2009/01/08

伊東乾(2008)『バカと東大は使いよう』朝日新書

ハーバード大学を卒業した西洋古典学の久保正彰教授は、寮生活で得られる最も重要な経験として「書かれざる法」が身につくことを挙げている。本当に重要なルールである書かれざる法は、共同生活をしない限り、なかなか身につけられないという。 現在の日本の大学で生活習慣や社会規範を学ぶのは、運動部かもしれないし、バイト先かもしれないが、生活全体を共有する場はない。 教養とは何かをハーバード内で議論したら、喋ることとと食べることだった。食べ方と喋り方を見れば、教養のほとんどがわかる。 官学の研究教育改革の政策立案を担当した最終結論は、精神構造の改革なき機構改革は無意味。 逆に、目に見える機構改革などなくとも、精神構造や意識の改革さえ徹底していれば、学術や教育は十分に建設的な未来を展望することができる。 教授会には全権が付与されている。近代国家の権力分散は、三権分立・議会民主制が基本。大学は今でも教授会という唯一の意志決定機関しか持たず、パワーバランスを調整する機構を欠いている。まさに、旧体制。 日本の大学よ、そしてあらゆる学校よ、あなたたちは最先端科学をはじめとする最先端の学術を教授すると称しているが、大学での教えが教師の意に反して、あるいは教師の知らぬ間に悪用された場合、どのように考えるのか?さぞ迷惑でもあろうが、その場合は教師が具体的に責任を負うのか?もし詭弁家ゴルギアスのように無責任を決め込むなら、あなた方にアカデミーを名乗る資格はない。ソフィスト詭弁塾とでも名乗るがよい。あるいは、そのようなことが起こらないように事前に十分な教育を施すのか? リベラルアーツが決定的に普及したのは、カロリング朝・西ローマ帝国のカール大帝が、現在のドイツ西部アーヘンに設立した宮廷学校で講じられた自由七科による。自由七科は、文法、修辞、弁論(語学系3学科)と算術、幾何、天文、音楽(理数系4学科)からなる。これは、官吏養成システムとして機能した。租税を徴収し、聖歌を強要し、統治のために演説を行った。算術は税の計算、幾何は耕地面積の測量、天文は日付と時間を定めるために必要だった。 8世紀の自由七科は、12世紀の中世大学の設立時には形骸化して、読み書きそろばんの役割になっていた。それより上位の、法学、医学、神学が上の学問となっていて、これは自由七科を学ばないと専門学部に進めない。上の過程ではマスターとドクターが授けられるが、これは大学の成立以前から有力な修道院で行われていたもの。ユニバーシティは、キリスト教的な単一の観点から、多様な宇宙論を統一するものとして成立した。ユニバーシティとは一種の宗教ギルドである。 ユニバーシティが中世スコラ学以来の神学的世界観に基づいた統一的な学問体系であるのに対し、宗教支配を離れ科学的世界観に基づいた多様な学問の集合がポリテクニークである。日本の官学(東京大学)はポリテクニークとして始まったと考えてもよい。冠を持たないポリテクニークは、個別専門の行き過ぎに待ったをかける倫理的な歯止めを持たない。日本の官学は、富国強兵・殖産興業市場の個別専門集団として出発してしまった。 近代大学は、自分自身で力の行使に価値判断が下せる倫理=戦略の頭を持たなければならない。 古代ギリシャから現代の学術誌を俯瞰すると、冠の脱着を繰り返してきた歴史であることがわかる。それには常に、戦争と地域世界の拡大再編成が関係している。 現代は質・量ともに膨大な知識と力を手にしている。わずか100年程度の日本の官学の歴史は、発展という甘い誘惑に負けて暴走しないためにも、自らを縛る戦略、倫理のくさびとなる憲法を持たなければならないだろう。力の自己制御が、現代の大学に課された課題である。