2008/09/13

山内乾史(2000)「何のためのFDか? -イギリスとの比較-」『高等教育ジャーナル』 pp.22-32.

 本論文は、FDを学内で有効に機能させる可能性について探ったものである。基本的に専門的自決性を持った教授職に外からFDを強要するものではない。従って、日本の大学に求められているFD政策は自発性を引き出す仕掛けである。本論文は、日本におけるこうしたFDの可能性を探るために、イギリスの事例を検討する。
 先に触れたことはイギリスでも同様にいえるが、なぜイギリスでSDが進んだかというと、端的に行ってSDを行うことが財源の獲得になるためである。財政難とともに高等教育サービスの品質管理が厳しく問われるようになった。大学は、SD研修の実績(効率性・有効性・生産性)の評価に基づいて財政的補助が受けられるようになったため、大きな大学では専門のセンターを設置し、ノウハウを蓄積し、学内のみならず学外のコンサルティング、公共機関や企業の人材研修までできるようにして資金を得ている。
 この意味は、SDは単に教授職の能力開発支援から、機関の効率的・効果的な管理運営を促す手段と位置づけられている点で重要である。日本と同様に研究指向であるイギリスのように、日本においてこうした仕掛けが有効に機能するだろうか?少なくともFDが何らかの教員の評価に関連しなければ仕掛けとはならないであろう。イギリスでも実態としては教員は研究のためにSDに真剣に取り組んでいないくらいであるから、日本においては相当な仕掛け、例えば給与へ直結する仕掛けが必要になる。
 すると当然出る疑問が、そうしたFDの評価をどのように行うかであり、ここに今後の研究の余地があると考えられる。