本論文は、私立大学の授業料がどのような変数で説明できるかを検討する実証研究である。丸山(1991)との違いは使用する説明変数群の違いであり、授業料を、偏差値、全学学生数、学部学生数、学生教員比、教員平均給与額、学生一人当たり校舎面積、学生一人当たり校地面積、地価、都市ダミー、帰属収入に占める教員人件費比、経常費補助率へ回帰する。
結果は、全学を対象とした分析では偏差値(-)、校舎面積(+)、都市ダミー(+)、経常費補助率(+)が有意、経済経営系学部対象の分析では学生数(-)、教員平均給与(+)、都市ダミー(+)、経常費補助率(+)が有意という結果である。理系、人文系学部ではあまり有意とならない。このことはヘドニックアプローチが前提とする市場モデルが成立していない(大学間に線形の関係がない)という含意を持つ。逆に、経済経営系は多くの大学が参加できる競争市場が成立しやすい。
属性別のデータの特徴として、経済・工では、大規模大学は学生数優先、中規模大学は学生数・授業料両立、小規模大学は学生数も授業料も拡大できないというパターンを見る。ここから、大規模大学でさえ授業料を抑えて偏差値と学生数の最大化を図る行動が見られるという。また、時系列では基本的に価格設定者の大学にそって授業料は決まるという。あえて結論を示すと、授業料は各学部の市場固有の要因とその市場競争力の大きさで決まる。
こうした内容なので、授業料がどう決まるかに対する答えは直接的に示していない。偏差値が55以上の約70大学を対象とした中で、偏差値別の分析は少し無理があると思われる。
2008/09/23
丸山文裕(1991)「私立大学授業料の規定要因分析」『大学論集』第20集 pp.267-280
本稿は、私立大学の授業料がどのような変数で説明できるかを検討する実証研究である。
分析の前に、育英主義と市場主義という二つの概念が重要となるのでまずこれを示す。育英主義の下では威信の高い大学ほど授業料が安く、能力が高く努力した者が安くて良質の教育を受けることができる。これは国立大学の授業料設定を説明する考え方である。逆に市場主義の下では、良質で威信の高い大学ほど教育コストがかかり、授業料が高く設定される。この視点で日本の私立大学を見ると、威信の高い大学ほど授業料が安いという実態が観察でき、育英主義に近い。
決定要因の分析は回帰分析で行うが、授業料を入学難易度(1から20の値をとる変数)に回帰するだけである。結果は医学部だけが負の効果で、他は全て正の効果があることが示される。すなわち、入学難易度が1単位上がると(係数β×入学者数)円だけ授業料が上げられるという市場主義を支持する結果である。
いうまでもなく本論文の分析は大幅な改善の余地があり、その後の研究を追う必要があるだろう。今後の研究課題としては、大学教育の需要側の価格弾力性推計がポイントになるのではないかと思われる。先行研究からすると重要な問題でありながら、日本で全く取り組まれていない研究である。
分析の前に、育英主義と市場主義という二つの概念が重要となるのでまずこれを示す。育英主義の下では威信の高い大学ほど授業料が安く、能力が高く努力した者が安くて良質の教育を受けることができる。これは国立大学の授業料設定を説明する考え方である。逆に市場主義の下では、良質で威信の高い大学ほど教育コストがかかり、授業料が高く設定される。この視点で日本の私立大学を見ると、威信の高い大学ほど授業料が安いという実態が観察でき、育英主義に近い。
決定要因の分析は回帰分析で行うが、授業料を入学難易度(1から20の値をとる変数)に回帰するだけである。結果は医学部だけが負の効果で、他は全て正の効果があることが示される。すなわち、入学難易度が1単位上がると(係数β×入学者数)円だけ授業料が上げられるという市場主義を支持する結果である。
いうまでもなく本論文の分析は大幅な改善の余地があり、その後の研究を追う必要があるだろう。今後の研究課題としては、大学教育の需要側の価格弾力性推計がポイントになるのではないかと思われる。先行研究からすると重要な問題でありながら、日本で全く取り組まれていない研究である。
2008/09/21
Hutchings, P. (2002) "The Scholarship of Teaching and Learning in Higher Education," An Annotated Bibliography, Revised and Updated, Fall 2002.
本稿では次のようなことを紹介する。(1)SOTLを定義するにあたり学生の効率的な学びや学びの特徴に注目する。(2)Scholarshipというと伝統的には研究論文や文献の執筆・出版だが、教授法の研究コミュニティでは現在はより広い手法(事例研究、聞き取り調査など)が用いられている。SOTLのモデルは、特定の教員だけが行える狭い手法に絞るべきではない。(3)SOTLの歴史自体が複線型で現在も進化している。
まずSOTLの歴史は、Boyerの90年の著作に始まる。伝統的な研究vs教育の論争を超えてscholoarshipという概念を打ち出し、優れた教育も研究と同様の意識・手法で行うことを提唱した。
その後94-98年にShulmanらを中心にして、教育のピアレビューという概念をSOTLに持ち込んだ。教育は単なる技術ではなく専門領域や関連領域の内容とその意味の深い理解を示す行為である。学者のコミュニティでは文書化し、公開し、総合に評価するのが基本であり、教育においても同様の活動が行われるべきと提唱した。彼らは教育の成果を他の教員が利用できるための9つの方針を開発して示した。
さらに97年にGlassick, Huber, MaeroffによってScholarshipを評価する6つの基準(明確な目標、十分な準備、適切な手法、有為な結果、効果的な提示、回顧的な批判)が示される。
こうした流れを経る中で、現在のSOTLの中心的な概念である、教育を研究的に振り返り、論文化などを通じてピアレビューを行い、質を高めていく活動へとつながっていく。
まずSOTLの歴史は、Boyerの90年の著作に始まる。伝統的な研究vs教育の論争を超えてscholoarshipという概念を打ち出し、優れた教育も研究と同様の意識・手法で行うことを提唱した。
その後94-98年にShulmanらを中心にして、教育のピアレビューという概念をSOTLに持ち込んだ。教育は単なる技術ではなく専門領域や関連領域の内容とその意味の深い理解を示す行為である。学者のコミュニティでは文書化し、公開し、総合に評価するのが基本であり、教育においても同様の活動が行われるべきと提唱した。彼らは教育の成果を他の教員が利用できるための9つの方針を開発して示した。
さらに97年にGlassick, Huber, MaeroffによってScholarshipを評価する6つの基準(明確な目標、十分な準備、適切な手法、有為な結果、効果的な提示、回顧的な批判)が示される。
こうした流れを経る中で、現在のSOTLの中心的な概念である、教育を研究的に振り返り、論文化などを通じてピアレビューを行い、質を高めていく活動へとつながっていく。
2008/09/19
Eberly, M., Newton, S. and R. Wiggins, (2001) "The Syllabus as a Tool for Student-Centered Learning," Journal of General Education, vol.50, no.1, pp.56-74.
本論文は、オークランド大学の3人の教員が自大学の一般教育のシラバスを読んで、その特徴を記述するという分析を行った記録である。結論としては、オークランド大学の一般教育シラバスは、学生の学習支援シラバスとしてはやや不十分であるということを述べるが、それよりもシラバスが学習者主体の学習を進める道具であるという点に注目した解説が興味深い。
今日の大学のおけるシラバスの役割には3つある。(1)事務的書類、(2)授業開発、(3)学生との人間関係構築、といった役割である。
1点目については、さらに3つの側面がある。シラバスは(1)授業に関して公的かつ明確に文書化された書類であり、(2)学生からの履修・単位認定等に関する問い合わせの際に回答の根拠となる資料であり、(3)授業担当者が変わった際に授業内容の同質性を維持するための連絡文書である。シラバスが学生と教員(大学)との契約文書と言われる背景は、こうした側面によるものである。
2点目について、シラバスの中心は授業計画である。教員にとってはシラバスをつくることは、授業全体を綿密に計画するまたとない機会であり、分析的な視点で振り返るべきである。また、シラバスには出席に関する考え方、学生に期待する学習成果、授業の受講上の規範などが書かれている文書であり、教員の授業に対する責任と考え方が現れている文書である。よって、定期的なシラバスの点検はカリキュラムと開講科目を評価する重要な手段になる。カリキュラム改革では授業の内容のみが問題にされがちであるが、シラバスの分析はカリキュラム改革の作業で一番始めに行う作業である。
3点目について、学生の教員に対する前向きな人間関係作りと授業に対する期待の維持は、初回の授業のシラバスと教員によるその説明の仕方で決まる。シラバスを丁寧に作って提示することは、クラスの暗黙の行動規範を決める上で重要であり、教員への信頼度を大きく左右する。
事例分析を通じて主張された点は、どのようなテストを行うかに関する説明が少ない、カリキュラム上の目標や科目区分の目標と授業の目標との関連(なぜこの授業を受ける必要があるかの説明)が書かれていない、学習内容と学術憲章との関連に関する記述が少ない、学生間の協力を通じた学習の内容など授業で得られる学習経験や学習プロセスに関する説明が少ない、授業計画がただのアウトラインで学生が学習するためのガイドになっていないというものである。学問分野別の比較等も示されているが、これらによれば日本の大学の現状と全く変わらず、米国だからシラバスが充実していると見るのは間違いだろう。
最後に、教員がどれだけシラバス作りに時間をかけられるかが、シラバスを学習のための支援書とするために決定的に重要であるという自明なまとめで終わる。しかし、比較的シラバスとは何かを先行研究に沿って整理して書かれた文章であるといえる。
今日の大学のおけるシラバスの役割には3つある。(1)事務的書類、(2)授業開発、(3)学生との人間関係構築、といった役割である。
1点目については、さらに3つの側面がある。シラバスは(1)授業に関して公的かつ明確に文書化された書類であり、(2)学生からの履修・単位認定等に関する問い合わせの際に回答の根拠となる資料であり、(3)授業担当者が変わった際に授業内容の同質性を維持するための連絡文書である。シラバスが学生と教員(大学)との契約文書と言われる背景は、こうした側面によるものである。
2点目について、シラバスの中心は授業計画である。教員にとってはシラバスをつくることは、授業全体を綿密に計画するまたとない機会であり、分析的な視点で振り返るべきである。また、シラバスには出席に関する考え方、学生に期待する学習成果、授業の受講上の規範などが書かれている文書であり、教員の授業に対する責任と考え方が現れている文書である。よって、定期的なシラバスの点検はカリキュラムと開講科目を評価する重要な手段になる。カリキュラム改革では授業の内容のみが問題にされがちであるが、シラバスの分析はカリキュラム改革の作業で一番始めに行う作業である。
3点目について、学生の教員に対する前向きな人間関係作りと授業に対する期待の維持は、初回の授業のシラバスと教員によるその説明の仕方で決まる。シラバスを丁寧に作って提示することは、クラスの暗黙の行動規範を決める上で重要であり、教員への信頼度を大きく左右する。
事例分析を通じて主張された点は、どのようなテストを行うかに関する説明が少ない、カリキュラム上の目標や科目区分の目標と授業の目標との関連(なぜこの授業を受ける必要があるかの説明)が書かれていない、学習内容と学術憲章との関連に関する記述が少ない、学生間の協力を通じた学習の内容など授業で得られる学習経験や学習プロセスに関する説明が少ない、授業計画がただのアウトラインで学生が学習するためのガイドになっていないというものである。学問分野別の比較等も示されているが、これらによれば日本の大学の現状と全く変わらず、米国だからシラバスが充実していると見るのは間違いだろう。
最後に、教員がどれだけシラバス作りに時間をかけられるかが、シラバスを学習のための支援書とするために決定的に重要であるという自明なまとめで終わる。しかし、比較的シラバスとは何かを先行研究に沿って整理して書かれた文章であるといえる。
2008/09/18
Simonson, M. (2000) "Making Decisions: The Use of Electronic Technology in Online Classrooms," in Weiss, R. and D. Knowlton eds. Principles of Effective Teaching in the Online Classroom, pp.29-34.
本論文は、対面教育と同等の教育を行うための、オンライン教育における技術の使い方について述べたものである。対面教育と同等の教育とは、バーチャルシステムによる授業配信のような技術を活用して対面教育を忠実に再現するという意味ではなく、対面教育で得られる学習経験と同じ学習経験をオンラインでも行うという意味である。ここでいう学習経験は、知識の習得、他者との共同作業や討論、学習成果の発表などが含まれる。
同等の教育経験を獲得するための技術の組み合わせは、Equivalency Theoryという考え方に基づく。Equivalency Theoryは、通信技術の進展に伴い、オンラインにおいても適切な技術を組み合わせることで、教材の配信、教員と学生・学生間のコミュニケーション・コラボレーション、課題の提出とフィードバックなどが対面教育の学習経験に近づけることができるという考え方である。ここでは、それを実現するための方法論を以下の4点でまとめる。
(1)技術の検討:これには2つのステップがあり、(i)最も効率的に学習できる抽象度(Cone of Experience)を決める(効率的 vs 効果的)(ii)最低限必要となる技術を決める、である。
(2)学習成果の決定:ここでは、さまざまな技術を使って学習成果を示させることが重要になる。よく用いられる効果的な方法として、昨年度の学生の成果を提示し、その批判的検討をさせる課題が有効であることを多くの実践者が指摘している。
(3)学習経験の特定と適切な技術とのマッチング:先に指摘したように、対面教育の学習経験と同等の学習経験を得ることは、対面学習のバーチャル配信ではないため、対面教育の授業計画と同一ではなく、むしろ根本的に異なる。本論文では、その具体的技術マッチングについて、掲示板など様々な方法に触れているが、現在ではCMSがあれば解決できる問題がほとんどであるため、この点は問題とならないだろう。
(4)学習経験の配信:最後に学習計画のフィックスを行う。オンラインの学習プロセスの特徴は、教員からのアプローチと学生の自学自習の二つの側面がある(対面教育でも同じだが)。プロセスを大きく分けると、リニアモデル、枝分かれモデル、学生主体モデルの4つになる。リニアはスモールステップでプログラム学習的に進める学習、枝分かれはリニアにいくつかの階層を持つものである。学生主体になると、学習のペースは完全に学生に委ねられる。リニアであれば、前のチャンクの学習を引き継ぐ形で設計できるが、学生主体の場合、前のチャンクからの時間が個人により変わるため、学習目標の獲得を保証するには各チャンクでの完結性が求められる。
本論文の指摘は、オンライン教育の領域で一定のコンセンサスを得たものということであるが、ガイドラインを語ってはいるもののこれだけで授業実践者がその意図するところを汲み取れるかというと疑問が残る。また、本論文の主旨は基本的に賛同できるものであるが、こうした議論の土台となる根拠が見えにくい。おそらく学習心理学によるところが大きいと思うが、そのロジックをもう少し正確に示さないことには、研究論文としての価値に疑問がついてしまうだろう。
同等の教育経験を獲得するための技術の組み合わせは、Equivalency Theoryという考え方に基づく。Equivalency Theoryは、通信技術の進展に伴い、オンラインにおいても適切な技術を組み合わせることで、教材の配信、教員と学生・学生間のコミュニケーション・コラボレーション、課題の提出とフィードバックなどが対面教育の学習経験に近づけることができるという考え方である。ここでは、それを実現するための方法論を以下の4点でまとめる。
(1)技術の検討:これには2つのステップがあり、(i)最も効率的に学習できる抽象度(Cone of Experience)を決める(効率的 vs 効果的)(ii)最低限必要となる技術を決める、である。
(2)学習成果の決定:ここでは、さまざまな技術を使って学習成果を示させることが重要になる。よく用いられる効果的な方法として、昨年度の学生の成果を提示し、その批判的検討をさせる課題が有効であることを多くの実践者が指摘している。
(3)学習経験の特定と適切な技術とのマッチング:先に指摘したように、対面教育の学習経験と同等の学習経験を得ることは、対面学習のバーチャル配信ではないため、対面教育の授業計画と同一ではなく、むしろ根本的に異なる。本論文では、その具体的技術マッチングについて、掲示板など様々な方法に触れているが、現在ではCMSがあれば解決できる問題がほとんどであるため、この点は問題とならないだろう。
(4)学習経験の配信:最後に学習計画のフィックスを行う。オンラインの学習プロセスの特徴は、教員からのアプローチと学生の自学自習の二つの側面がある(対面教育でも同じだが)。プロセスを大きく分けると、リニアモデル、枝分かれモデル、学生主体モデルの4つになる。リニアはスモールステップでプログラム学習的に進める学習、枝分かれはリニアにいくつかの階層を持つものである。学生主体になると、学習のペースは完全に学生に委ねられる。リニアであれば、前のチャンクの学習を引き継ぐ形で設計できるが、学生主体の場合、前のチャンクからの時間が個人により変わるため、学習目標の獲得を保証するには各チャンクでの完結性が求められる。
本論文の指摘は、オンライン教育の領域で一定のコンセンサスを得たものということであるが、ガイドラインを語ってはいるもののこれだけで授業実践者がその意図するところを汲み取れるかというと疑問が残る。また、本論文の主旨は基本的に賛同できるものであるが、こうした議論の土台となる根拠が見えにくい。おそらく学習心理学によるところが大きいと思うが、そのロジックをもう少し正確に示さないことには、研究論文としての価値に疑問がついてしまうだろう。
2008/09/17
Morrison, G. and P. Guenther (2000) "Designing Instruction for Learning in Electronic Classrooms," in Weiss, R. and D. Knowlton eds. Principles of Effective Teaching in the Online Classroom, pp.15-22.
本論文は、いわゆるe-learningにおけるウェブデザインについて述べることを目的としている。その論は(1)遠隔教育の定義、(2)遠隔教育におけるWebの意味、(3)教材のデザイン、というように述べられている。
まず、遠隔教育の定義であるが、これまでの議論をまとめる限り、(i)教師と学生が時間と場所の両方において離れていること、(ii)時間というより場所において離れていることの2つがある。(i)は通信教育のように学習教材が、実際に学習が行われるずっと前に準備され、パッケージされるという意味であり、(ii)は近年現れた、バーチャルシステムとも言うべき、ストリーミングやチャットのような双方向コミュニケーションである。ただし、本論文では、基本的に遠隔教育では時間と場所の双方において離れていることと定義すると考え、(ii)も完全な同時性はないが双方向コミュニケーションを重視したものとして、Asymchronous Learning Networks (ALN)と考える。
次にWebの意味である。第1にWebが学習に与える影響であるが、これは本質的にない。学習に影響を与えるのは学習者を参加させる方針と考えをコミュニケートする方法であるから、それらを効率的に行う方針としてのWebにフォーカスしなければ意味がない。第2に、ハイパーリンクであるが、ハイパーリンクは学生が学習内容と積極的に関わることを促進する点で、学習に本質的な影響がある。特に、オンラインディスカッションやレポート執筆の準備や、情報の比較などを行う際には、ハイパーリンクの長所が生きる。
最後にデザインの設計であるが、このポイントはRecall Strategy(事実の記憶を支援する仕掛け)、Organizational Strategy(異なる理論を表にして対比する)、Integration Sstrategy(文章を要約する)、Elaboration Strategy(考えたことを書いてまとめる)とまとめられている。
Designing Instructionということで、読んでみたものの文字通りのデザイン論ということで、少し狙いを外してしまった。
まず、遠隔教育の定義であるが、これまでの議論をまとめる限り、(i)教師と学生が時間と場所の両方において離れていること、(ii)時間というより場所において離れていることの2つがある。(i)は通信教育のように学習教材が、実際に学習が行われるずっと前に準備され、パッケージされるという意味であり、(ii)は近年現れた、バーチャルシステムとも言うべき、ストリーミングやチャットのような双方向コミュニケーションである。ただし、本論文では、基本的に遠隔教育では時間と場所の双方において離れていることと定義すると考え、(ii)も完全な同時性はないが双方向コミュニケーションを重視したものとして、Asymchronous Learning Networks (ALN)と考える。
次にWebの意味である。第1にWebが学習に与える影響であるが、これは本質的にない。学習に影響を与えるのは学習者を参加させる方針と考えをコミュニケートする方法であるから、それらを効率的に行う方針としてのWebにフォーカスしなければ意味がない。第2に、ハイパーリンクであるが、ハイパーリンクは学生が学習内容と積極的に関わることを促進する点で、学習に本質的な影響がある。特に、オンラインディスカッションやレポート執筆の準備や、情報の比較などを行う際には、ハイパーリンクの長所が生きる。
最後にデザインの設計であるが、このポイントはRecall Strategy(事実の記憶を支援する仕掛け)、Organizational Strategy(異なる理論を表にして対比する)、Integration Sstrategy(文章を要約する)、Elaboration Strategy(考えたことを書いてまとめる)とまとめられている。
Designing Instructionということで、読んでみたものの文字通りのデザイン論ということで、少し狙いを外してしまった。
2008/09/16
Knowlton, D. (2000) "A Theoretical Framework for the Online Classroom: A Defense and Delineation of a Student-Centered Pedagogy," in Weiss, R. and D. Knowlton eds. Principles of Effective Teaching in the Online Classroom, pp.5-14.
本論文は遠隔教育では原則としてSutdent-Centeredであるべきということを、論理的に説明することを試みたものである。本論文が主張する本質的なOnleine Classroomとは、教員が学生に対し、他の学生・テキストなどの伝統的教材・ニュースグループなどのWebリソース・職業や文化などの生活経験・問題解決との関わりを与える枠組みを設定することと要約できる。
ここではまず、Professor-CenteredとStudent-Centeredの違いを明らかにしておく。
内容と教材
P:教師が準備した内容を学生が知り、記憶し、意味付ける。
S:学生自身も内容の提供を行い、学生自身の学習を積極的にコントロールする(学習の成果がより個人的になる)
教師の役割
P:学生を組織化し、知識を広く伝えて、学生はそれを吸収する
S:教師と学生の役割が動的に変化し、教師はコーチ・メンターのような役割をする
学習プロセス
P:知識が教師から学生へ一方向で移転し、学生に知識を伝える点で最も効率的
S:学生に他の学生や教師との共同作業を求め、知識(の体系)を自ら構築する
当たり前のような気もするが、まずこの定義を確認しておく。
では、なぜ遠隔教育ではStudent-Centeredなのか。これには、(1)教授法と(2)社会性の2点からその根拠を説明する。(1)Onlineでは、教授はテキストによって行われる。教授が学生の知識を満たすことを目的とし、その中心的役割としてのテキストがあるなら、教師の本質的な役割はない。(2)対面授業では学びの中に社会性があるが、Onlineでは他者との相互交流なしには、学生にこうした面は認識されない。本論文では、なぜStudenet-Centeredなのかを論じた点はこの2点と思われるが、理論的な根拠という割には裏付けが曖昧である。
ここではまず、Professor-CenteredとStudent-Centeredの違いを明らかにしておく。
内容と教材
P:教師が準備した内容を学生が知り、記憶し、意味付ける。
S:学生自身も内容の提供を行い、学生自身の学習を積極的にコントロールする(学習の成果がより個人的になる)
教師の役割
P:学生を組織化し、知識を広く伝えて、学生はそれを吸収する
S:教師と学生の役割が動的に変化し、教師はコーチ・メンターのような役割をする
学習プロセス
P:知識が教師から学生へ一方向で移転し、学生に知識を伝える点で最も効率的
S:学生に他の学生や教師との共同作業を求め、知識(の体系)を自ら構築する
当たり前のような気もするが、まずこの定義を確認しておく。
では、なぜ遠隔教育ではStudent-Centeredなのか。これには、(1)教授法と(2)社会性の2点からその根拠を説明する。(1)Onlineでは、教授はテキストによって行われる。教授が学生の知識を満たすことを目的とし、その中心的役割としてのテキストがあるなら、教師の本質的な役割はない。(2)対面授業では学びの中に社会性があるが、Onlineでは他者との相互交流なしには、学生にこうした面は認識されない。本論文では、なぜStudenet-Centeredなのかを論じた点はこの2点と思われるが、理論的な根拠という割には裏付けが曖昧である。
2008/09/15
Taylor, J., Amaral, A. and Machado, M. (2007) "Strategic Planning in U.S. Higher Education: Can it Succeed in Europe?" pp.5-17
組織の変化を測るポイントは、(1)戦略計画に基づくマネジメント、(2)上級マネジメントチームの設置、(3)意志決定プロセスの省力化・組織構造のフラット化、(4)教員レベルへの予算権限委譲、の4つ。
英国での高等教育の市場化は、思ったような効果を持たなかった。その理由は、学生が商品に対する対価を支払う主体でないこと、その価格と商品を決める主体は政府であること、の2つ。
欧州の高等教育室保障のスタートは、学生の流動性を高めること、欧州市民の雇用適正の向上、それらを通じた欧州社会全体の経済的発展を目指したこと。
Bolognaプロセスの中で、大学院教育に対する国家の役割が軽視され、個人の責任で行うことになった。
流動性、雇用可能性、競争性、透明性については合意できても、各機関におけるその実現は別の問題。
質保障とは、誰が質を定義するかという問題であり、その議論はまさに権限に関する議論である。
戦略プランニングは、機関内の実行では様々な問題がありながらも、その有用性が指摘されてきた。本論の立場は、戦略プランニング自体の有効性を認めながらも、その実効性には不備があるというもの。
戦略プランは、アメリカで始まったが、必ずしも成功しているとは言えない。
その原因は、リーダーシップの欠如、コミュニケーションの不足、構成員の不参加、権限の分散、資源不足、改革への抵抗、戦略プロセスそのものへの不理解である。
Brysonによれば、非営利組織の戦略プランニングは、プランニングというよりも戦略的マネジメントである。戦略的な思考に参加することの方が、プランの立案そのものよりも重要。
もう一つアメリカでうまくいっていない理由は、単に流行に乗るためにプランを作っていて、信頼性がないため。対外的な文書作成に終始してる。
HEFCEの戦略プランニングガイドは、高等教育機関の複雑性や不確実性への配慮がなさすぎた。組織として直面する不確実性の認識や、戦略を単なる計画立案と解釈した点が問題だ。
本稿ではプランニングプロセスに失敗の原因があると考える。プロセスが、データ主義で、官僚的であるために、プランニングがうまくいかなくなる。戦略プランニングは、データ主導の情報処理、戦略的思考は創造的な発想と言ってもよい。
戦略プランニングは権限を教員から中央へ移すことと理解されがちだが、そうした状況では、教員は取り残されることへの不安を覚える。
ポルトガルは、戦略の必要性が業界で高まっている。:私大の成長と人口減、ポリテクの大学化など。
総じて、アメリカに比べて欧州では、組織が構造化され、コミュニケーションが効果的に行われず、教員が力を持っているため、トップが設定したプランを実行することが難しい。
しかも、トップが教員から選挙で選ばれ、トップしての準備をせずにポストに就くケースも多いために、リーダーシップを発揮しにくい。
欧州は、しっかりした質保障システムを持つ割に、国際化の取り組みが不十分。国際化を通じて質保障を進めることも取り組むべき。
PetersonのContexualアプローチをより重視すべき。
結局、アメリカ型の戦略プランニングモデルは、欧州で有効なのか?
→かなりの障害があるといえる。
課題は2つ。
1つは、自律性を高めること。
2つめは、構造化された組織でのモデルを確立すること。
↑あまりに、一般的すぎ?
英国での高等教育の市場化は、思ったような効果を持たなかった。その理由は、学生が商品に対する対価を支払う主体でないこと、その価格と商品を決める主体は政府であること、の2つ。
欧州の高等教育室保障のスタートは、学生の流動性を高めること、欧州市民の雇用適正の向上、それらを通じた欧州社会全体の経済的発展を目指したこと。
Bolognaプロセスの中で、大学院教育に対する国家の役割が軽視され、個人の責任で行うことになった。
流動性、雇用可能性、競争性、透明性については合意できても、各機関におけるその実現は別の問題。
質保障とは、誰が質を定義するかという問題であり、その議論はまさに権限に関する議論である。
戦略プランニングは、機関内の実行では様々な問題がありながらも、その有用性が指摘されてきた。本論の立場は、戦略プランニング自体の有効性を認めながらも、その実効性には不備があるというもの。
戦略プランは、アメリカで始まったが、必ずしも成功しているとは言えない。
その原因は、リーダーシップの欠如、コミュニケーションの不足、構成員の不参加、権限の分散、資源不足、改革への抵抗、戦略プロセスそのものへの不理解である。
Brysonによれば、非営利組織の戦略プランニングは、プランニングというよりも戦略的マネジメントである。戦略的な思考に参加することの方が、プランの立案そのものよりも重要。
もう一つアメリカでうまくいっていない理由は、単に流行に乗るためにプランを作っていて、信頼性がないため。対外的な文書作成に終始してる。
HEFCEの戦略プランニングガイドは、高等教育機関の複雑性や不確実性への配慮がなさすぎた。組織として直面する不確実性の認識や、戦略を単なる計画立案と解釈した点が問題だ。
本稿ではプランニングプロセスに失敗の原因があると考える。プロセスが、データ主義で、官僚的であるために、プランニングがうまくいかなくなる。戦略プランニングは、データ主導の情報処理、戦略的思考は創造的な発想と言ってもよい。
戦略プランニングは権限を教員から中央へ移すことと理解されがちだが、そうした状況では、教員は取り残されることへの不安を覚える。
ポルトガルは、戦略の必要性が業界で高まっている。:私大の成長と人口減、ポリテクの大学化など。
総じて、アメリカに比べて欧州では、組織が構造化され、コミュニケーションが効果的に行われず、教員が力を持っているため、トップが設定したプランを実行することが難しい。
しかも、トップが教員から選挙で選ばれ、トップしての準備をせずにポストに就くケースも多いために、リーダーシップを発揮しにくい。
欧州は、しっかりした質保障システムを持つ割に、国際化の取り組みが不十分。国際化を通じて質保障を進めることも取り組むべき。
PetersonのContexualアプローチをより重視すべき。
結局、アメリカ型の戦略プランニングモデルは、欧州で有効なのか?
→かなりの障害があるといえる。
課題は2つ。
1つは、自律性を高めること。
2つめは、構造化された組織でのモデルを確立すること。
↑あまりに、一般的すぎ?
2008/09/14
慶応義塾大学教養教育研究会(2002)『教養教育グランド・デザイン -新たな知の創造-』 文部科学省委託研究報告書
本書は研究論文という性格のものとは異なるが、教養教育に関して分析的にまとめてモデルを提示したという、この領域では珍しい文献であるので、ここで取り上げてみたいと思う。現在の教養教育の問題とは何か。本書ではこれを、大学教員の専門重視・教養軽視と言い切る。しかし、大学全入時代がくる中で私立大学にとっては、基本的な知識や基礎学力の欠如した学生・学習分野の偏った学生とのミスマッチの解消が、教育の質の向上に決定的な問題となる。
学力の低い入学者を受け入れる中で、大学の存在意義は何か。それを本書では、社会のリーダーの輩出と位置づける(これを前提に以下の議論を組み立てる)。すると、リーダーに求められるものは、「人類が築き上げてきたさまざまな知の体系に対する深い造詣とこれを現実に適用するための明確な自己の座標軸」であるという。別の言葉では、古典から現代までの知の連鎖の理解と、それに自らの体験を符合させることで確固たる世界観・価値観を確立することである。
ここまでは、概論ということで他の文献でも既に語られていることかもしれないが、これをどうやって具体的なデザインにするかである。以下ではこれを(1)知のありかた、(2)カリキュラム化、(3)それらを支えるマネジメントシステムという視点で独自に整理してみる。まず(1)について、知とは文化知・社会知・化学知・身体知・言語知・複合知があるという。身体・言語が知の創造と継承、文化・社会・科学が知の継承と伝達、複合が新たな知の複合という。しかし、これだけではこれまでいわれてきた教養科目の分類を言葉を変えているにすぎない。(2)については、モジュール制というものを出している。このモジュール制自体は非常に興味深い特徴を持っており、レベル制の導入、複数専攻制など、知を獲得するためのロードマップが示されている。(3)においては、グレード制科目の設置、GPAの活用、入学要件などが示されているが、具体的な提案は示されていない。ここでは、(2)の知を継承し、創造して伝達し、複合させるための道筋が本書のポイントと思われる。これは見方によっては、モジュール=学年で、従来のものを言葉だけ変えているように思えるのであるが、専門と教養というような区分を考えず、学士過程はすべて教養教育であるという発想を前提にデザインされている点が重要と思われる。
学力の低い入学者を受け入れる中で、大学の存在意義は何か。それを本書では、社会のリーダーの輩出と位置づける(これを前提に以下の議論を組み立てる)。すると、リーダーに求められるものは、「人類が築き上げてきたさまざまな知の体系に対する深い造詣とこれを現実に適用するための明確な自己の座標軸」であるという。別の言葉では、古典から現代までの知の連鎖の理解と、それに自らの体験を符合させることで確固たる世界観・価値観を確立することである。
ここまでは、概論ということで他の文献でも既に語られていることかもしれないが、これをどうやって具体的なデザインにするかである。以下ではこれを(1)知のありかた、(2)カリキュラム化、(3)それらを支えるマネジメントシステムという視点で独自に整理してみる。まず(1)について、知とは文化知・社会知・化学知・身体知・言語知・複合知があるという。身体・言語が知の創造と継承、文化・社会・科学が知の継承と伝達、複合が新たな知の複合という。しかし、これだけではこれまでいわれてきた教養科目の分類を言葉を変えているにすぎない。(2)については、モジュール制というものを出している。このモジュール制自体は非常に興味深い特徴を持っており、レベル制の導入、複数専攻制など、知を獲得するためのロードマップが示されている。(3)においては、グレード制科目の設置、GPAの活用、入学要件などが示されているが、具体的な提案は示されていない。ここでは、(2)の知を継承し、創造して伝達し、複合させるための道筋が本書のポイントと思われる。これは見方によっては、モジュール=学年で、従来のものを言葉だけ変えているように思えるのであるが、専門と教養というような区分を考えず、学士過程はすべて教養教育であるという発想を前提にデザインされている点が重要と思われる。
2008/09/13
山内乾史(2000)「何のためのFDか? -イギリスとの比較-」『高等教育ジャーナル』 pp.22-32.
本論文は、FDを学内で有効に機能させる可能性について探ったものである。基本的に専門的自決性を持った教授職に外からFDを強要するものではない。従って、日本の大学に求められているFD政策は自発性を引き出す仕掛けである。本論文は、日本におけるこうしたFDの可能性を探るために、イギリスの事例を検討する。
先に触れたことはイギリスでも同様にいえるが、なぜイギリスでSDが進んだかというと、端的に行ってSDを行うことが財源の獲得になるためである。財政難とともに高等教育サービスの品質管理が厳しく問われるようになった。大学は、SD研修の実績(効率性・有効性・生産性)の評価に基づいて財政的補助が受けられるようになったため、大きな大学では専門のセンターを設置し、ノウハウを蓄積し、学内のみならず学外のコンサルティング、公共機関や企業の人材研修までできるようにして資金を得ている。
この意味は、SDは単に教授職の能力開発支援から、機関の効率的・効果的な管理運営を促す手段と位置づけられている点で重要である。日本と同様に研究指向であるイギリスのように、日本においてこうした仕掛けが有効に機能するだろうか?少なくともFDが何らかの教員の評価に関連しなければ仕掛けとはならないであろう。イギリスでも実態としては教員は研究のためにSDに真剣に取り組んでいないくらいであるから、日本においては相当な仕掛け、例えば給与へ直結する仕掛けが必要になる。
すると当然出る疑問が、そうしたFDの評価をどのように行うかであり、ここに今後の研究の余地があると考えられる。
先に触れたことはイギリスでも同様にいえるが、なぜイギリスでSDが進んだかというと、端的に行ってSDを行うことが財源の獲得になるためである。財政難とともに高等教育サービスの品質管理が厳しく問われるようになった。大学は、SD研修の実績(効率性・有効性・生産性)の評価に基づいて財政的補助が受けられるようになったため、大きな大学では専門のセンターを設置し、ノウハウを蓄積し、学内のみならず学外のコンサルティング、公共機関や企業の人材研修までできるようにして資金を得ている。
この意味は、SDは単に教授職の能力開発支援から、機関の効率的・効果的な管理運営を促す手段と位置づけられている点で重要である。日本と同様に研究指向であるイギリスのように、日本においてこうした仕掛けが有効に機能するだろうか?少なくともFDが何らかの教員の評価に関連しなければ仕掛けとはならないであろう。イギリスでも実態としては教員は研究のためにSDに真剣に取り組んでいないくらいであるから、日本においては相当な仕掛け、例えば給与へ直結する仕掛けが必要になる。
すると当然出る疑問が、そうしたFDの評価をどのように行うかであり、ここに今後の研究の余地があると考えられる。
2008/09/12
Caffarella, R. (1993) "Self-Directed Learning," in Merriam, S. eds. An Update on Adult Learning Theory.
本論文は、Self-Diredted Learning(SDL)が、Adult Learningの研究にどのような貢献をしたかという点を考察することを目的としている。ここでいうSDLを端的に言うと、SDLが伝統的な学習と異なる点は、学習者が学習の計画・実行・評価に関わろうとうする点である。成人教育の分野における概念的枠組みには大きく分けてAndragogyとSDLの二つがあるということだが、両者は本質的には同一ではないかと思われる。また、本論文でもAndragogyの議論と同様に、SDLが大人を学習者としてみる際の視点や、大人の学習プロセスを理解する点で貢献があるものの、SDLがAdlut Learningの真理というわけではなく、多くの議論の余地を残していることを指摘している。
結局のところここまで見てくると、AndragogyであれSDLであれ、「~らしい」ということまでは分かっているものの、単一のモデルの構築には至っていないというのが現在までの研究であると考えられる。教育学のモデルに単一のモデルがあるのかどうかは分からないが、この分野の研究者がそれを求めており、かつ、この20年間その発見に向けての研究はブレイクスルーがないまま停滞していると理解しておいてよいだろう。これまでに膨大な数の文献が蓄積されているようだが、どの文献も非常に観念的で現実的なインプリケーションが乏しい上に、ここ20年の間に書かれた文献は、過去の文献を引用して再解釈するという非生産的活動になっている。個人的に、教育学に「理論」などというものはありえないと思うが、少なくとも科学的にアプローチしたいのであれば、この手の研究の増産ではなく、例えば三十歳代理系技術職の成人教育、低所得階層ブルーカラーの成人教育など対象のフォーカスを絞るべきであろう。成人教育という大きな土台で観念的な議論を堂々巡りさせていては、研究者として社会貢献をしていないに等しいのではないだろうか。
結局のところここまで見てくると、AndragogyであれSDLであれ、「~らしい」ということまでは分かっているものの、単一のモデルの構築には至っていないというのが現在までの研究であると考えられる。教育学のモデルに単一のモデルがあるのかどうかは分からないが、この分野の研究者がそれを求めており、かつ、この20年間その発見に向けての研究はブレイクスルーがないまま停滞していると理解しておいてよいだろう。これまでに膨大な数の文献が蓄積されているようだが、どの文献も非常に観念的で現実的なインプリケーションが乏しい上に、ここ20年の間に書かれた文献は、過去の文献を引用して再解釈するという非生産的活動になっている。個人的に、教育学に「理論」などというものはありえないと思うが、少なくとも科学的にアプローチしたいのであれば、この手の研究の増産ではなく、例えば三十歳代理系技術職の成人教育、低所得階層ブルーカラーの成人教育など対象のフォーカスを絞るべきであろう。成人教育という大きな土台で観念的な議論を堂々巡りさせていては、研究者として社会貢献をしていないに等しいのではないだろうか。
2008/09/11
Pratt, D. (1993) "Andragogy after Twenty-Five Years," in Merriam, S. eds. An Update on Adult Learning Theory.
本論文は、これまでのAndragogy の研究が、成人教育の分野にどのような貢献をしたかについて再考するというものである。この問題に取り組むために、本論文では、次の4つの課題を設定して考察する。すなわち、第一に、学習とは何か、第二に、Adult Learningの前提は何か、第三に、Adult Learningをどのように促進したらよいか、第四に、Adult Learningの目的は何か、という課題である。
まず、Andragogyに関しては、学習の中核的概念がないことは古くから指摘されている。しかし、Adult learningを理論的に特徴づけられるかどうかは、学習の概念に依存する。知識は学習者によって能動的に構築され、学習は個人の経験した世界を理解・統合・転換する総合的プロセスであるという、二つの学習原則にAndragogyは依存している。しかし、Andragogyは学習者の心理的側面のみに着目したものであり、社会的・経済的・文化的・歴史的側面を考慮したものではない。実際の学習者にとっては、学習はキャリアを変えるなどのチャンスであり、社会経済生活と切り離せないものである。Andragogyは学習者個人が学習の中心にいることは自明と考えているが、実際に大人を教育している人は個人と社会の相互作用があると考えている。
結局のところ、Andragogyは大人を学習者として理解する点においては多大な貢献があったが、大人の学習プロセスを理解する点においてはほとんど貢献がなかったと考えるべきであろう。当初の4つの課題は、次の二つの議論に集約できる。一つは、学習の過程と評価において学習者本位か教師本位かの問題、もう一つは学習に影響を与えるものが人間の生来的特質か社会構造的特質かの問題ということである。
ちなみに、Knowlsの概念についてまとめておくと、Andragogyの背景には、(1)Self-concept、(2)prior experience、(3)readiness to learn、(4)learning orientation、(5)motivation to learnがあり、Andragogical process designにおいては(1)社会的風土、(2)学習計画に学習者が関わる、(3)学習者の自身のニーズの発掘に学習者が関わる、(4)学習目標の形成に学習者が関わる、(5)学習計画のデザインに学習者が関わること、(6)学習計画の遂行を援助する、(7)学習の評価に学習者が関わること、という7つの要素があると指摘している。
Andragogyのサーベイとしては大変興味深い文献であるものの、今後の研究の方向については言及していない点が残念である。
まず、Andragogyに関しては、学習の中核的概念がないことは古くから指摘されている。しかし、Adult learningを理論的に特徴づけられるかどうかは、学習の概念に依存する。知識は学習者によって能動的に構築され、学習は個人の経験した世界を理解・統合・転換する総合的プロセスであるという、二つの学習原則にAndragogyは依存している。しかし、Andragogyは学習者の心理的側面のみに着目したものであり、社会的・経済的・文化的・歴史的側面を考慮したものではない。実際の学習者にとっては、学習はキャリアを変えるなどのチャンスであり、社会経済生活と切り離せないものである。Andragogyは学習者個人が学習の中心にいることは自明と考えているが、実際に大人を教育している人は個人と社会の相互作用があると考えている。
結局のところ、Andragogyは大人を学習者として理解する点においては多大な貢献があったが、大人の学習プロセスを理解する点においてはほとんど貢献がなかったと考えるべきであろう。当初の4つの課題は、次の二つの議論に集約できる。一つは、学習の過程と評価において学習者本位か教師本位かの問題、もう一つは学習に影響を与えるものが人間の生来的特質か社会構造的特質かの問題ということである。
ちなみに、Knowlsの概念についてまとめておくと、Andragogyの背景には、(1)Self-concept、(2)prior experience、(3)readiness to learn、(4)learning orientation、(5)motivation to learnがあり、Andragogical process designにおいては(1)社会的風土、(2)学習計画に学習者が関わる、(3)学習者の自身のニーズの発掘に学習者が関わる、(4)学習目標の形成に学習者が関わる、(5)学習計画のデザインに学習者が関わること、(6)学習計画の遂行を援助する、(7)学習の評価に学習者が関わること、という7つの要素があると指摘している。
Andragogyのサーベイとしては大変興味深い文献であるものの、今後の研究の方向については言及していない点が残念である。
2008/09/10
Merriam, S. (1993) "Adult Learning: Where have we come from? Where are we headed?," in Merriam, S. eds. An Update on Adult Learning Theory.
本論文は、成人教育の分野がどのような研究を行い、今後どういう方向へ向かうかについて述べたサーベイ論文である。サーベイの視点は成人教育を「単一のモデル」で説明する研究としてこれまでの研究を整理するものである。
その本論を要約すると、(1)初期の成人教育研究を牽引してきたのは、学習行動を研究する心理学者であった、(2)その後子供の教育との対比するという点から成人教育者が説明を加えた、(3)現在は批判科学的な社会学者・女性学者など成人教育の領域の外から意見が出ている、というものである。この主張は、今後の研究課題についてなんら語っておらず、お粗末極まりないという以外にないところが残念である。ちなみに、Andragogyについて若干考察した点があるが、(i)Andragogyはインストラクションのデザインのガイドラインに過ぎず、大人にユニークとはかぎらない、(ii)自発的な学習が大人にユニークであることを示した研究はない、(iii)伝統的学生より学校に通うことでキャリアを変えられる可能性があるという面で、成人教育は優れて社会的な問題である、という意見をまとめている。
問題意識は重要であるが、それほど重要な文献ではないかもしれない。
その本論を要約すると、(1)初期の成人教育研究を牽引してきたのは、学習行動を研究する心理学者であった、(2)その後子供の教育との対比するという点から成人教育者が説明を加えた、(3)現在は批判科学的な社会学者・女性学者など成人教育の領域の外から意見が出ている、というものである。この主張は、今後の研究課題についてなんら語っておらず、お粗末極まりないという以外にないところが残念である。ちなみに、Andragogyについて若干考察した点があるが、(i)Andragogyはインストラクションのデザインのガイドラインに過ぎず、大人にユニークとはかぎらない、(ii)自発的な学習が大人にユニークであることを示した研究はない、(iii)伝統的学生より学校に通うことでキャリアを変えられる可能性があるという面で、成人教育は優れて社会的な問題である、という意見をまとめている。
問題意識は重要であるが、それほど重要な文献ではないかもしれない。
2008/09/09
Feldman, K. (1997) "Identifying Exemplary Teachers and Teaching: Evidence from Student Ratings," in Perry, R. and J. Smart eds.Higher Education in Europe, No.2, pp.368-395.
本論文は、学生による授業評価の結果を用いて模範的な授業(教師像)を取り出す試みについてまとめられたものである。学生の授業評価を用いて分析を行った研究にはいろいろあるが、本論文は研究の高さと教育の有効性の相関を見たり、学生の授業評価から教育改善のフィードバックを取り出すものとは異なる。
分析手法は若干複雑ではあるが、以下の通りである。まず、評価項目を教育上重要な28のカテゴリーに分ける。そしてまず、個々の項目と学生のパフォーマンスの相関を見る。この過程で学生のパフォーマンスの高さに重要なカテゴリーがリストアップできることになる。次に、この結果に授業全体の評価を加えて同様のリストアップをする。授業全体の評価は、個々の項目の積み上げであり、これと個々の項目との相関を学生のパフォーマンスとの相関を比較することは、興味深い点である。この結果が驚くほど一致しない。これらを通じて、本論文では重要なカテゴリーをリストアップする。最重要なカテゴリーを一部取り上げると、教員が興味を湧かせる工夫、授業の目標と実際の内容が一致していること、教員によって新しい知識が注入されること、などである。
本論文では、学生による評価にまつわる様々な議論についてもまとめており、興味深い内容になっているが、分析上は全く扱われないのでやや残念なことと無意味に長いと思われる。本論文は、先行研究の内容(データや結果)をやや角度を変えて再解釈するというものになっており、分析自体について正確に把握するためには先行研究に当たらなければならない(further reading として、Feldman, K. (1989), "The Association between Student Ratings of Specific Instructional Dimensions and Student Achievement: Refining and Extending the Synthesis of Data from Multisection Validity Studies," Research in Higher Education, pp.583-645.)。
分析手法は若干複雑ではあるが、以下の通りである。まず、評価項目を教育上重要な28のカテゴリーに分ける。そしてまず、個々の項目と学生のパフォーマンスの相関を見る。この過程で学生のパフォーマンスの高さに重要なカテゴリーがリストアップできることになる。次に、この結果に授業全体の評価を加えて同様のリストアップをする。授業全体の評価は、個々の項目の積み上げであり、これと個々の項目との相関を学生のパフォーマンスとの相関を比較することは、興味深い点である。この結果が驚くほど一致しない。これらを通じて、本論文では重要なカテゴリーをリストアップする。最重要なカテゴリーを一部取り上げると、教員が興味を湧かせる工夫、授業の目標と実際の内容が一致していること、教員によって新しい知識が注入されること、などである。
本論文では、学生による評価にまつわる様々な議論についてもまとめており、興味深い内容になっているが、分析上は全く扱われないのでやや残念なことと無意味に長いと思われる。本論文は、先行研究の内容(データや結果)をやや角度を変えて再解釈するというものになっており、分析自体について正確に把握するためには先行研究に当たらなければならない(further reading として、Feldman, K. (1989), "The Association between Student Ratings of Specific Instructional Dimensions and Student Achievement: Refining and Extending the Synthesis of Data from Multisection Validity Studies," Research in Higher Education, pp.583-645.)。
2008/09/08
Pike, G. (2004) "Measuring Quality: A Comparison of U.S. News Rankings and NSSE Benchmarks," Effective Teaching in Higher Education: Research and Practice, pp.193-208.
本論文は、いわゆる大学ランキングが大学の教育の質を正確に反映しておらず、別の角度から教育の質を測る必要性を主張するものである。ランキング作りはビッグビジネスになる一方で、受験生の学校選択に使われている。しかし、ランキングは外から見える数値と評判で決められていて、実際の学生が経験したことは反映されず、時に大学側がランキング向上のために不正確にデータを提供するなど問題がある。
それに代わるものとして、NSSEが学生の教育への関与を測る指標の開発を行っている。大学間のベンチマークを行う項目に(1)学問的課題のレベル、(2)主体的・共同的学習、(3)教員と学生間の関わりの深さ、(4)教育経験の豊富さ、(5)学習環境サポート、の5項目がある。ここでは、NSSEとU.S. Newsの大学ランキングの比較を行う。
基本的な分析手法は分散分析(ANOVA)であるが、使用しているデータセットがどういうものになるのかが本文の説明では明確にわからないため、どのような計算を行っているのかはよくわからない部分がある(further reading として、Kuh, et al. (2001), "NSSE Technical and Norms Report," Indiana University Center for Postsecondary Research and Plannning, Bloomington.)。
結論としては、学生の教育の質がNSSEベンチマークの平均値とU.S. Newsのランキングは有意に異なるとしている。本論文では、教育の質をどのように測るかという問題意識で書かれているが、実際の分析は既存データの分散分析であるという点を見ると、やや狙いがずれているようにも感じる。しかし、本論文を通じて紹介されているNSSEの質問項目や調査概要が、今後の教育評価の成果指標開発において有益な示唆をもたらすと考えられる。
それに代わるものとして、NSSEが学生の教育への関与を測る指標の開発を行っている。大学間のベンチマークを行う項目に(1)学問的課題のレベル、(2)主体的・共同的学習、(3)教員と学生間の関わりの深さ、(4)教育経験の豊富さ、(5)学習環境サポート、の5項目がある。ここでは、NSSEとU.S. Newsの大学ランキングの比較を行う。
基本的な分析手法は分散分析(ANOVA)であるが、使用しているデータセットがどういうものになるのかが本文の説明では明確にわからないため、どのような計算を行っているのかはよくわからない部分がある(further reading として、Kuh, et al. (2001), "NSSE Technical and Norms Report," Indiana University Center for Postsecondary Research and Plannning, Bloomington.)。
結論としては、学生の教育の質がNSSEベンチマークの平均値とU.S. Newsのランキングは有意に異なるとしている。本論文では、教育の質をどのように測るかという問題意識で書かれているが、実際の分析は既存データの分散分析であるという点を見ると、やや狙いがずれているようにも感じる。しかし、本論文を通じて紹介されているNSSEの質問項目や調査概要が、今後の教育評価の成果指標開発において有益な示唆をもたらすと考えられる。
2008/09/06
寺崎昌男(2007)「私学」『大学改革その先を読む』第5講 東信堂
私学は、今後学部・学科の壁を低くしていくことが迫られる。(なぜ?)
建学の理念は、そのままでは多くの場合役に立たず、現代の言葉に代えて、現代に活かす道を探らなければならない。
同時に、建学の理念が作られた価値を確認するために、当時の理解が必要。
戦後、大学が育ててきた学力は問われた問いに答える力であり、正解は先生だけが持っている教育文化を作ってきた。その結果として、全科目優等・高い平均点を求めてきた。その結果、日本は産業化を早く進めることができた。
これまでは、文学、工学など、専門領域があるから、それに対応する学部をつくるというやり方。これからは、課題があるから学部を作る。新しい知的能力が必要だから学部を作るというやり方になる。
建学の理念は、そのままでは多くの場合役に立たず、現代の言葉に代えて、現代に活かす道を探らなければならない。
同時に、建学の理念が作られた価値を確認するために、当時の理解が必要。
戦後、大学が育ててきた学力は問われた問いに答える力であり、正解は先生だけが持っている教育文化を作ってきた。その結果として、全科目優等・高い平均点を求めてきた。その結果、日本は産業化を早く進めることができた。
これまでは、文学、工学など、専門領域があるから、それに対応する学部をつくるというやり方。これからは、課題があるから学部を作る。新しい知的能力が必要だから学部を作るというやり方になる。
2008/09/05
寺崎昌男(2007)「教員と職員」『大学改革その先を読む』第4講 東信堂
D.ケネディのAcademic Dudyでは、教員は自分の専門に閉じこもらず、専攻の壁を越える学識・能力が求められるし、大学を変えていくことも責務の一つ。
組織化は、Institutionalize。
職員の専門性は形成途上であるが、形成のための動因は、責任能力を持つこと、すなわち、その人に任せられる仕事を見つけ出すこと。
これまで事務の合理化は、手間をどれだけ省くかであった。なぜなら、彼らは帰属意識が高いにもかかわらず、ビジョン形成や運営に関わる権限を与えられてこなかったから。事務員をやめて職員になる必要がある。
大学のミッションと教員のミッションは、違うことが重要。どんな大学でも、教員は研究者。組織のミッション以外に、個人のミッションを持っている。組織と個人のミッションの間で、どう教員としての倫理性を気づくかがこれからの大学の課題。
FDもSDも学生のために行う点を忘れてはいけない。FDは、大学の課題を発見することから始める。
組織化は、Institutionalize。
職員の専門性は形成途上であるが、形成のための動因は、責任能力を持つこと、すなわち、その人に任せられる仕事を見つけ出すこと。
これまで事務の合理化は、手間をどれだけ省くかであった。なぜなら、彼らは帰属意識が高いにもかかわらず、ビジョン形成や運営に関わる権限を与えられてこなかったから。事務員をやめて職員になる必要がある。
大学のミッションと教員のミッションは、違うことが重要。どんな大学でも、教員は研究者。組織のミッション以外に、個人のミッションを持っている。組織と個人のミッションの間で、どう教員としての倫理性を気づくかがこれからの大学の課題。
FDもSDも学生のために行う点を忘れてはいけない。FDは、大学の課題を発見することから始める。
2008/09/04
寺崎昌男(2007)「カリキュラムと授業」『大学改革その先を読む』第3講 東信堂
カリキュラム=教育課程。91年の大綱化では、どれが専門科目でどれば一般教育科目かは各大学が裁量しなさいということになった。
教育課程には、正課活動と正課外活動が含まれる(初中等ではそう。)。しかし、大学設置基準では正課活動しか書かれていない。大学を変えるには、正課外を含めて大学のトータルな教育活動全体を変えるという発想が必要。
カリキュラムは、スコープ(広がり)とシーケンス(順次性)でとらえる。スコープは、その時代の文化・科学の総体から何を科目という形で選び出し、教育課程の中に設定するかということで、選ぶ側の主体性が問われる。シーケンスは、どういう順序で学習するかが一番いいかを考えること。
カリキュラム作りは、大学の個性と実力をもっとも鋭く現す作業であり、明確な目標設定に基づくカリキュラム編成が大学の勝負の分かれ目になる。
カリキュラムを変える際には、学生のためにあるという原点を忘れないこと。縄張り、負担の軽減、大事な科目の非常勤化などは、もってのほか。
日本の教員が、授業に関心を持たない理由はいくつかある。
文化的理由:江戸時代までの勉強のさせ方は、漢籍の暗唱、会読、講釈であり、寺子屋では手本を元に師匠に持って行く学び方。近代大学制度が入ると、欧州の学術を輸入して見せることが大学の役割。学生はひたすら教員の話を聞き、公務員試験で高得点をとって中央官庁に就職するという風土を醸造してきた。
授業では、導入を工夫すること。次に、題目を明示化して、内容を構造化する。教員は授業を論理的に組み立てる傾向があるが、構造化の方が大事。
教育課程には、正課活動と正課外活動が含まれる(初中等ではそう。)。しかし、大学設置基準では正課活動しか書かれていない。大学を変えるには、正課外を含めて大学のトータルな教育活動全体を変えるという発想が必要。
カリキュラムは、スコープ(広がり)とシーケンス(順次性)でとらえる。スコープは、その時代の文化・科学の総体から何を科目という形で選び出し、教育課程の中に設定するかということで、選ぶ側の主体性が問われる。シーケンスは、どういう順序で学習するかが一番いいかを考えること。
カリキュラム作りは、大学の個性と実力をもっとも鋭く現す作業であり、明確な目標設定に基づくカリキュラム編成が大学の勝負の分かれ目になる。
カリキュラムを変える際には、学生のためにあるという原点を忘れないこと。縄張り、負担の軽減、大事な科目の非常勤化などは、もってのほか。
日本の教員が、授業に関心を持たない理由はいくつかある。
文化的理由:江戸時代までの勉強のさせ方は、漢籍の暗唱、会読、講釈であり、寺子屋では手本を元に師匠に持って行く学び方。近代大学制度が入ると、欧州の学術を輸入して見せることが大学の役割。学生はひたすら教員の話を聞き、公務員試験で高得点をとって中央官庁に就職するという風土を醸造してきた。
授業では、導入を工夫すること。次に、題目を明示化して、内容を構造化する。教員は授業を論理的に組み立てる傾向があるが、構造化の方が大事。
2008/09/03
寺崎昌男(2007)「大学改革の歴史130年」『大学改革その先を読む』第1講 東信堂
学士課程教育は、専門教育と呼んでいた。戦後40年は、一般教育と専門教育しかなかった。そこに、大学院が入り、学部教育と大学院教育ができる。学士課程4年の教育を学部教育と呼ぶと、専門教育だけを指し、一般教育が含まれないという危惧から、4年間の学士になるための教育として学士課程教育という呼び方が生まれた。
学士課程教育においてまず必要なのは、目標を設定する作業。そして、それを表現する作業。
旧制大学では専門教育だけを行い、教養教育は大学予科や旧制高校で行い、それを終えた人が大学へ入っていた。(教養ある専門人の育成)
教養ある専門人は大学院の役割、学士課程は専門ある教養人の育成。目標を分担して棲み分ける。
入門教育は、今後のカリキュラム改革上大きな問題になる。大学に入る間口が広がり、入試方法が多様化することで、高校生活と大学生活との境目があまりなくなり、高校までの学習と大学の学習の違いを意識することが困難になっている。
入門機教育には3つのタイプがある。(1)アカデミックスキル、(2)キャンパスライフへの適応指導、(3)キャリア教育。
自校教育では、(1)大学の中の学生がどう変わったかを正確に話す、(2)その大学でなぜ自分は働いているかを語る。自校の歴史は正直に話すこと。(鉄道で大もうけしたスタンフォード家が作ったスタンフォード、無名の青年が出資したハーバード)。
自校教育の必要性は、日本の特別な入試事情に関係がある。学生は自分の偏差値と他大学の偏差値をよく知っている。自校教育では、自分の大学の特色が何かを必ず言う。
大学院の教授に求められる資格は、「質問が出るような話ができるか」。積極的に質問しない学生ですら、質問したくなるような話をできることが、大事な資格。
学士課程教育においてまず必要なのは、目標を設定する作業。そして、それを表現する作業。
旧制大学では専門教育だけを行い、教養教育は大学予科や旧制高校で行い、それを終えた人が大学へ入っていた。(教養ある専門人の育成)
教養ある専門人は大学院の役割、学士課程は専門ある教養人の育成。目標を分担して棲み分ける。
入門教育は、今後のカリキュラム改革上大きな問題になる。大学に入る間口が広がり、入試方法が多様化することで、高校生活と大学生活との境目があまりなくなり、高校までの学習と大学の学習の違いを意識することが困難になっている。
入門機教育には3つのタイプがある。(1)アカデミックスキル、(2)キャンパスライフへの適応指導、(3)キャリア教育。
自校教育では、(1)大学の中の学生がどう変わったかを正確に話す、(2)その大学でなぜ自分は働いているかを語る。自校の歴史は正直に話すこと。(鉄道で大もうけしたスタンフォード家が作ったスタンフォード、無名の青年が出資したハーバード)。
自校教育の必要性は、日本の特別な入試事情に関係がある。学生は自分の偏差値と他大学の偏差値をよく知っている。自校教育では、自分の大学の特色が何かを必ず言う。
大学院の教授に求められる資格は、「質問が出るような話ができるか」。積極的に質問しない学生ですら、質問したくなるような話をできることが、大事な資格。
2008/09/01
沼上幹(2003)『組織戦略の考え方』ちくま新書
- 本書は、日本の組織の本質的な部分を維持しながら経営していくにはどうしたらよいか、という問題意識で書かれている。本質的な部分とは、コア人材の長期雇用を前提とするということ。
- 組織設計の基本は官僚制で、官僚制組織がしっかりしているから、その上に創造性や戦略性の発揮が可能になる。組織設計上の工夫は官僚制組織に付加する形で行われる。
- 官僚組織でルーチンワーク(例外処理)が多くなった場合は、現場の知的能力アップ、意志決定の補佐役の創設、情報技術の装備、小規模な自律的組織の創設、水平関係の創設(マトリックス組織)の5つで構造的に解決する。
- 人材育成の基本は、決まり切った仕事をミスなく処理し、若干の例外に創意工夫で対応できる熟練者、例外事例を分析し、バランスのとれた決断をする管理者、戦略を思考できるトップの3つ。これらは、どれか一つを行うのではなく、全て同時に行う。現場、ミドル、トップを分離した組織を設計しておいて、3つの仕事を混ぜた仕事ができるように組織設計を行うべき。
- ボトルネックは、優秀な人材ほど雑務までしている状況で出やすい。
- 日本の(大学)教育では、ゴールが多様であるという言い訳によって、自分が楽をするだけの方を自然に選び、教育効果を考えていない人が多すぎる
- 組織は、仕事の邪魔はしても、自動的に仕事の処理はできない。組織論では、ある構造下で働くヒトに注目しないといけない。ほとんどの場合、ヒトの問題であるのに、組織が悪いということで、だれも傷つかないコンセンサスをしてはいけない。
- マズローの欲求階層説では、美しく安上がりな自己実現を要求しやすいが、本当に大事なのは、承認・尊厳の欲求。ポストで報いられないなら、全員自己実現できるようにと考えるのは誤解。成功体験をさせることがミドルの役割で、承認・尊厳欲求の充足。
- 組合にはフリーライダーの問題があり、組合費は強制徴収せざるをえない。(組合が公共財を提供している役割があると考える)。しかし、フリーライダー問題は根本的な解決ができず、責任感の強い人材を採用・育成する前提で、組織の長期的な運命と自分の運命が密接に関連していると思う人を作るだけ。
- 決断は単なる意志決定ではなく、何かを捨てて何かを取るような、大胆で不連続な側面を持つ意志決定で、出せば批判され、出さなければ批判されるもの。
- 決断不足の兆候としては、フルスペックの改善案、全方位全面対応型の戦略計画がでること、経営改革検討委員会の増殖、見当違いの人材育成(今の問題の解決には人材の育成が時間的に間に合わない状況)の3つ。
- 決断は、トップがしなければならない。トップが決断することで、ミドルも決断を迫られる。
- 組織内のエースを明確に認識し、重要な仕事が回るように決断することも重要。
- 組織のパワーには、賞罰、正当性(服従が当然の状況)、同一化(カリスマ)、情報(専門的知識)の4つ。情報パワーをベースに、正当性と賞罰を一致させれば、組織設計は最適になるはず。
- このバランスを乱すのが、厄介者。多くの人が優等生の組織では、厄介者が理不尽であっても、ことを荒立てないために、組織として通るケースが出てしまう。
- もう一つのおかしなパワーが狐の権力。顧客のため、社長の意向、という伝聞を活用する方法。複数部門を調整するリエゾンポストを作らないこと、シニアになったら外圧を利用しないの2つが、これの予防。
- 内向きマネジメントでは、組織価値を高める議論が何一つ含まれない。スキャンダル対応では、組織価値を高めるための議論をすることが重要。そのためには、トップマネジメントを3,4人で行う、内向きの評価基準を使わない、の2つ。
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