2012/12/18

潮木守一(2008)『フンボルト理念の終焉?―現代大学の新次元』東信堂


  • 大学の自由は,教師は教室の中で何を言おうが自由,学生は講義に出るのも出ないのも自由という意味で使う。ベルリン大学では,いつ何を学ぶかのカリキュラムが全くなかった。これがフンボルト型大学での学生の自由。
  • 大学は国家から独立した組織で,そうした組織には構成員を自分たちで裁く権限があった(大学裁判所)。学生は男を上げる名誉として,大学は裁きを甘くし,市民は歯がゆく見ていた。
  • 裁きが甘くなるのは,学生が持つ自由居住権のため。しかし,ベルリンは大学がなくてもやっていけいるとフィヒテ学長は宣言した。
  • 当時は多くの大学は,誘惑の多い大都会を避けて地方の静かな田舎に作るのが一般的だった(オックスフォード,ケンブリッジ)。
  • フンボルトは,学生を学ぶ学生でなく,研究する学生と考えた点が新しい。
  • 大学で教えるべきことは,知識をいかに作り出すか,いかに発見するかという方法であり技法である。
  • フンボルト型大学が相手にしていたのは,選ばれた少数の学生だけ。ゼミナールの学生になるには,厳しい選抜試験をクリアする必要があった。
  • ゼミナールとは,図書室・資料室とセットになった教室のことである。学生を研究させながら教育するために設計された特別の空間である。学生が研究を発表し,疑問点が出ればすぐ文献にあたり,その場その場で知識を確定していく。つまり,研究と教育の統合の具体的な姿。
  • ゼミナール生になると奨学金が出たため,一部の学生には厳しい選抜に挑むインセンティブがあった。
  • フンボルトの時代にも,時間割の生活から大人扱いされる大学生になって,万事を手探りで進む不安定な隙間に陥る困難があった。
  • 学生がレジャーランドであった背景には,学生を大人として扱う以外に,書籍の普及があり,講義に対する本質的な疑問が生じたことによる。
  • 20世紀を支配したフォーディズムは,労働者の賃金が機械の前に立っている時間で決まるものだが,単位制にも影響を及ぼし,何を学んだかではなく,何年在籍したか,何時間教育を受けたかで単位や卒業資格が与えられるようになった。現行の単位制度は,工場労働者の労働時間を基準に組み立てられた。
  • フンボルト型大学での教育の自由は,学生を教育するためのものではなく,自分の学説を紹介する場であった。
  • フンボルトが克服しようとしたのは,縁故採用による親族大学であり,教授の選考権を政府に引き上げようとしたことである。
  • そのために研究業績で教員を採用するようになる。これは,血縁で選ばれる教師を淘汰する一方,業績原理の導入は私講師に厳しい生活を強いる。今の非常勤と同じ構造。
  • フンボルトは教授会から選考権をはがそうとした。当の教授会も,閉鎖的な人事を自覚していた。重要なのは,教授会という制度の可否ではなく,その制度を支えている人間の思想である。大学と学問の閉鎖性を回避するには,大学と学問を取り巻く環境との緊張関係が欠かせなく,これを欠くと大学はマンネリとステレオタイプに支配される。