2008/06/12

金子元久(2007)『大学の教育力』ちくま新書

本書で言う大学の教育力とは、大学教育が学生に与えるインパクトを指す。単に大学側の教育の働きかけのみで決まるものではなく、学生側の知的・意志的準備や期待も重要な要因。

大学教育への満足度と大学教育のインパクトは必ずしも一致しない。学生を、高同調、限定同調、受容、疎外の4類型に分けると、高同調はもともと満足度が高く、インパクトも高い。限定同調は満足度が高いがインパクトは小さい。受容型は大学への期待が高いほど現状への不満が大きくなる。

ドイツの大学のにおける講座は、正教授のポストを意味する。教授1,助教授2,助手2,学生・院生といった、制度的に標準化された単位組織としての講座は日本独特のものである。先端的な専門分野を急速に導入し、後継者を養成する上では大きな役割を果たした。

日本の大学は、学生の学習に対する制御機構が弱い。学習の事由を前提としながら、ドイツのような外部の卒業試験がなく、大学教育の修了を証明する手段がないと言える。むしろ、実際に学生の学習行動を強力に制御することが困難であることが問題である。日本の大学教育の内容はきわめて専門的である一方で、実際の職業上に要求される知識・技能とは乖離し、教育内容は就職の実質的な条件となっていない。

経済の国際的な競争の中では、広い知識と視野に立った、的確な判断力を持った人材が求められる。こうした高度のホワイトカラーを労働経済学者ライシュはシンボリックアナリストと定義し、(1)具体的な現象からその背後にあるものを見抜く抽象化の力、(2)それに基づいて広い視野から判断を行うための体系的志向、(3)常に新しい試みを果敢に実験する志向、(4)文化や価値観を持つ人々を含めて共同作業を行う能力が必要である。

企業は、学生の基礎学力を基準に採用し、各職場を定期的に経験することで技能を形成させる。こうした職業能力形成のあり方は、終身雇用制度に支えられ、職場全体としての効率性の向上に大きな役割を果たした。同時に、日本企業は大卒者に求める技能を具体的に表現できないことを示している。
これは、技術が直線的に発展する際に有効で、今やこのシステムは崩壊しつつある。大学入試による選抜機能の力が弱まり、一部の選抜性の高い大学を除いて大学入学が基礎学力を保証するものでなくなっている。

シラバスは、講義の予定を示すだけでなく、学習の到達目標を明確に学生に示すことに意味がある。また、到達目標は、学術分野での専門的な知識のみでなく、何らかの基礎的な能力の形成について設定すべきである。

高等教育の資源配分を、より選択的・集中的にする案があり、社会の一定の支持を受けている。これは、社会人自らが、大学教育から有効な影響を受けたという実感がなく、それを基本的に大学の怠慢ととらえていることを反映している。
高等教育の質の低さは、低コスト構造がもたらしたものであり、そのコスト構造をそのままにして競争的な資源配分をしても、質向上につながるかは疑問。市場的競争は、一定の質の製品をより低価格で生産するには効果的であるが、質が評価しにくい高等教育に当てはまるかは疑問。