2010/12/22

中井俊已(2010)『なぜ男女別学は子どもを伸ばすのか』学研新書


 男女別学の根拠としては、近年の脳科学の知見をベースに発達の速度や特性が違うことをあげる。その上で、共学のメリットは認めるがそれを実現できる教師や教育環境が現状で不十分なので、別学がよい。具体的なメリットは、異性の目を気にせずのびのび学習に集中できる、女子はリーダーシップを発揮できる、男子は雑事ができる、一生つきあえる友達に出会える、教師のサポートを受けやすいなど。国内外のトップ校が別学である例を示して終わり。

 別学で子供が伸びる十分条件は示した本だが、別学校がそれを実現する教師・教育環境をどう確保・発展させているかを書かないと片手落ち。

2010/12/19

関満博(2002)『現場主義の知的生産法』ちくま新書


  • 現場調査をする場合は、相手にとって有益なことを提供する。そうでなければ、現場を荒らすだけ。学生であっても、必ず提案をさせる。ゼミでの調査は、簡易であっても必ず製本して提案を相手に送る。稚拙であっても学生の率直な意見は歓迎される。
  • 現場調査を実施する際は、当方とつきあうことが利益があることだと理解してもらわなければならない。具体的には、取引先や投資者の紹介。海外の調査をする際は、国内でしっかり仕事をし、各部門に有力なつながりを持っていることが不可欠。
  • 現場調査の基本は、対話と提案が基本、わからないことはとことん聞く、相手の話したいと思っていることを引き出す。
  • 書ける時間に一気に書く、できるところから書く、締め切りまで持ち越さない、とにかく早く片付ける。生産性を高める原則。また、早朝がまとまった時間がとれる唯一の時間。世間が休んでいるときに書くしかない。生産性を上げるうまい手などはなく、とにかくキーボードに向かう時間を作り、余分なことは考えずに書き続ける。
  • 締め切りは決して遅らせない。締め切りの順番ではなく、やれるものから早めに片付ける。編集者との信頼関係が深まれば、その後の仕事もやりやすくなる。原稿は自分だけで書いているのではなく、編集者に恥をかかせないよう、編集者の気持ちになり、早め早めに仕上げる。特に論文は社会に対するラブレターであり、自分の伝えたいことを思いを込めて書き進める。
  • 講演では1つでも記憶に残る話を提供できるように努力する、聴衆に希望と勇気を与えることを心がける。1つか2つ記憶に残ることがあれば十分なので、ホワイトボードに図を書いて講演の伏線にする。

2010/12/18

森博嗣(2010)『小説家という職業』集英社新書


  • 文章を書く上で、プレッシャは少ない方がよい。リラックスした方が頭が働く。重要なのは集中力。締め切りとか成功しなければとか、無関係なプレッシャが役立つ道理はない。
  • 人間の行為は、自分の価値観と周囲の要求のせめぎ合いに常にさらされ、こうしたときの1つ1つの細かい判断で道筋が少しずつ決まっていく。本人の望まない方向には決して進まない。人間は自分が望む未来像以上のものには絶対にならない。
  • 人間は自分の弱い部分を相手に向かったときに攻める傾向がある。悪口を言わない人間は悪口を言われても腹が立たない。
  • 人は同じものを見ても、同じようには捉えない。相手にどう伝わるかを考えずに書くことは、ほとんど意味がない行為である。自分に対するメモも、将来の自分がどう読むかを想像する。
  • いかなるノウハウ本も人を自由にしてくれない。ノウハウ自体が不自由を導くものだからだ。現役の人間が語っているノウハウは必然的に信用できない。既に通用しなくなったから書かれている。
  • ああ、こんなものが書きたいという憧れは、既に他者の視点にとらわれていてクローン作品を生み出す可能性が高い。
  • アウトプットするほど上達する。インプットでは太るばかりで身が重くなり、動きが鈍くなる。
  • メモをとると発想がそこで終わる。頭の中に入れたままにした方が育つ。
  • 多読を誇りにする人がいるが、重要なのは読んでいるときに思い描くイメージの情報量であって、目でなぞった文字数ではない。

2010/12/17

阿部謹也(2001)『学問と「世間」』岩波新書


  • 研究者はそれぞれの世間を持て降り、その対応関係の中で身を処している。
  • 研究の過程で過去・現在の研究者たちに出会う。その研究者たちと共通の問題意識で結ばれていると感じられたとき、そこの共同体的な営みとしての研究が意識される。
  • Individualは個人と訳されるが、日本の個人とそれは決定的に違う。日本の個人は直接社会と対しているわけではなく、まず世間に属しており、その絆に縛られている。このまま西欧の個人の概念を輸入しても、実態はほど遠いものになる。
  • かつての人々は世間と同じような人間関係の中で生きていたが、中世以降成立した年に出て行った青年は、伝統的な共同体から離れて自分の生き方を考えなければならなくなり、キリスト教に改宗し、自己の内面に目を開いていった。
  • 学問を修めることは世間を否定し、世間から自己を独立させることが求められる。
  • 日本の知識人は世間の中で生き、世間を相手にものを書き、世間と距離をとることができない。そもそも世間の存在にも気づいていない。
  • フンボルトのいう純粋なる学問は、日常生活を遙かに超越した、日常生活に直接影響を与えるものではないというもの。特殊専門科学的知識は学問には含まない。
  • 人文社会科学においては、欧米研究そのものが価値を持っていたので、客観的に分析するというより先行する模範として受け入れた。日本の現状をいかに改善するかということに関心がない。なので、人権を守ろうというかけ声が出来てしまう。人権の問題は世間の問題であるのに、西欧にはその観点がなく、特殊事情としての世間が問題になり、人権問題が人権問題として正当に扱われない。
  • 国文学と天文学は結びつくのに、大学における一般教育の現状はそれとほど遠い。各学問分野の担当者が世間を構成し、相互に連絡がない。しかも学者自身が世間を構成していることに気づいていない。明治政府が導入した文科と理科を分けたことが、今も後を引いている。
  • これからの日本の大学は、かつての境界のような役割、すなわち、金や名誉や地位とは関係ない価値があることを若者に教える役割を果たさなければならない。
  • アメリカの研究室はサンタフェ型なのに対し、日本の大学でファカルティ・クラブを持つ大学が少ない上、他分野の研究者と話そうとしない。
  • 日本では個人は世間という枠の中に捉えられており、自由な個人にはなっていない。
  • 仇討ちはかつてどの国でも義務であったが、近代刑法では隠されてしまった。たとえ子供を殺されても司法にゆだねることが文明化された人間の態度だとされている。
  • 官僚機構は近代化された形をとっているが、中の人間関係は世間で営まれている。不手際が生じるとそれを隠そうとし、仲間内の意識が発動される。
  • キリスト教では現世と来世が関連しているが、仏教には現世の秩序を守ることがあの世にいく条件ではない。
  • 世間には3つの掟があり、贈与・互酬、長幼の序、共通の時間意識の3つ。3つめは、今後ともよろしくお願いしますという挨拶に現れており、欧米にない挨拶。欧米の個人は、自分の時間を生きているが、日本の個人は世間という共通の時間の中ですべての人が生きている。
  • 近代の社会の概念には個人の意志が結集されれば社会が変えられるという道筋が示されているが、世間を変えるという発想はなく、日本では改革や革命は生まれない。
  • 教養とは、自分が社会の中でどのような位置にあり、社会のために何が出来るかを知っている状態、あるいは知ろうと努力している状態と定義できるが、これは知識人だけでなく、多様な職業の人を含む定義である。
  • 政治家の失言は、選挙区で通用する言葉が国会で通用しないことから生じる。
  • 世間の中では個性的な生き方はできない。
  • 生涯学習は、生活世界の中から学問を再構成する手段の1つ。大学を素人に開放し、生活者としての関心にたって問題が発見され、専門家とともにその解決に向かう構図。

2010/12/16

梶井厚志(2002)『戦略的思考の技術』中公新書


  • 相手に理解を求めるというが、互いに利害関係にある戦略的環境では、相手に理解を求めるのは無策であり、相手にどのような戦略がとれるかを調査するのが先決。
  • (授業ネタ)じゃんけんでグーで勝った場合は100円、チョキ・パーで勝った場合は10円もらえるルールで、20回実施。グーに負けるチョキとグーに勝つパーを、掛け金の比率に対応させて1:10の割合で出す。
  • 罰則は大きくしすぎると謝った場合の損失が大きくなる(ポイ捨ての無期懲役)。人の行動をコントロールするには、インセンティブを与える必要があるが、インセンティブを与えるにはコストがかかる。
  • (授業ネタ)(1)うっかり生ゴミ袋を玄関前に忘れた。真夏に放置はできない。隣の学生に捨ててもらうことを考えたが、無愛想だし持って行くか疑わしいので家まで戻り遅刻する。(2)夜外出の用事があるが、犬の散歩をしないと犬がかわいそう。隣の学生に頼むことを考えたが、10kmの散歩コースを歩くかわからないので外出をあきらめる。両者ともインセンティブを与えて(コストをかけて)解決できそうだが、前者は解決可能、後者は解決不能なモラルハザード問題。
  • 日本の就業者人口の10%以上が建設業界で働く。国土の大きいアメリカでも5%程度。日本の労働力分布の偏りがわかる。
  • (授業ネタ)他店より1円でも高ければさらに値引きします=他店と価格が同じなら値引きしません。自分から値引き競争を仕掛けず、価格を維持しますというシグナルを競合他社に発している。

2010/12/15

森健(2009)『就活って何だ 人事部長から学生へ』文春新書


  • 最終面接で、あなたはモテますか?と聞いてみる。モテると答えた方がよいか、モテないと答えた方がよいか悩み出す。こちらは答えはどっちでもいい。そこで話したいのは商売をする上で、人に好かれることは大事だということ。
  • 採用で選んでいる一人一人は将来の経営者候補の人材。関連会社の社長になる可能性は極めて高いため。
  • 学園祭でたこ焼き屋とクレープ屋のどちらかをやろうという話になった。自分はたこ焼き屋をやろうと思っていたが、多数決でクレープ屋に決定。しかし、実際にはあまり売れなかった。今、文化祭の反省会。あなたはそこでどういう発言をするか?
  • プロとは、高い目標に向かって執念を持ってやり抜く人。
  • 面接では質問の中身を聞いているようで聞いていない。何を語るかではなく、どのように答えるかをみているため。
  • 筆記試験を後回しにする。筆記で大幅に絞ると、おもしろい発想の人が残らない可能性がある。
  • グループディスカッションは、最終的な結論よりプロセスを見ている。プロセスにおける一人一人の関わり方が見たい。将来のポテンシャルは、結論ではなく、行動から見えてくるから。
  • 企業とボランティアは違う。NPOの活動の話を聞くときも、どれだけビジネスの発想にたてるかを聞く。志は高い人がいいが、ビジネスの視点は必ず持っていないといけない。

2010/12/14

河本敏浩(2009)『名ばかり大学生 日本型教育制度の終焉』光文社新書


  • 大学の教員は、高校・中学・小学・家庭批判は許されない。何人中何番までが合格という試験を続けているのは大学で、その元で定員を拡充すればレベルが下がるのは当然。
  • 日本の戦後教育では、進学競争・学力競争の唐突な変化が起こると、そのインパクトを受ける世代の子供は反社会的行動に走る。校内暴力と援助交際の蔓延メカニズムは同じ。大人の側が競争の設定を謝ったために起こってしまう。
  • 管理教育に走った教師と容認した親は、よかれと思ったのだろうが、その成否は近視眼的な大学進学率ではなく、その空気の中で育った子が大人になり子供を持ったときに、何を伝えどう育てるかではかられるべき。80年代に殴られて子は親となってどのような学校観を持っているか。
  • 女子だからこそいく短大の価値観が崩壊すると、男子と同じ競争の世界に女子が入れられる。小中学生時に予想しなかった変化(援助交際のロジック)。
  • 偏差値70超のの大学に入れば、人生が変わりそうな予感はするが、これらの大学へのパスポートは12歳の段階でほぼ配り終えられている。勉強すれば伸びた70年代と、勉強しても成果・序列が上がらない現在は全く違う。
  • 塾が一般化した現在では、上位層は学校で何をしても成績を伸ばす。学校は底上げが重要で、どうすればいいかを大人が競って研究すべき。競うのは大人で子供ではない。福井県教育研究所はこの仕組みに近い。教材をオープンにし、絶えざるバージョンアップが必要。しかし、組織を作り多くの教師の同意を得る面倒さという大人側の理由で、これは波及しない。
  • 入試時の成績よりも、大学入学後の初期教育の方が、その後の伸びに対する影響が強い。
  • 分数ができない大学生というが、入試の段階で数学を必修にするか、出口でできないものを卒業させないだけでよい。子供の学力問題に転嫁してはいけない。
  • 東北大学のAO入学者は一般入学者より成績が高い。魅力的な大学像を示して、第一志望の高校生を集めて学力試験を含むAOを行うため。
  • 現在の教育議論は、勉強のできた者ができない者に、できる側のルールや習慣を強要する構造になっている。偏差値教育の悪さは、負けた側の子供が大人になったとき、自分の子供に勉強させなくなるから。
援助交際は仮説としてはおもしろいが、検証が必要。

    2010/12/13

    友野伸一郎(2010)『対決! 大学の教育力』朝日新書


    • 教養を、自分の専門分野以外の人と協働できる能力としたい。専門家が役に立つのは、その人が異分野の人と協働して何かを社会的に成し遂げるから。
    • 旧制高校では、授業に出なくても先輩や動機に馬鹿にされたくなくて教養を身につけた。無知であることが恥ずかしいという価値観で、相当の読書をした。今は、大学の正課の中で教養を身につけることを組み込む以外にない時代。
    • 教育は費用対効果で測れない。学んでいるうちはどんなメリットがあるかわからないのが学ぶという行為。また、教員は教養を教えたくない。教員は研究で評価されるから。これらは、大学教育の前提。
    いろいろ述べているが、結局は有名大学しか見ていない。

      2010/12/10

      「私大経営は危機か」IDE No.525, 2010.11

      • 私学経営の平均的なパターンは、4月に入学金と授業料が入ると、毎月の教職員の給料やボーナス、教室の修繕などの支払いに支出する。それが秋にかけて底をつく。文教予算の補助金が、11月末〜12月に半分交付されて息をつく。それまで待てない学校は、つなぎ融資を銀行に頼む。年度末の3月に残りの補助金が交付され、学校の金庫は息をつく。
      • オックスフォードの授業の中心は、チュートリアルやスーパービジョンと呼ばれる個別指導。単位制ではなく、試験制というべき仕組み。学習は、チュートリアル(個別指導)、レクチャー(講義)、クラス(ディスカッション中心のゼミ)に分かれている。チュートリアルでは週1回1時間、文献を読んでA4で10頁程のペーパーを提出し、それをもとに教員と2,3人の学生が議論する。 これらの授業の履修を登録する必要はなく、登録するのは最終試験でどの科目を受験するかのみ。クラスでは成績認定が行われないので、出席せずに試験のみ出てもよい。授業担当者と試験の出題者が一致する仕組みではない。学生の学習はチュートリアルの準備が中心になる。

      2010/12/05

      二宮皓(2010)『こんなに違う!世界の国語教科書』メディアファクトリー新書


      • 公用語であり母語である日本語を国語として学べる国は少数。
      • 米国公立校の生徒は毎朝星条旗に向かって起立し、右手を胸に当て私は合衆国の国旗に対し、国家に対し中性を誓いますと宣誓する。学校は社会に出る準備をしてあげる場所、高校まで無試験進学、学費不要。教科書は5〜7年使用するので落書きは弁償。教育委員会はLayman control、教科書採択は多文化主義。教科書からどの話を選んで教えるかは、教員の裁量。
      • イギリスの教科書は詩が多い。詩にはユーモアが多く、紳士淑女にはユーモアが求められるため。教科書は自由発行・自由採択、教科書の定義が難しく教科書と教材が区別できない。教室に設置した貸与制で持ち帰りもできない。単行本を1冊読み切ることも重視。
      • フランスは共和国が学校をつくり、学校が共和国をつくる、小学校教育の両輪は国語(フランス語)と公民教育。フランスには教科書はない。発行・選択・使用は自由。音楽・美術・体育には教科書がない。国語には教科書があり、移民大国のため文法の教科書もある。イラスト、漫画を多用。
      • ドイツは教科書検定を行う数少ない国の1つ。16の州が教育に関する権限を有する。教科書は読本と言語の2種類に分かれる。
      • フィンランドは就学前から大学院まで無償。義務教育も到達が不十分なら留年できる。教科書は楽しさを重視した物語中心。
      • ロシアは、愛国心と郷土愛を育む教育。国旗、国章、国家や伝統文化の学習を重視。国語教科の時間が長く、文法・書き方のロシア語と、文学的読み方の両者を初等1年から実施。
      • 中国は国語を重視、最長の授業時間を配分。作文が重要で、授業では漢詩を多用。最近は国語教科書の登場人物の版数が外国人。
      • 韓国は家族による家族のための教育が残る。英語偏重主義の教育。国定教科書から検定教科書に切り替え。漢字の便利さは認めながら、義務づけられておらず、ハングルを制定した国王を賞賛。北朝鮮は4年生国語の全単元中8割以上が金親子関連で、プロパガンダ教育。
      • タイの子供たちは登校すると必ず仏像の前でお祈りをする。当番が国旗を掲揚して朝礼が始まり、国旗に敬礼、国歌を歌い、国家に対する忠誠を誓う。通貨危機の打撃の経験から、国際人であると同時にグローバリズムにいたずらに翻弄されない人間像の育成が目標。タイでは、国語教育ではなくあくまでもタイ語教育。中国系やマレー系がいる中で、タイとしての国民統合を図っていくための共通言語がタイ語。仏教に根ざした教育で、入学式には僧侶が新入生に聖水をかける手続きが重要。教育省発行の教科書と審査に合格した民間発行の教科書がある。アイドルやヒーローは登場せず、国王や古典文学などが題材。家族像、いい親像、いい子像を重視。
      • ケニアはスワヒリ語と英語が公用語、他民族国家であり、この2つを学校で学ぶ。学校は無償化されているが、裕福な生徒が集まる学校とそうでない学校間で、環境や教師の質に大きな差があり、実質上はかなりの格差が存在。勉強は暗記で、教育は試験対策。小学校卒業時の国家統一試験が強力なものさし。中学校以上は序列が厳しく、事実上大学進学への道もここで決まる。教科書はすべて英語で書かれる。教育省認定の教科書リストから学校が選択して使用。歴史上の偉人の話がない(対立の火種にもなるので)。
      • 国語をNational Languageと呼ぶのは日本くらいで、各国はそれぞれ英語、ドイツ語、フランス語などと呼ぶ。国語教科書は動物中心の物語に偏し、日常生活に即した言語能力を豊かにする教材、人間関係の処理を題材にした教材がもっとあってよい。ごんぎつねはすべての教科書に載っているが、海外ですべての教科書に同じ題材が載る事例はない。