2008/12/04

潮木守一(2006)『大学再生への具体像』東信堂

 本書は、人間潮木の半生を記したとも言える著作であるが、興味を引いたのはむしろ著者のデータから論を立てる鮮やかさである。

 諸外国で高等教育の機会拡大を支えたのは、政府による公的支出であった。戦後社会の「社会的公平の実演」が課題であったためだ。しかし日本の高等教育拡大を資金的に支えたのは、政府ではなく、健気な親たちであった。日本の高等教育が恐れなければならないのは18歳人口の減少ではなく、健気な親の消滅である。

 今、親と子の関係が変化してきている。すなわち、子どもは家の宝ではなく、家のお荷物になり始めている。子どもが老後の親の面倒を見ることに期待を持てない親たちは、自分の資産を子どもの教育に投資するか、老後の生活資金に充てるかの選択問題を迫られるようになった。これを筆者は、親子関係の市場経済化と呼び、背景に介護ケアの市場経済化を指摘する。

 これをマクロにとらえると、国家予算をどれだけ高等教育へ投じ、どれだけ老人福祉に回すかを迫る選択問題でもある。欧州では、親世代が子どもをお荷物としか見ていないことに早くから気づき、高等教育の無償化を導入した。

 生産性の向上は、少数者労働・多数者扶養の時代をもたらし、自由時間は若者に集中的に割り当てられた結果、若年者が労働から分離・隔離されることになった。そこに教育機会の均等化がもたらされると、当人のやる気が曝け出されることになる。教育が無条件によいものという考えを再考する必要がある。

 いずれにしても大学はカリキュラム改革に乗り出すのだが、現職の教員の存在を危うくするカリキュラム改革は、果たして可能か?大学は学外のステークホルダーの意見に耳を傾けるべきといいながら、具体的なカリキュラムは教員でなければ考えられない。そして、その教員が改革の最大の抵抗勢力でもある。

 これは、特定大学の博士課程で要請される大学教員の育成システムを変えなければ解決しない。腰掛けの教員ではなく、大学の発展に生涯をかける教員を自家養成する必要がある。

 学問研究が一つの職業となったのは最近100年少しのこと。大学の使命は若者の教育であったが、研究というスリリングな上に、成果に対して社会的賞賛と報酬をもたらす活動の場となった時、矛盾が生じてしまった。

 大学教員のキャリアは極めて特異で、それまで身につけようと思ったこともない思考様式や能力を突如発揮しなければならなくなり、キャリア形成上連続性を欠いたものである。

 教育困難大学の現状がある以上、一つの解決策は第三者機関による共通教科書・統一試験による単位認定である。100点満点で算出し、どの得点以上を単位認定するかは、各大学が決めればよい。こうすることで、大学における教員、学生の行動インセンティブが大きく変わる。学部教育は18歳人口の半数が通う基礎教育であるから、基礎教育としての共通性が必要という考え方である。これで、社会に対する責任も果たせる。もちろん、それ以上の科目を提供したい大学は、すればよい。

 最後に著者の提言を示すと、
  • 若くて優秀な教員を集めるために、現職者で人材誘致資金を拠出
  • 共通教科書・共通問題を使った第三者による資格認定
  • 教員は資格認定のコーチ役
  • 学生は大学の授業を資格認定のための準備とする
  • 大学評価より資格認定の整備を
  • 教員は教える自由という幻想を捨てる
  • 教員は大学を移動せよ
  • 学生は、わかりやすい授業というものは存在しないことを知るべき
  • 大衆化大学は教員の自前要請を
  • 院生は生涯狭い専門で食える時代ではないことを知る
  • 研究発表にITを活用せよ
  • 研究費は授業料ではなく外から獲得すべき
  • 職員は職務にプライドを持て
  • 大学は学問の継承か職業教育かという問題のたて方自体が無意味
共通教科書の考え方は重要であるが、その評価法法をペーパー試験だけで行うなら、高校までの学習と大学での学習が同じで、受け身なものにならないだろうか。ペーパー試験以外の評価を行うなら、配点はどうするか、採点のコストはどうするか。