- 今日の教育問題(管理教育,受験競争,学力低下,不登校,モンスターペアレント等)の多くは,ほぼ全員が参加するという大衆教育システムを前提として問題化している。
- メリトクラシーの大衆化とは,エリートのみに限定されない幅広い層でのメリトクラシー精神の定着をいい,学校推薦による就職・進学システムが,必ずしも進学校でない生徒にも成績重視の姿勢を持たせる契機となっている。
- メリトクラシーの基準は多様であるため,定義次第で進展もし,幻想にもなる。誰が本当に能力があるかは実際厳密にはわからず,本来的にメリトクラシーは再帰性を持つ。
- 現代は,試験から推薦へ(一元的能力選抜から多様な選抜へ)と理解されがちだが,歴史的には推薦から試験へが正しい。情実的な推薦制から,客観的で公平な試験へ舵をきってきた。
- 文部省は,厳しい批判をされていた能研テスト普及のために,試験地獄の解消とあえて推薦入学制度普及を進めた。推薦入学制度の公認は,教育拡大という社会背景において,エリート選抜の論理(公平性)が,大衆を受け入れなければならないマス選抜の論理(試験地獄緩和)に,大きく妥協した減少。
- 過酷な競争の中で何年も浪人させるよりは,柄相応に進学させるためにも,コンピュター合否判定は重要な役割を担う。
- 一般入学者において,受験勉強が重圧だったのは,難易度の高くない学生が72.6%,高い学生は53.1%。推薦入学では,難易度中の学生より難易度低の学生の方が重圧を感じていない。
- それまで志望していなかった四大シフトは,推薦やAOによって誘発されている。商業高校の成績優秀者への進学誘導的な進路指導が行われている。(工業は就職に高い価値があるので逆。)
2011/08/25
中村高康(2011)『大衆化とメリトクラシー』東京大学出版会
2011/08/19
モーガン・マッコール(2002)『ハイ・フライヤー』プレジデント社
- リーダーシップは,課題に挑戦し,卓越した人々と接触し,苦境や失敗を乗り越える経験を通じて学ぶことができる。リーダーが学ぶことは異なるが,どのように学ぶかは変わらない。
- 人を育てるとは,経験からどのように学ぶか,経験をどのように利用するか,能力が高い人材に何を学ばせるかということを,事業戦略と結びつけて考えることを意味する。
- リーダーのコンピテンシーは経験の積み重ねから得られるものであり,祖先から受け継がれるものではない。潜在能力とは持っている資質ではなく,将来に必要な資質を習得する能力である。リーダーにとって重要なことは,事業戦略遂行上の障害を乗り越えるために,いかに備えるかということである。
- リーダーシップ開発は,他の人事制度以上に事業戦略に密接に関係し,事業戦略によって推進されなければならない。それを理解するために,次の疑問に応える必要がある。
- 人材開発をどのような文脈で実施することが重要なのか。
- 経験で開発されるとしたら,どのような経験が重要なのか。誰がそれを教え,どのように教えるのか。
- 有能な人に成長を促す経験を与えても,経験から学んでくれる保証はない。学ぶべきことを学ぶ学習機会を増やすために何ができるのか。
- 脱線のダイナミクス:(1)ある人を成功に導いた強みは,他の強みの方が重要になると弱みになることがある,(2)以前は問題とならなかった弱み,強みや業績に隠れていた弱みが,新たな状況では重要な問題になる,(3)成功によって天狗になり,他人の助けは不要という謝った信念が生まれる,(4)個人と関係ない運命による脱線。
- 成功した経営幹部にとって,最も成長が期待できる経験は挑戦であり,そのほとんどが逆境のとき。その経験の要素には,上司・関係部署との難しい関係の対処,リスクが伴う仕事,過酷な環境へ直面,視野・規模が複雑な状況への対処,専攻と違う仕事,必要なスキルや資格を身につけていない,突然の異動などがある。
- 16の成長を促す経験
- 課題:初期の仕事経験,最初の管理経験,ゼロからのスタート,立て直し,プロジェクト・タスクフォース,視野の変化(管理人数・予算・職域が増える),現場ラインから会社スタッフへの異動
- 他の人とのつながり:ロールモデル,価値観
- 修羅場:事業の失敗とミス,降格・昇進逃す・惨めな仕事,低業績部下に直面,新しいキャリア挑戦,個人的なトラウマ
- その他:コースワーク,仕事以外の経験
- リーダーシップ特性のビッグファイブ
- 外向性:口数が多い,積極的,活動的 ⇔ もの静か,消極的,控えめ
- 人当たりの良さ:親切,信用,思いやり ⇔ 敵意,利己的,不信感
- 誠実さ:秩序がある,徹底的,責任感 ⇔ 不注意,怠慢,無責任
- 安定した感情:感情の安定 ⇔ 神経質,きまぐれ
- 経験に開放的:想像力,好奇心,創造性 ⇔ 表面的,無関心
- 経営幹部の早期識別に関する11次元:(1)学習機会を追求する,(2)誠実に行動する,(3)文化の違いに適応する,(4)変化をもたらすことにかかわりあっていく,(5)広範囲の事業知識を追求する,(6)人の最も優れた部分を引き出す,(7)洞察力がある,新しい視点で物事を考える,(8)リスクを冒す勇気を持つ,(9)フィードバックを求めてそれを利用する,(10)失敗から学習する,(11)批判に耳を傾ける
- リーダーシップ開発の3原則:(1)困難な経験が人材開発の原動力になる,(2)その経験は事業戦略と企業の価値観で決まる,(3)経験を積むべき人はそこから最も多くのことを学習できる人。経験の多くは配属先次第なので,誰がどの仕事に就くかが中心的課題。
- 人材開発を高めるには,勤まりそうな人,少しのびると勤まりそうな人,勤まりそうもない人のリストを作ることが大事。
- ある職種のスペシャリストになるということと,経験から学習することは一致しない。成長を最大にするには,これまでしたことのないことを行い,どうすればうまくできるかを学ばなければならない。
- 結局,適切な時期に,適切な人物に,適切な場所を与えられるかどうかは,トップが有能な人の開発に対して進んで責任を持てるかということによって決まる。
- リーダーシップ開発モデル
↑ ↓ ↓ ↓
才能 + 経験 = リーダーシップ
↓ ↑
触媒
- コアコンピタンスがはっきりしている会社は,ビジネスの専門家を輩出する生涯発達スクールである。OJTは何もしない,放任を覆い隠す便利言葉になっていた。リーダーシップ開発こそがOJTの中心的テーマという発想が少なすぎる。
- 本書の意味は,(1)人は幹部に至るまでいくつになっても発達するという基本発想,(2)リーダーシップという観点から人を育てるのは経験という視点,(3)だからといってラインに放置するのではなく,経験を系統立てる方策を追求,(4)ラインのマネージャ,人事部,経営者の役割を人材開発という面から照射,(5)経験が大事というのを前提に研修の意味を再探索,にある。
2011/08/18
目標管理とコンピテンシー
- 目標管理制度は,ドラッカーが『現代の経営』(1954)で提唱した経営管理システムで,組織全体の目標と個人の目標を上司と部下の共同作業で統合し,各人は設定された目標をPDSサイクルに沿って実行する。ポイントは,(1)目標の精査によって無駄な作業をなくすこと,(2)部下が目標設定に「参加」することでモチベーションを高めること。
- しかし,全員が達成可能な目標を立てようとする,目標の難易度が役職ではなく個人の能力で決まる,評価の際にどれだけがんばったかの努力度を評価する,ほぼ全員が目標を達成しているのに業績が上がらない,といったことが起こることになる。
- 目標管理は,人事評価の方法ではなく,職員間のコミュニケーションにより職員の仕事に対する意識改革を図るための制度。
- そこで,コンピテンシー評価(行動評価)が生まれる。1970年以降,心理学者マクレランドが,ハイパフォーマーの行動特性をモデル化する研究から生まれる。コンピテンシーは,ある職務や役割において優秀な成果を上げる過程において共通してみられる行動特性をモデル化したものである。
- 人事評価は,能力,態度,業績の3観点から行う。
- コンピテンシー評価では,能力を基本能力(業務遂行上の最低限の知識)と応用能力(判断力,企画力,折衝力,指導力)に分ける。態度は,積極性,協調性,責任感,服務規律に分ける。その上で,業績を目標管理で行う。
2011/08/17
松尾睦(2009)『学習する病院組織』同文舘出版
- 顧客第一主義の理念に実態が伴わないのは,顧客志向を実現するための公式・非公式の仕組みが組織内に整備されていないことによる。
- 本書の問いは,患者志向の理念がいかにルーチン(組織運用に必要な規則的で予測可能な安定した傾向性)として構造化されたか,その際,どのようなリーダーシップ形態が見られたか。
- 構造,制度,システムを公式ルーチン,行動規範,行動パターンを非公式ルーチンとする。非公式ルーチンは,公式ルーチンと価値観を接合する接着剤の役割を果たす。
- 医療の質は,結果(治癒・回復・生存),プロセス(情報収集の適切さ,診断の正当性,医療技術,ケア満足),構造(設備,スタッフの質,管理構造,会計)の3つから構成される。
- 組織学習とは,(1)新しい知識が獲得・導入され,(2)集団で共有され,(3)ルーチンとして制度化されることで,(4)メンバーの知識・信念・行動が変化するプロセスのこと。
- 職員の意識を改革する上で大切なことは,自分の位置づけや義務を理解すること。主任以上に業務マニュアルを作らせた,厚さ1センチ。もう1つは,管理職になるための試験導入。方針を示せばできる,全部言わないとできない,注意しないといけないの3タイプに分けて指導。
- 締め付けだけでは行けないので,全人医療を強調。
- チームの成長発達の第1段階は様子見,第2段階は軋轢と不平不満。自分たちの意見を出さなければ第3段階へは行けない。
- 病院は,集約型技術を持ち(異なる分野の専門家が共同することでサービスを提供する),多元的な組織である(多様なプレイヤーと多様な目的が存在する)ため,連携型リーダーシップが必要になる。
- この連携は,患者志向,すなわちトップレベルのリーダーが共有できる価値観を有することで,異なる価値観を持つメンバー間で生じるコンフリクトを解消して成立する。
- 非公式ルーチンは,創始・定着・効率化によって構造化される。その際に,新しい技術や制度を取り入れて粘り強くカスタマイズすることが鍵となる
2011/08/16
2011/08/09
チクセントミハイ・ミハイ(1996)『フロー体験』世界思想社
- 成功を目指してはならない。成功は目指して目標にするほど遠ざかる。幸福と同じく,成功は追求できるものではなく,自分個人より何か重要なものへの個人の献身の果てに,結果として生じるものだからである。
- フロー:1つの活動に深く没入しているので,他の何ものも問題とならなくなる状態,その経験それ自体が非常に楽しいので,純粋にそれをするということのために多くの時間や労力を費やすような状態。
- 最適経験はその瞬間瞬間の意識に生じることを統制する能力に基づいているからであり,各自が自分の努力と創造力に基づいてそれを達成しなければならない。
- 生き生きとした生活を送る人々は,多様な経験に対して自分の心を開いており,死を迎えるその日まで学び続け,他者や自分の生活環境と強い結びつきを持ち,それらに自分を委ねている。彼らは退屈なことや困難なことすら楽しみ,困難を平然と乗り越えていく。彼らを支える最大の力は,自分の生活を統制しているということである。
- 意識の統制は,単なる認知的能力ではない。少なくとも情緒や意志の介入を必要とする。どうすればよいかを知るだけではなく,実行し続けなければならない。
- 意識の統制は,制度化できない。不幸な場合,それは固定したイデオロギーに変わってしまう。
- 人が楽しむのは統制されている感覚ではなく,困難な状況の中で統制を行っているという感覚。結果が不確定で,左右することができるときのみ,人は自らを真に統制しているかどうかがわかる。
- フロー体験は絶対的な意味で良いわけではない。生活をより豊かにし,魅力と意味あるものにする可能性があるときに限って良く,犯罪や軍事研究となることもある。良いかどうかは社会的基準で評価されなければならない。
- フロー体験の結果,意識の複雑さが増大する理由は,挑戦度と能力の水準を上げるため。挑戦度が高すぎると不安になり,能力が高すぎると退屈になる。人は同じことを同じ水準で長時間行うことを楽しむことはできない。
- 生得的にフローを体験できない人がいる。1つは注意散漫など遺伝的理由,もう1つは自意識の過剰。極端に自己中心的であったり,絶えず他者が自分をどのように感じているかを気にする人は,フローに入り込めるほど心理的エネルギーが統制されていない。もちろん,社会的条件(奴隷,抑圧など)によるフロー阻害もある。
- 若い頃に,孤独を進歩のために利用する習慣を獲得していない限り,フローを実現できるようにはならない。
- 人がストレスや試練から強さを獲得してフローに変換できるには,3つの段階がある。(1)自意識のない自己確信(自分の運命は自分が握っているという信念),(2)あらゆるものへの注意集中(個人の目標に焦点しながら無関係な外部の出来事にも注意をはらう),(3)新しい解決の発見。
- 自己目的な自己は,潜在的な恐れを挑戦に変換する。そのルールは,(1)目標の設定:達成につとめるべき明確な目標が必要,(2)活動への投入:自分の行っているすべてに深く没入する,そのためには挑戦対象と能力とのバランスを身につける,(3)現在おこっていることへの注意集中:没入を維持する能力,(4)直接的な体験を楽しむことを身につける:困難さえも意味あるものにするには,全体的な文脈での目標を持つことも必要。
- 物質的な豊かさと安全な環境にいながら,今を楽しみ尽くす人が少ないのはなぜか(マズロー理論への疑問)。逆境で自己実現できる人は,個人の問題ではなく,利他的視点からライフテーマを設定できる人である。
2011/08/08
原正紀(2010)『インタビューの教科書』同友館
効果的なアクティブリスニング
- 相手を乗せる効果
- 感嘆:すごいですね。すばらしいですね。おどろきました。
- 感心:なるほど,そうなんですね。さすが,よくご存知ですね。たいしたもんですね。
- 共感:私もそう思います。同感です。本当にそうですね。
- ちゃんと聞いているというサイン
- 感想:そういうもんですか。複雑(シンプル)なんですね。
- 話を深く聞き出す手法
- 疑問:ほんとうにそうですか?信じられませんね。
- 突っ込み・掘り下げ:そのとき,どうされました?そのとき,どうかんじました?さらに,どうしたのですか?
2011/08/05
濱口桂一郎(2011)「どのような社会をめざすのか:ヨーロッパと日本」『労働法律旬報』1748,1750
- 日本の雇用契約はメンバーシップ。配転命令が聞けないというのは,おかしいのでは?ということになる。日本の雇用契約はおかしいのでは,と思うかもしれないが,労働者に対しては一生面倒を見てやるという報酬がある。(面倒を見ない企業をブラック企業という。)
- 年功賃金はどこの国にもある程度見られるが,日本の特徴は労働者の人格に値段がついている。会社がやれと言ったことを嫌がらずにやる人を評価しているという意味の年功賃金。
- ヨーロッパは労働者の面倒を見るのは国,日本は企業。
2011/08/03
大森不二雄(2000)『「ゆとり教育」亡国論』PHP
- はりのある緊張感の中でこそ,教職員の目的意識や連帯感が高まる。明確な目的意識と向上心のないところに創意工夫は生まれない。
- 日本の学校教育の画一性の正体は,教育現場の活力を十分に引き出せない学校運営や教育行政の仕組み。集権的な組織が行き詰まる理由は,現場に即した創意工夫を行う自由度が低く,積極的にアイディアを生み実行していく前向きの意欲をそぐこと。
- ただし,学校現場に任せればうまくいくものでもない。だらだらやっても真剣にやっても成果が問われないのであれば,現場重視の分権型の仕組みは創造的で前向きな組織風土につながらず,後ろ向きで仲間内の既得権が優先される。
- そこで重要なのはアカウンタビリティ,すなわち,受益者に対して自らのサービスの具体的な成果に関し,きちんと説明して正当化することができなければならないこと。結果責任のこと。
- 県実に情とアカウンタビリティをセットで行う。これが,競争を生み,質の向上を生む。
- アカウンタビリティを問う仕組みとは,教育成果に関する情報提供の仕組みと,それに基づく学校選択・教育選択の仕組みがセットになったもの。
- その上で,学習指導要領の最低基準化が重要。現行は,最低基準でもありながら,上限規制にもなっている。上限規制を外し,最低基準を強化することで,個性を伸ばす人材育成が可能になる。
2011/08/02
白波瀬佐和子(2010)『生き方の不平等』岩波新書
- 家族関連社会支出(児童手当等)の対GDP比は,日米韓が低い。
- 特定の親子関係からはなれて自らの可能性を見極める場所の1つが教育の場。ここでさまざまな子供を柔軟に受け入れて,教育する場にできるかどうかで,社会・国としての成熟度が決まる。
- 同一労働同一賃金の原則が若年雇用で検討されること。後で取り戻せる見通しがあった時代はいいが,今は若年の賃金を不当に低く抑える理由はない。
- お互い様の社会に向けて,鋭敏な他者感覚が必要であり,それには社会的想像力が求められ,それは教育によって培われる。最後は,こんな単純な主張で終わってしまう。
- お互い様の関係を築くために,(1)社会制度中心の再分配政策,中間層への累進的所得税,(2)若年・壮年現役層に,子育て支援と就労支援を行い,生活保障機能のメリットを実感してもらう,(3)就労による参加型社会形成。
2011/08/01
久保田哲夫(2011)「サラダ・ボウルとしての大学 ―大学における多様性の意味を考える―」『関西学院大学高等教育研究』
- 結局,大学改革は,リーダーが誰もが共感できる目標を設定し,それを実現する能力を持った者にそれを担わせることでしかなしえない。
- 改革が成功するか否かは,第一にリーダーが適切な目標を設定できるだけの現状理解を持っているか,第二に人を見る目を持っているか否かに帰着する。
- 問題は,誰もが共感できる目標とは何かということである。現在の大学の危機的状況から見て、その共通の目標は明らかであると考える人々から見れば,多くの大学の教職員の意識が低すぎるように見えるかもしれない。そのような先入観で見れば,改革の反対する大学教職員が,ただ既得権を守ることに汲々としているだけのように感じられるであろう。
- しかし,危機を誰よりも強く認識している教職員が改革案に反対するとすれば,その理由は(1)改革案が適切でない,(2)改革案がもたらす結果が一部の教職員に極端に不公平な負担を強いる,(3)改革案を提示した人々を信頼できず,教職員の負担のみが増大し,改革の成果が確信できないのいずれか。
- 教育の目標に関しては2つの系譜があり,1つは神学部や法学部など,教育の目標が聖職者や役人等の育成というはっきりした達成基準が設定できる学部と,貴族の子弟の教育のように、見聞を広めるための教養教育であり,もともとどこまで何が出来れば教育として成功かという基準のない学問を中心とする学部。
- 後者のタイプの教育に携わってきた者にとっては,シラバスを設定し,講義の達成目標を設定し,講義時間を2時間15週で2単位と決め,124単位履修すれば学位が与えられるというシステムそのものに違和感がある。
- もともと彼らは教養というものが講義で与えられるようなものとは信じていない。講義は単なる刺激にすぎず、そのような講義で関心を持ったテーマについて自分で研究してゆくしかないと思っていれば,講義は体系性など必要でなく,どれだけの知識を与えたかではなく,どれだけ学生の関心を引き出したかで評価される。
- ディシプリンは,学問の世界でその分野で必ず身につけなければならない基礎知識や基礎技術を意味する。その意味で,専門家を育てる教育において,ディシプリンの習得は必須条件である。
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