2009/07/06

乾淑子(2009)「共感のためのリテラシーとしての教養」『世界思想』36号

大学の教養課程とか、旧制高校における教養主義という言説には、大学や旧制高校という場で学ぶ階層の問題が潜んでいる。その人々の父祖の世代における教養には漢籍があった。日本の社会における教育を受けた階層で通奏低音となっている知識が教養であり、それは当然、時代によって少しずつ変化していく。
幕末から明治にかけて西洋の文明に追いつき追い越すことを国是とした我が日本の中流階級の教養には、欧米に関するものが多かったのは当たり前である。
中流階級と高等教育がイコールで結ばれていた時代は既に過ぎている。私たちの日常で必要とされる知識の範囲は、日々多様化しており、その一部はアジア、アフリカ、中南米との関係である。