2023/01/31

中澤渉(2021)『学校の役割ってなんだろう』ちくまプリマー新書

  •  日本の教員:専門性と関連の薄い業務に多くの時間を使う→専門性を伸ばす活動ができない→教師としてうまくやっていけるかという不安・焦燥感に駆られる→自己効力感・仕事満足度が低くなる
  • 日本では生活指導と学習指導は一体という考えが一般的←生活態度は学業成績に結びつくと考えているから(生活指導をしている時も学習指導を念頭にしている)。
    • この考え方の組織では、教員間で普段の様子、家庭の問題などの情報共有が重要になる→職員室がコミュニケーションに都合の良い形態になる→お互いの仕事ぶりがよく見える→教育熱心そうに見える・時間外も仕事を続けることが賞賛される。
  • 教職コアカリキュラム:開放性の理念が失われかねない。
    • 教員養成のあり方を実証的なデータに基づいて検証しない、理念とムードで議論を重ねてきた。
    • 開放性:師範学校が批判的精神や広い視野を欠いた、多様な背景を持った人材が教員になれることを制度的に保障した。

2023/01/30

鳥羽和久(2022)『君は君の人生の主役になれ』ちくまプリマー新書

  •  人は自分に対する内的イメージを持っており、自己同一性(自分が自分であるという一貫性の保持)に関わる。しかし、自分が不安定な土台の上に立っていることを知っているので、常に安定を求める。
  • 小5の哲学の授業:「どうして友達は大切のなのか?」
    • →実際は「友達が大切なのは当たり前として、どうして大切なのか?」という問い
    • →全員が友達は大切と発言(=担任の前提を崩す発言ができない)
    • →ゲストが大切と思わないと発言
    • →教室全体が友達は必ずしも大切ではないという空気に
  • この事例の問題
    • (1)担任の話し合いの方向付け(ディレクション)とゲストの問いの立て方に問題がある。
    • (2)子どもが自分の経験を大人の正解に寄せて話すことで、内容に説得力を持たせようとした(はじめにあった規範性が、ゲストによって別の規範性に切り替わった)。→いずれ子どもは自分を損なう(生きる実感より適応を優先させて自信を失う)
    • (3)周囲の目を過度に内面化して、それを自分の意見のように錯覚している。
  • 学校に行けない子どもに「何か問題がある?」「この子は自信が足りない」「自己肯定感が足りない」
    • →大人が問題を子どものせいにすると、子どもは大人が設定した問いの中でしか考えられなくなる。
  • 学校は教科以外の行事や人間関係を重すぎるために、学びに集中できない。学校から離れることで学力を上げる子どもはたくさんいる。
  • 授業が面白い先生は偶然を拾うのが上手。授業の肝を教え方と考えている先生は、わかりやすい先生になれてもその先がない。
  • 学びは一方がもう一方をむやみに信じ込む非対称な関係のもとでなければ成立し得ない。フラットな関係の先生にいい先生はいない。(子どもの場合と思われる)
  • 実社会という狭い現実を上位に置く教育では子どもは育たない。実社会の方が偉いと思っている大人は、規範的な価値観を教えることはできても、本質的な理想を語ることができない。
  • 「頑張れば成果が出る」=スタートラインが全員同じが前提。その方が評価側も都合がよい。公平性といういいわけで、それが正しいと思われている。この考え方は敗者(勉強ができない人)は努力が足りないからという偏った見方(=自己責任論)を招く。
  • ある高校の生徒会室の事例
    • マイノリティの人は、生まれ落ちた社会がデフォルトで自分用に作られていないと気づかされる経験をしている。それに気づかなくてすむからマジョリティ。認定ではなく、気づきと傷つきの経験。だから権利をもらっても解消されない。
    • 制服を選べるという権利を認めることで解決できるという人の軽さへの怒り。
    • 世間から善き人とされる人の実像は、献身的な善い行いの中にあるのではなく、迷いと揺らぎの中にしかない。
  • 子どもの不完全さが許せない親の反応は、大人になっても自分の不完全さが認められない未熟さの現れ。
  • 大人社会はごっこ遊びの延長。何者かを実装した瞬間から、誰もが芝居がかった平板な存在になり、言葉を失う。←自分の実在を深いところで肯定できない大人にとって、自分の問題について深く考えなくてよいメリットがある。→自分を子どものサポーターやある責務を全うすると思うことで、自分の物語を生きることから降りられる。
  • 差異による利益は詐欺と紙一重
    • 教育にお金を払う親は、将来に不安があるから。教育産業はそこにチャンスを見出している。不安をあおれば儲かる。
    • 子どもの将来のためを思う人もいるが、差異を利用して儲ける誘惑を作る資本主義構造に問題がある。これに気づいていない教育サービスの人は、詐欺になりやすい。
  • 人は自分の欲求にかなったストーリーを頭の中に練り上げることで生き延びようとする。自分にとっての現実を少しでも違ったものにしようとする。
    • 大人の自己本位なストーリーに子どもが巻き込まれてはいけない。
    • 親の子どもに対する悩みのほとんどは、子どもの現状が受け入れられないという叫びの言い換えに過ぎない。
  • 勉強をしなければならない理由はなく、勉強はしなくても生きていける
    • 勉強することに意味を持たせる条件は、勉強を通して自分自身が変化することを発見し、それによって世界の受容の仕方が変わり、自分を取り巻く人やものとの関係性も変わることを受容できること。
    • つまり、親や大人の思考から距離を取ることができる。
    • ただし、大人から自由になることは世間で生きやすくなることは意味せず、負担を感じやすい。だから多くの大人は安定・安心を求めて勉強しなくなる。
  • 方法的懐疑(デカルト):何でも疑う、疑う行為自体が自分を支える肝心なものだから。勉強を通して身につけるのは疑う姿勢。
  • 大人はなぜ子どもに将来の夢を聞くのか?→夢がある方が努力ができる、勉強ができるという発想があるから。
    • 目標達成には、人は言動の一貫性を求められる。その方が人間の記号的価値があがり、効率性が高まるから。しかし、人間らしさに関わるのは一貫性のなさ。

2023/01/29

酒井隆史(2022)『ブルシット・ジョブの謎』講談社現代新書


  •  BSJの定義:被雇用者本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、完璧に無意味で、不必要で、有害でさえある有償の雇用の形態。雇用条件の一環として、被雇用者は、そうでないと取り繕わねばならないと感じている。
  • BSJの種類:多くは5つの複合体
    • 取り巻き(flunky):誰かを偉そうに見せたり、偉そうな気分を味わわせるために存在している仕事。ドアマンなど。
    • 脅し屋(goons):その仕事が脅迫的な要素を持っている人間たち、だが決定的であるのは、その存在を他者の雇用に全面的に依存している人たち。ロビイスト、企業弁護士、広報専門家など。
    • 尻拭い(duct tapes):組織の中に欠陥が存在しているためにその仕事が存在しているにすぎない被雇用者。手が回らない、予算が足りない、人を減らしたくない等により、あえて誰も修正しようとしなかったシステム上の欠陥の後始末。
    • 書類穴埋め人(box tickers):ある組織が実際にはやっていないことをやっていると主張できるようにすることが、主要・唯一の存在理由であるような被雇用者。官僚主義的手続き、お役所仕事。
    • タスクマスター(taskmasters):不要な上司、学部長など。自ら仕事をBSとは言わない。複雑な組織の中で実践されているマネジリアリズム・イデオロギー(経営管理主義)がBSJを生んでいる。
  • 嘘をつくは、真理に対する配慮がある。ブルシットは、真実や事実はどうでもいい。その場をうまく丸め込む・論破する、自分をえらく見せる・知的に見せることが大切。
  • タスク指向と時間指向(トムスン「時間、労働規律、産業資本主義」)
    • 時計の発明+産業技術変化→時間を有効に使わなければならない→その変化の組織化、産業資本主義・近代国家の形成の促進
    • タスク指向=資本主義モラル浸透以前の仕事のあり方、自ら労働生活を統制している
      • 労働のパターンは、激しい労働と退場が交互に来る←ナチュラルな人間の労働のリズム
    • 時間指向=自ら労働生活を統制しない=労働過程のイニシアティブを資本家が握る
      • するべきことがなくても、いつも働いていなければならないという発想を生む
    • 官僚主義的組織・科学的管理法の会社=労働者の動作をあらかじめ規定することで、機械の付属品に変える
  • 合理的経済人の仮定は人類学が否定している:経済的動機だけで行動することは例外的
  • 臨教審以降の教育政策は、通常の新自由主義(neo-liberalism)とは似て非なるものである(苅谷)
    • 類似性:規制緩和、市場原理の導入、自己責任の強調
    • 相違点:規制緩和が、キャッチアップ型近代化を主導した規制国家(≒開発国家)の統制を弱めることを意味する点
    • →福祉国家=公教育予算の肥大化 ⇔ 現実=公教育予算の低劣 → 新自由主義のレトリックを用いて、あたかも肥大化しているから削減が必要という欺瞞
  • 空気を読むのは日本独特ではない。労働のための労働、モラルとしての労働、苦痛がなければ労働でないという倒錯は、北欧州から生まれた。
  • 日本の大学改革の問題はほとんど官僚制の問題(=上からの統制、管理の強化、ペーパーワークの増大、忖度、面従腹背)。
  • 合理化の不条理:シラバスの例:先端的経営による効率性をうたう大学の方が、異様に複雑な管理チェック過程を持つ。
  • →全面的官僚制化:社会が全面的に官僚制的論理に貫徹されていく事態
    • 民間部門で形成されたものは、官僚制的手続きであることが見えにくい(PDCA等)。
  • 競争は市場から生まれるのではなく、環境として構築される必要がある。新自由主義政策は、競争環境を人為的に構築し、その障害を解体する。こうした競争環境は、自由の増大と無関係=競争力をつけることが健全化とされ、それにより評価、監視、報告に参加させられ、ペーパーワークの増大をもたらす。
  • 封建制とは、お上が民衆の生産物を掠奪し、それを取り巻きにばらまくこと(分配様式の一種)。
  • SJ=割に合わない仕事。3K労働など。エッセンシャルでもある。エッセンシャルワーカーの7割が非大卒、女性や非白人も多い。実際、労働のかなりの部分は、ものの生産よりも、ものや人のケアの次元。
  • 教員のストライキは常識的なのに、反感も強い。あいつらはやりがいのある仕事をしてそれなりの報酬をもらって、何を求めるのかという反感。
  • Value=市場価値(価格メカニズムで客観的に決まるもの)、Values=価値観、諸価値(主観に属するもの)
  • 新自由主義は経済理論のようでいて実は政治的プロジェクト。
  • 経済が自律した現象として存立しうるのは、資本主義社会においてのみ。非資本主義社会では、生産、交換、貨幣の減少に、親族関係、宗教、政治が不可分に絡み、相互に浸透しあっている。