人の中心である理事会によって意志決定がされ、経営戦略の中で何が優先されるのかによって、動きが生じる。
  • 専任に就いた者の勤務日を週3日と記す。
  • 専門をある程度極めた人間を、それと全く関係ない仕事につけることは、社会全体の不利益。博士の養成には多額の税金が投入されているため。
  • 増えた博士を活かす方法として、高度なサービスの仲介者としての手数料収入を得る仕事。
文章自体は、博士が書いたとは思えないほど緻密さに欠ける点が残念でならない。

2008/05/22

阿部謹也(1999)『大学論』日本エディータースクール出版部

本書は、阿部氏の考える大学とはと、教養とはをまとめた文献である。99年に出ているが初出のある原稿をまとめたもので、同じ話の繰り返しの部分がほとんどだが、一貫した持論を展開している。
本書では、至る所で教養とは知識ではなく、生き方であると述べている。

  • 日本の大学は文系・理系という分け方をやめるべき。もともと明治政府が総合大学の中で工学部を主として、大学におけるリベラルアーツを無視した失策であり、今からでも反省すべき。
  • 教養とは、それぞれの持ち場においてその持ち場を誠実に生きようとしている人々の生き方の問題。
  • 教養がある人とは、仕事でおかしい・間違っているという重大な問題に、周囲の人とどんなに対立してもその主張をし、いかに生きるべきかの選択を日々している人。
  • 教養を身につけるとは、他人の生き方も認める・理解できるようにすること。個人が目標とする中で専門を深めながら身につける。専門科目は、知恵がなくともできる。
  • 日本は帝国大学を作る中でベルリン大学の理念を受け継いだが、欧州の大学にない工学部を作った。
  • 具体相を離れて天下国家を論じ、実務と実益から離れて経済・産業・法律を論じている人たちによって担われた国家は、危うい選択をする(ナチス)。
  • 問題は一般教育にあるというよりは、一般教育の教員の採用人事に問題があり、研究評価だけで教員を採用したため。
  • 大学は超俗的機関ではなく、世俗社会の中にありながら、世俗社会の論理に翻弄されることなく、我が国の将来のあり方を見据える所。大学の主体性とは、世俗社会に対しての主体性。
  • 大学人の喜びは、教育と研究。大学人の給与は一般社会の平均給与よりも上であってはならない。世俗の事情に疎い大学人は大学の使命を達成することができない。
  • 何かを成し遂げなければならないとき、悲壮な使命感に駆られて当たっても成功しない。全体として身体が自然にその方向へ動くようにしなければならず、そのためには練習が必要。日々の勉強を重ねることでアイディアが浮かび、普段の自然な緊張感こそが成果をあげる前提。

2008/05/20

岩下修(1989)『AさせたいならBと言え』明治図書

本書は、小学校教諭による発問と指示に関する実践事例集である。
Aをさせたいとき、Aしろと言っては何もできない。Aは概して目標であることが多いから。これを具体的な行動Bとして変換できるか否かに、教師の力量がある。静かにしなさい、ではなく、雨の音が聞こえますか、である。

教師の言葉のまずさは、教師が自分自身の内容を持っていないからであり、教材認識が確かでないからだ。教師の発言は、子どもを発見的認識に導くためにある。

子どもを動かす言葉作りの原則は、物、人、場所、数、音、色を含めること。共通の知覚体験をしたものであればゆれのない共通のイメージを喚起できる。
特に子どもは小さな特異点に注意が向く。へそ、つめ、など。

示される事例は小学生を対象としているのは当然だが、この原則は大人の世界でも通じるだろう。思考をせずに行動する大人が多くなった中で、考えて行動させ、知的な表情を引き出す工夫をすべきだ。

以下、メモ。ゴシゴシ洗う音、シャボン玉をふくらますように、腕で板を作る、あの教室の中に何がある、親書には何が書いてあった、ゴミを10個、爪を見なさい、先生の外を周りなさい、一番よかった場所、1ページに10個、音がしないように着地。

2008/05/05

杉山幸丸(2004)『崖っぷち弱小大学物語』中公新書クラレ

本書は、小規模大学学部長による随筆だが、同意できる部分が多く励まされる内容であった。論理的、科学的な文章ではないが、勢いがあり読み物としておもしろい。
  • かなり多くの学生が免許や資格に直結するような、就職が有利になるような、就職したら直接役立つような実学だけを大学における学問として頭に描いているようだ。高い授業料を払いながら改めて専門学校に入り直す行動でわかる。
  • 多くの学生が望んでいるのは座っているだけで自然に頭の中に入ってくるような教育なのだろう。
  • 弱小大学では意欲的な小中学校の先生が試みていることを全てやって、その上大学らしい教育ができたとき初めて大学教授としての誇りを持ってもよい。大学教員は個性を発揮することが推奨されている存在だが、それは互いの考えを理解し合い、基本線が合意されなければ、ばらばらな教育が行われるだけ。
  • 学生は教員の鏡であり、教員は学生の鏡である。教員が態度を正しながら自分と学生を磨く覚悟がないなら、教員不適格者である。
  • 教育は教授法が全てでなく、最新の研究成果に基づく最新の知識をわかりやすく、学生の身近な問題、学生の将来を豊かにする問題として伝えられなければ、教育に対する信頼は得られない。経営者は教員に十分な勉強時間を与えなければならない。教員が自分の研究成果の意味、評価、分野全体の中での位置づけを教育の中に生かせてこと、教員に対する学生の信頼度が増す。
  • 大学が自分たちをどんな風に見て、どんなふうに扱っているか、ぐうたらに見える学生は怖いほどクールに見ている。学生は人生をそれなりに考えている。大学上層部は子供や物品を扱うように学生を管理する見方をしてはならない。
  • 先生は何が楽しくて遅くまで研究室に張り付いて、時に休日まで費やし、そんな役に立ちそうもないことに情熱を燃やしているのか。それを学生に伝えることが大事。
  • 先生と言われたときから言う人と同じ地平に立つことは難しい。少し余計に我慢し、弱者の立場に立つことこそが重要。学生と同じ地平に立っても先生でいられることが大事。同じ平面で勝負し、学生より多く努力しなければ勝てるはずがない。駐車場は必要度の高さで決めればよい。
  • 長になったら自腹を切ってでも自分に批判的な人材を身近に配置しおくべき。高みに上がるほど、下からの声が届きにくくなる。下からの批判が聞こえたらほんとうはその数倍あると思えばよい。
  • 学長は社会の中で信頼に足る実勢をあげた人物でなければならない。弱小大学だからこそ、第一級の業績と力を持った人物を頂点に据えるべき。学生は学長が誰だって関係ないと思いながら、本当は誇りにできる学長を欲しがっている。胸を張って他人に名乗れる大学であり、学長であってほしいのだ。
  • 長は自分お考えを抑えてでも下の意見を採り上げなければならない。自分の意見を述べるときは十分にかみくだいて説明し、理解してもらわなければならない。
  • 自分の研究をどんな相手にでもわかってもらえるように説明できなければ、自分の研究を十分に理解していないことである。30分と言われれば30分で、3分と言われれば3分で説明しなければならない。
  • 著名人が、学生時代ろくに授業に出なかったがその後の人生で何も困らなかったなどと、嘘をつくのはやめてもらいたい。その人だって、学校を足場に何かに集中していたはず。それでも単位をとって卒業した秀才の部類。誰でもそれで成功するような惑わし方をしないてほしい。
  • 学校教育とは、普通の人間が普通の社会で人生を送れるような、普通の若者が元気を出せる教育であり、普通の若者が社会のルールを守り、調和を保って生きられるような常識ある人間を育て、普通人がささやかな反撃をする機会をつくるものである。

2008/04/25

堀公俊(2004)『ファシリテーション入門』日経文庫

問題とは、望ましい姿と現実とのギャップである。
組織で対処すべき大きな問題解決には、異なる意見を調整し、コンセンサスを生み出す必要がある。
  • 組織はリーダーシップとマネジメントで動く。リーダーの役割は組織の方向性を決めること。マネージャーの役割は定められた目標を達成すること。
今日求められるのは構造的(システム的)アプローチではなく、関係的(プロセス的)アプローチ、人と人の相互作用の集まりとして組織を考える。
  • ファシリテーションとは、集団による知的相互作用を促進する働き。中立な立場で、チームのプロセスを管理し、チームワークを引き出し、チームの成果が最大となるよう支援すること。
  • 横軸を個人的⇔社会的、縦軸を学習的⇔創造的とすると、第一象限に入る問題解決、合意形成、教育研修は主なファシリテーションのタイプ。
  • 合意形成型には、生み出した結果に正解がない。いかに納得性と合意の質を高めるかがファシリテータの役割。
  • ファシリテータは、対人スキルと論理スキルが必要。基本スキルとして、場のデザイン(チーム設計・プロセス設計・アイスブレイク)、対人関係(傾聴と質問・非言語メッセージ・非攻撃的自己主張)、構造化(論理コミュニケーション・ファシリテーショングラフィック・フレームワーク)、合意形成(意志決定・コンフリクトマネジメント・フィードバック)の4つが必要である。
  • 場をデザインする5つの要素とは、目的、目標、規範(ルール・バリュー)、プロセス(ロードマップ)、メンバーのこと。
  • ブレーンストーミングの4つのルールは、自由奔放、質より量、批判厳禁、付け足し歓迎。
  • 話し合いは、ダイアログ(拡散型、意味の探求)とディスカッション(収束型、解答を目指して知識を寄せ合う)の2つがある。
  • 同質の人間が集まるチームでは、意志決定が早く、創造的になりにくい。異質な人間が集まるチームでは、合意形成に時間がかかるが、創造的なアイディアが出る。
  • 傾聴(アクティブリスニング)は、聞くことだけを行うこと。最後の言葉をくり返す、キーワードを返す、まとめて返すなどの復唱をし、うなずくこと。
  • 質問には、5W1Hで問うオープンクエスチョンとY/Nで問うクローズドクエスチョンがある。なぜは使いすぎると非難に聞こえるので、if+whatで問うと前向きになる。
  • 創造力を引き出すには肯定系の質問をする。
  • 自分の意見を述べるときは、例えばAという考え方についてはいかがお考えですか?反論も、なるほど・・・さらに・・・はどうでしょう?
  • 論旨があいまいか、十分な情報がないときに誤解が生まれる。
  • 論理の3点セットとは、話の前提となる知識、根拠、結論の3つを指す。
  • 前提を明らかにするときは、テーマを明らかにする、前提となる事実を明確にする、事実と意見を切り分ける、言葉の定義を明確にする、暗黙の価値観を明らかにする。
  • 根拠を示すときは、根拠を提示させる、根拠の因果関係をチェックする、例証の適切さを確認する、基準の妥当性を確かめる、他に根拠がないかを調べる
  • 結論を明確にするときは、主張を具体化する、事例や定量的表現を求める、文脈を明らかにする、思考停止ワードを避ける、他の結論を調べる
  • 問題を扱えるようにするには、小さな問題に分けるしかない。これは、意見をまとめるという作業を同じ。この構造化はフレームワークで行う。人物金、SWOT、3C、起承転結など。
  • 評価基準を使った意志決定には、選択肢の長短を全て並べて比較(メリット・デメリット法)、実現性と収益性の2×2マトリックスで分類(ペイオフマトリックス)がある。
  • アイディアを絞るときは、多重投票法などの多数決を利用する。
  • コンフリクトは、考え方の枠組みが対立している時に起こる。表面的な意見の対立が原因であることは少ない。
  • コンフリクトは解消しなければならないが、ギャップは解消する必要がない。解消とは、枠組みを変えることではなく、違うことを確認した上で、双方が満足できるアイディアを考えること。

2008/04/18

リタ・エメット(2004)『いまやろうと思ってたのに・・・』光文社

 なぜ今日できることを明日に延ばしてしまうのか。その克服をまとめたという本だが、興味深い内容である。
  • グズが恐れているのは、時間やエネルギーを費やすことではなく、単に始めること。いやな仕事を真っ先に。その仕事の後には晴れやかな気分が待っている。
  • 自分に褒美をあげる。仕事が完了するまでちょっとした楽しみを我慢する。
  • 漂流をしているときは、まず一つ仕事を片付ける。
  • リストを作るときは、本当にやらなくてはならないことだけを具体的に書く。
  • 締め切りには必ず中間締め切りを作る。
  • プラン作りのステップは、(1)ちょっと考える、(2)やることリストを書く、(3)仕事について人に話す、(4)仕事の各段階を想像し必要な道具や書類など、やっている姿を想像する。
なぜグズグズするかの原因は、不安・恐怖心。
  • 不完全の恐怖:タイミングや気分や条件がきっちり整うまで物事を先延ばす。しかし、完全な状況はまず起こらない。完全でなく優をめざす。
  • 批判の恐怖:恥ずかしさ、怠惰、愚か、バカというレッテルを貼られるのがいやで、やるべきことに手をつけずいつまでも延期する。
  • ミスをする恐怖:思い通りに事が運ばないのではないか。一度もミスをしていない人間は何もしていない。何事もほかのやり方があることをミスは教えてくれる。
  • 高い水準を守る恐怖:一度高い成功を収めたことを続けるプレッシャー。
  • その他、拒絶される恐怖・誤った決断をする恐怖
恐怖を克服する方法としては、
  • 自分は何が怖いのかを自問する。恐怖を特定できるだけで、圧力が軽くなる。
  • 恐怖が最悪の形で実現するとどうなるかを自問する。
原題はThe Procrastinator's Handbookなのだが、これを「いまやろうと思ってたのに」と訳したところがとてもうまい。

2008/04/11

池田潔(1949)『自由と規律 イギリスの学校生活』岩波新書

本書は、イギリスのイギリスのパブリックスクールに在学した経験を持つ筆者によるその解説である。
  • 良識とは、この世に何が大切であり、何が然らざるかを識別する力を指す。イギリス人は、良識によって到達した判断を敢然として実行に移す勇気を持ち備えている。
  • 庶民の学校は官公立学校で、エレメンタリースクール・グラムマースクール、富裕層の学校は私立の全寮制の学校で、プレパレートリースクール・パブリックスクール。
  • パブリックスクールとは、私立の中学校であり、卒業生は直ちに大学へ進学するため、日本の中学校と高等学校を合わせたものに相当する。
  • エレメンタリー、グラムマーでの教育は、日本の小中学校に比べはるかに職業教育的傾向がある。卒業後は大多数が社会に出、一部の優秀者が師範学校・専門学校へ進む。その中のごく少数が大学へ入学する。イギリスでは、実利的見地から子弟の高等教育進学を躊躇する。
  • 実社会側もプロフェッションを除き、職業に高等教育修了者を求めない。職場の経験を重視し、社員の成績は執務上の実力のみで判定される。大学は高度の学問を修める人間のための施設で、然らざる人間は行かない。
  • パブリックスクールの新学期は秋に始まるが、一斉に新入生がそろって入学するのではなく、学期末や学期途中と比べるとこの頃の出入りが比較的多いだけである。大学新学年の始まるのも秋。入学者は試験合格者より欠員に応じてウェイティングリスト順に入学する。
  • パブリックスクールの特徴として、寮、校長、ハウスマスターと教員、学課、運動競技とその精神に特徴がある。
  • パブリックスクールでは個々の私を捨てて全体の共同目的の貫徹に奉仕する精神を涵養する手段として、運動競技が最も重要視される。運動場で対抗競技が行われる時は書物を置いて観覧席に集まり、一人多事に没頭することは許されない。
  • 裕福な家の子弟で経済的困窮はないが、食物量を制限し、思春期の少年の飽食を不可とし、何事も少年のほしいままにさせぬ。この厳格な教育が期するところは、正邪の観念を明にし、正を正邪を邪としてはばからぬ道徳的勇気を養い、そこにはじめて真の自由の保障があることを教えること。パブリックスクール教育への信頼は、苦しきを知って敢えて愛児に苦につくことを求めさせる点。
  • 夜の自修では教師が付き添わないものの私語一つない。自修時間が限られているからなのと、勉強に充てられている時間は勉強をするという常識が支配しているため。逆に自修時間以外で勉強をすると非難の対象になる。
  • パブリックスクールの生活が規律正しく運営される仕組みに、プリーフェクトの制度がある。最高学級に属し人格成績で他の模範にして、運動競技の正選手をしている者を校長が指名して自治を委ねる。学生間の小さな紛争はプリーフェクトの調停により、いちいち教師が登場しない。
  • パブリックスクールは校長の邸を中心に校舎が建つ。全ての裁量が校長の判断で処理される。職員会議のようなものは一切ない。
  • パブリックスクールでは試験の不正行為が全くない。成績の優劣が重視されず、全てで優をとっても崇敬の的にならないから、席次がなく課目別の進学が頻繁で落第が目立たないからなどの理由もあるが、彼らには本質的な正直さがあるからだろう。大学の入学試験は1年4回にわたって数課目ずつ部活して受験するのでゆっくり2年掛けて合格する者もいる。
  • イギリス人が愛好するのは団体競技で、個人競技に関心がない。
とてもおもしろい内容であるが、書かれた時代が古く、ここから直ちに今の教育への示唆を得るには慎重でなければならないだろう。

2008/04/04

宮崎伸治(2001)『英語うまいと言われる和訳の技術』河出書房新社

本書は、翻訳家である著者が英文和訳のテクニックをまとめたものである。
以下はいずれも経験的に実践していることだが、あらためてまとめるとわかりやすい。漠然と翻訳には自信があったが、方向が間違っていなかったことを確認した。前の文献が古すぎたので、最近のものにも一通り目を通すべく読んだが、翻訳をするなら一度は読んでおきたい本と言える。

・できるだけ短い日本語で表現する
・数字は単位をつける、単位は日本のものに換算する
・超は more than, over、以上は or more、未満は less than, under、以下は or less
・-nessは文脈から日本語を補う
・無生物主語は受け身で訳す
・yes, noは内容と対応する、ただし否定で聞かれたらyesを「いいえ」と訳す
May I smoke? Yes→いいですよ
Do you mind if I smoke? Yes→だめです
・名詞を動詞で訳す(I am a good swimmer.)
・略語は元の意味を明示

・単複で意味の変わる単語
air(空気) airs(気取り)
advice(アドバイス) advices(通知)
ash(灰) ashes(遺骨)
color(色) colors(軍旗)
day(日) days(時代)
letter(文字) letters(文学)
pain(苦痛) pains(骨折り)
spectacle(光景) spectacles(眼鏡)
ruin(破滅) ruins(遺跡)

・読み違えやすい単語に注意
respective(それぞれの) respectable(体裁のよい) respectful(敬意を表する)
sensible(思慮のある) sensitive(感じやすい)
stationary(動かない) stationery(文房具)
principle(原理) principal(主な、第一の)
particular(特別の) peculiar(特有の、固有の)
その他、narionalとrationalとかも。

・全体否定と部分否定を明確に訳す
I have not read both books. どちらも読んだわけではない(部分否定)
I have not read either book. どちらも読んでない(全体否定)

2008/03/28

城繁幸(2006)『若者はなぜ3年で辞めるのか?』光文社新書


 本書は、大卒ホワイトカラーの若者が直面する年功主義の壁を指摘したものである。仕事をすぐ辞める若者を忍耐不足という者もいるが、若者が感じる年功主義に対する閉塞感が問題であり、若者と企業の双方にとってマイナスと指摘する。

 年功序列というシステムは、うまく乗ることができれば十分魅力的なゴールに着けるシステムである。ただ、多くの者がこれに乗れなくなったことが、問題の本質と指摘する。

 事例が豊富で大変優れた本であるが、本書のメッセージは上の一点のみで、あとは同じ話の繰り返しであった。

 以下、興味深い指摘のメモ。

 採用も本社一括から、事業ごとの採用となり、学生側は自分が何をしたいか、どういう分野で成長した以下を考えさせられることになる。これに対応できる優秀なグループが就職することになるが、彼らは入社後に実際の業務と希望した業務のギャップ(従来型の下積み訓練)に苦しむ。

2008/03/21

安西徹雄(1995)『英文翻訳術』ちくま学芸文庫


本書は、英文学者が翻訳上のノウハウをまとめたものである。しかし、読み始めるまで知らなかった点は、本書が1982年に出された本を文庫化したものであり、かなり古い文献であることだ。

翻訳原稿を書くことも多いので、一度はこの手の本を読んでおこうと思ったが、それほど新しい発見はなかった。翻訳は英語力も大事だが、それ以上に日本語力が大事で、筆者もそれを指摘している。英文読解と翻訳は根本的に違う。これまでの自分の翻訳はかなりうまい方ではないかと、逆に自信になった。
以下、目に留まった点のメモ。
  • 英文は頭から順に訳す
  • 代名詞は訳文から隠す
  • 他動詞+再帰代名詞は、自動詞か受け身で訳す
  • (If the readers wish to inform themselves of the pressing problems of the day... など)
  • 次の形容詞・副詞は、述語で訳す:no, many, few, much, little, some
  • 話者の見解を示す副詞は、述語的に訳す:rightly, safely, apparently, inevitably
  • 進行形には、非難・不快・困惑・賞賛などの感情的ニュアンスがある
  • 時制の一致(I did not know what I was doing = 何をしているのかわからなかった)
  • 受動態は、能動で訳す。主語が人、あるいは人にとっての利害を表すときだけ受動で訳す。

2008/03/19

松繁寿和(2004)『大学教育効果の実証分析』 日本評論社

 本書は大阪大学の研究室が卒業生アンケート調査から得たデータに基づいて、卒業生のキャリアや給与が大学時代の属性にどの程度依存するかを統計的に分析するものである。本書で分析される問題をまとめると、次の通りである。(1)卒業した学部間の経済格差が存在するか否か、(2)在学時の成績とクラブ活動が就職活動の成功に有意な影響があるか否か、(3)在学時の成績が初任給の決定にどのような影響があるか、(4)英語力を高めることは昇進や所得に有意な影響があるか、(5)公務員・教員で男女間に賃金格差が存在するか、といった問題について分析を行う。  基本的な分析手法は、就職活動時の会社の志望順位、平均初任給からの乖離分、職位などの被説明変数を学部、所属クラブのタイプやクラブに置ける役職などに年齢や勤続、性別等の基本的な変数を加えた説明変数群へ回帰するという形の分析である。その中で、Oaxaca分解という分析手法が紹介されていたのでここで見てみたい。今、AとBという二つのグループがあるとすると、それぞれの平均賃金は次のように表される。

 ln(wa) = βaxa  ln(wb) = βbxb

ただし、βはグループの賃金構造、xはグループの説明変数を表す。すると二つのグループの賃金格差は、Aグループを基準とすると次のように表すことができる。

 ln(wa) - ln(wb) = βaxa - βbxb + βaxb - βaxb = βa(xa - xb) + (βa - βb)xb

この第1項が変数の差、第2項が係数の差をとらえたものとなり、賃金格差を分解することができる。分解には、グループごとの説明変数の係数とその平均値が必要になるため、グループごとに賃金関数を推定を行うことになる。  この研究の興味深い点は、これまで労働経済学や高等教育の研究者があまり取り組んでこなかった分野を切り開いたこと、そのブレークスルーとなったのが大阪大学の卒業生を対象とした詳細なアンケート調査とその集計・分析であったことの二点である。様々な分析自体はこれからまだまだ精緻化されていく余地を残しているが、フォロワーはこの分析を足がかりに進めることになるだろう。研究の余地を埋める意味でも興味深いし、卒業生調査の方向性を考える上でも興味深い。日本における貴重な研究の一つである。

2008/03/18

Dundar, H. and D. Lewis (1995) "Departmental Productivity in American Universities: Economies of Scale and Scope," Economics of Education Review, pp.119-144.

 本論文は、規模と範囲の経済性の実証研究の一環として、米国の同質な大学(州立の総合大学)を対象に学部レベルの費用構造を分析するものである。枠組みは一連の研究と同様であるが、大学レベルでの分析がほとんどであったのに対して、学部レベルのデータを使って分析する点が特徴で、機関の意思決定などが学部レベルで行われている中では、機関レベルの分析では政策提言に反映しにくいためである。しかし、実際の分析ではプールデータに学部ダミーを入れて推計するので、やや迫力には欠ける。ただ、アウトプットの質を考慮するために、学部の外部評価の指標を質のコントロール変数として使用した点は、先行研究の壁を突破した注目すべきものである。結局、次の費用関数を推定することになる。

C(y) = a0 + Σai(yi-yimean) + (1/2)ΣΣ(yi-yimean)(yj-yjmean) + bQ + ΣdiDi + ε

 データで特徴的な点は、教育のアウトプットとして年間の学生に授与した単位数を学部・修士・博士で集める点(これにより学部間で相互提携している教育活動まで捉えることができる)と、研究のアウトプットを論文数でカウントする点である。質の指標はNational Study on Graduate Programsから取っている。州立大学では学部のオープンアクセスポリシーから、大学院の質とかなりの乖離があることが指摘されているためであろう。とはいえ、学部レベルでこれらのデータを利用できる点が日本の状況と異なる点である。  結論として、(1)AICとMCは研究で最も高く、学部教育で最も低い、(2)社会科学の分野で最も低コスト、工学の分野で最も高コスト、(3)規模効果、範囲効果とも存在する、という結果を得る。この結果自体は、それほど新しいものというわけではない。  学部間で教育・研究の生産技術に違いがあることを考慮すれば、関数の推定は概ねうまくいっていると言えるだろう。新たな貢献といえる質をコントロールした結果だが、係数は有意に推定されず、同質的な大学がサンプルであったためであるという解釈をするにとどまっている。この一連の研究では、データセットの違いの差別化になってきており、研究としての発展性が苦しいように思える。安易な統計分析で終わらずに、モデルのセットアップとインプリケーションの議論にもう少し力が注がれるべきと思う。

2008/03/17

Dundar, H. and D. Lewis (1998) "Determinants of Research Productivity in Higher Education," Research in Higher Education, pp.607-631.

 本論文は、大学における研究のパフォーマンスを決定する要因の抽出を目的とした分析を行っている。研究の生産性を分析した研究はこれまでにも数多く行われているもので、それらは大きく分けて、個人の生産性を計測する分析と学部・大学レベルでの生産性を計測する分析に分けられる。従来は個人の生産性を対象とした研究が多かったが、本論文は学科レベルの研究の生産性をいくつかの説明変数へ回帰するモデルを推計する分析を行っている。具体的な分析は、大学における学科iの平均研究出版物の数を生産性として、先行研究で使われた変数を使って分析する。その変数には、教員数(とその自乗項)、教員数/大学院生数比率、大学院生のうちRAに採用されている学生の割合、図書館の支出額、公立・私立ダミー、教員に占める教授の割合などを含めて回帰分析を行う。これらのデータは、1993年のNational Research Councilの調査からとられており、17の学問領域を対象にして集計されている。そのうち、データは90の研究大学を対象に1841の博士課程プログラムをサンプルとして使用する。推定では、すべての領域をプールした推計に加え、生物学、工学、物理学・数学、社会科学の領域にサンプルを限定した推計も行っている。

 Pi = a0 + a1 Fi + a2 Fi2 + Σaj Xij + ε

 全ての領域をプールした結果としては次のような機関評価を提言している。(1)学科のサイズが大きいほど研究論文のパブリッシュも多い、(2)公立・私立ダミーは概して有意に負に推定されており、公立大学より私立大学のほうが研究の生産性が高い、(3)正教授職が多いほど研究の生産性も高い、(4)パブリッシュの集中度をみたジニ係数からは、スター教授に依存している傾向はみられない、などの結果を得ている。これら一連の研究では、研究のアウトプットを測る代理変数として論文数が適当かという議論、さらに書籍や査読論文から学会報告の予稿までどこまでがアウトプットになるのか、それらがどの程度正確にカウントできるのかという問題もある。
 まだ日本ではあまり行われていない研究ではあるが、バックグラウンドとなるモデルがないままとりあえず論文数を直観的に説明すると思われる変数で回帰したという印象が否めない。しかし、政策を提言するということなら、とりあえずこういう分析でもありなのかもしれない。しかし、その場合推定式のバリエーション(説明変数の組み合わせ)は無限になり、やはり背後のモデルが重要なのではないかと思う。

2008/01/19

営業とは

モノを売ることではなく、顧客の悩みを解決すること。意外と分かっていない人が多い。

2008/01/18

させていただく

許可を受けて行い、恩恵を受ける、という二つの条件を満たしている時に使う表現。

2008/01/16

西村和雄「教育改革方法誤るな」

学力向上を妨げているのは、主観的評価。知識・理解以外に、関心,意欲、態度、思考、判断、技能、表現に成績を付けること。客観的な測定が不可能なものに教員が主観で点数を付けること自体が問題。絶対評価はやめるべき。

自学自習できる教科書で内容の削減を補うことも主張。

2008/01/14

こどもの塾の必要性

こどもの時間を奪う側面もあるが、学校とは全く違うコミュニティを持つ強みもある。塾以外に、少年野球等、多様なコミュニティを持つ強みが重要。