本論文は、Self-Diredted Learning(SDL)が、Adult Learningの研究にどのような貢献をしたかという点を考察することを目的としている。ここでいうSDLを端的に言うと、SDLが伝統的な学習と異なる点は、学習者が学習の計画・実行・評価に関わろうとうする点である。成人教育の分野における概念的枠組みには大きく分けてAndragogyとSDLの二つがあるということだが、両者は本質的には同一ではないかと思われる。また、本論文でもAndragogyの議論と同様に、SDLが大人を学習者としてみる際の視点や、大人の学習プロセスを理解する点で貢献があるものの、SDLがAdlut Learningの真理というわけではなく、多くの議論の余地を残していることを指摘している。
結局のところここまで見てくると、AndragogyであれSDLであれ、「~らしい」ということまでは分かっているものの、単一のモデルの構築には至っていないというのが現在までの研究であると考えられる。教育学のモデルに単一のモデルがあるのかどうかは分からないが、この分野の研究者がそれを求めており、かつ、この20年間その発見に向けての研究はブレイクスルーがないまま停滞していると理解しておいてよいだろう。これまでに膨大な数の文献が蓄積されているようだが、どの文献も非常に観念的で現実的なインプリケーションが乏しい上に、ここ20年の間に書かれた文献は、過去の文献を引用して再解釈するという非生産的活動になっている。個人的に、教育学に「理論」などというものはありえないと思うが、少なくとも科学的にアプローチしたいのであれば、この手の研究の増産ではなく、例えば三十歳代理系技術職の成人教育、低所得階層ブルーカラーの成人教育など対象のフォーカスを絞るべきであろう。成人教育という大きな土台で観念的な議論を堂々巡りさせていては、研究者として社会貢献をしていないに等しいのではないだろうか。