2014/09/05

磯部裕子(2003)『教育課程の理論』萌文書林


  • カリキュラム:学生が進んでいかなければならない複数年の全課程(16c,グラスゴー大学,ライデン大学)→ 現在:教育目標に基づいて教育内容を選択・編成・評価する(=教育計画全体)または学習者に提供される学習の機会の総体
  • 単純化すれば,何を,いつ,どのように学ぶかという問題。18世紀までは,何をが追加されてきた歴史。19世紀に教授法の問題と共に論じられるようになる。
  • ヘルバルトの教授過程の段階:1890以降小学校の教授法として日本でも取り入れ
    • 明瞭:新しい対象を明確に把握するために熟考すること
    • 連合:自由に会話することで,その対象を既得知識と結びつけて多面的にする
    • 系統:これまでの知識を系統的に秩序づける
    • 方法:秩序づけられた知識を他に応用する
  • その後何を教えるかは教科ではなく,社会生活に必要な活動によって規定されるべき → 経験主義カリキュラム(なすことで学ぶ,デューイ)。
  • コアカリキュラム:特定の問題をコアとして教科の統合を目指したカリキュラム。教科に区分されない子どもの生活上の問題解決のための単元学習を中心におく。
  • 経験主義カリキュラムは「何を学んでいるのか」への確固たる答えが用意されていないことから批判されて衰退した。
  • フレーベルは,多様な教育実践と構築した教育理論の帰結として幼稚園を生んだ。≠幼稚園創設者,=学校教育における教育課程の可能性を開いた人
  • 教科カリキュラム VS 経験カリキュラム → 総合的学習はこれを接合しようとした。(=知っているとやってみるを問題解決を通じて分かったという実感を得る。)
  • 教育基本法第1条,教育は人格の完成を目指し,平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行わなければならない。
  • 教科書をどう使うかは教師に委ねられている。教科書を教える→教科書で教える。
  • 教材と教具の区別は便宜的。教具の扱い方を学ぶ時は教材になる。
  • 教材研究のプロセス
    • 個人として,独自な個人的把握によって教材を理解する。
    • 教科の専門家として研究する。
    • 子どもの立場から,どこを理解し,どこにつまずくかを理解する。
    • 教師の立場から,教えるためにどこをどのように問題とするかを見定める。
  • クロスカリキュラム=コアカリキュラム?(ゴミ問題)。
  • 計画的な教育は本質的に同じ(カリキュラム=学びの履歴の総体)なのに,小学校以上でイメージしやすく,幼稚園でイメージしにくいのは,計画=教師主導型の実践をイメージするから。計画に基づいた保育 ≠ 保育者が作成した計画通りに活動を展開すること。
  • 指導計画の作成は本来クリエイティブで楽しいはずが,なぜ苦しくなるのか。
  • 計画は一般にそれが実現されて意味を持つ。計画者は,子どもの理解が十分になされていないと,その計画が子どもの実態と離れたものとなる。計画が,教員を優先したり押しつけたりすると感じるのは,十分な子どもの理解ができていないため。
  • 計画は仮設であり,その通りに進めることを選択せずに,現在の活動の発展を見守ることで目的を達成する方法もある。
  • 実践の具体はカリキュラムに映し出される。どんなに壮大な構想も実践という具体の中で実現されなければ意味がない。
  • そのためには仮設を1つしか持たないことは問題。複数の仮設を持つと,それ以上の仮設を受け入れることが容易になる。
  • カリキュラムは子どもによって創出され,教師によって枠付けされているものである。教員が時系列に計画を記述するのではなく,子供らの相互の交渉を援助しながらあらゆる仮設をもとにカリキュラムを創出する。これが,カリキュラムをデザインするということ。
  • 教育目標があり,それを達成する教育内容と方法を検討して計画を作る「上から下に下ろす」方式ではカリキュラムはデザインできない。始めに大まかなデザインを描き,商品イメージをつくりながら,子どもとスタッフがそれぞれの立場や知識を活かしてデザインを洗練していく。
  • そのためには,スタッフ間で議論が十分にされることが大前提。さまざまな媒体を使って子どもを記録して(ドキュメンテーション),それを評価だけでなく活動の構想を立てる資料とする。
  • もともと成長のプロセスは直線的ではない。柔軟な学びのプロセスの中であらゆる仮設を立てて援助する方策を検討する。このプロセスこそ,子どもと教師が共にデザインするカリキュラム。
  • 状況に埋め込まれた学習
    • 学習とは,教師によって方向づけられるものではなく,学習者自身の営みである。
    • 学習とは人々と共同で何かを作り出すという社会実践の一部である。
    • 学習とは,教師が一方的にやらせるものではなく,学習者が実践の場とのつながりを実感しながら参加していくことである。
    • 学習とは,知識を獲得していくことではなく,何者かになるというアイデンティティを形成する過程である。
    • 学習とは,共同体の変容・再生産のサイクルの中にある。