2020/09/10

戸田山和久(2020)『教養の書』筑摩書房


  • 古典:独りよがりにならない程度の大きさの集団に対して、国境を超えて、長期に渡って通用する作品ならなんでも古典。当然知ってるよね、こっちも知ってることを前提に進めますよ。
  • 文化が階級と結びついているからと言って、文化なしとか1種類の文化にすると、結果が悲惨になる。文化は多少の悪徳の匂いを伴う。文化は階層と結びつき、上からの軽蔑と下からの反発が動因になって文化は豊かになる。
  • 楽しみと結びついた知識の働きは検索で代替できない。
  • 教養には自分をより大きな価値の尺度に照らして相対化できることが含まれる。自分の持つ価値観や常識を、さらに高次の価値に照らして批判的に吟味することが含まれる。必要なら自分を変えていく心のゆとりを含む(闊達)。
  • 公共圏、私有圏、親密圏は簡単に調和しないし、対立する。教養はこれらの折り合いをつけるスキルが含まれる。3つの世界にまたがってしたたかに生きる=それぞれの圏にふさわしい行動を切り替えて生きていく、一貫するのは窮屈な生き方。
  • 教養の定義:社会の担い手であることを自覚し、公共圏における議論を通じて、未来へ向けて社会を改善し存続させようとする存在であるために必要な素養・能力(市民的器量)であり、己に規矩を課すことによってそうした素養・能力を持つ人格へと自己形成するための過程も意味する。
    • 素養・能力:(1)大きな座標系に位置づけられ、互いに関連づけられた豊かな知識、かつ、既存の知識を絶対視しない健全な懐疑。(2)より大きな価値基準に照らして自己を相対化し、必要があれば自分の意見を変えることを厭わない闊達さ、公共圏と私生活圏のバランスを取る柔軟性。(3)答えの見つからない状態に対する耐性、見通しの聞かない中でも少しでも良い方向に社会を変化させることができると信じ、その方向に向かって(1)と(2)を用いて努力し続けるしたたかな楽天性とコミットメント。
  • Cognitive miser:真理の認識にはコストがかかるので、認知コストを節約して情報処理を効率化する方が合理的(進化的に合理的なので合理的思考が苦手)。
  • 第1種疑似科学=テレパシー、血液型人間学、超心理学(トンデモ系がやる)、第2種疑似科学=科学の誤用=マイナスイオン、健康ビジネス(ペテン師がやる)、第3種疑似科学=複雑なシステムを対象=因果を突き止めるのは容易でないのに一方的に決めつける(科学者自身がやる)。
  • ドイツの教授資格試験に合格した学者は、私講師でスタートし、大学行政の仕事がない代わりに固定給はもらえず、学生からの聴講料で生活する。だから学生の集まる最先端人気授業をしなければならない代わりに、好きなことを自由に教えられる。これはイノベーションを生み出すのに都合がいい。学問の自由のオリジナルな姿は、国にも大学にも、何を教えるか、何を学ぶかに口出しさせない。