羽田貴史(2009)「アメリカの大学理事会について」『私大経営システムの分析』私学高等教育研究所シリーズ(研究報告),34,59-70
- BoT:ボード=会議体で,議論する時に真ん中に板を置いてテーブルを囲んで議論をし,そのボードの上でボート(vote)する。
- BoTは一種の大学管理における革命(Encyclopedia of Higher Education)
- ボローニャ大学が学生支配の大学,パリ大学は教員支配,それに続く第3の管理運営の革命。
- もともと人間は原罪を持っている。単一の組織において個人主義的な形態だけではいいことができないので,複数のチェックシステムを置いてやっていく。
- → 監視者というのが理事会の大きな機能として現在まで続いている。
- アメリカで大学を作る:トラスティースが大学運営を実施する上で責任を持つ。
- 独占的な権力は,公共財への脅威になる。
- → 教育長官・知事・大学管理者・教員の支配:単一の組織があるものを運営することは公共的利益を侵害する → そこに対してチェックの仕組みが必要である。
- ヨーロッパ大陸では共有という概念がなく,所有する概念は個人のものでしかない。
- 日本の場合は,江戸時代の入会地が共同所有で誰が持っているかわからないが村全体を持っている観念があった。
- ヨーロッパでは,あるものを共有するのではなく,信託という形で一緒にやる(法律上の原理の違いもあり,信託が非常に発達した)。
- では,日本の理事会や理事は,誰に対して責任を負うのか?
- アメリカ・ヨーロッパの場合,世間から信託されているという範囲で自分は行動しないといけない倫理規範が内面にセットされている。
- 19 世紀後半から進化論を教えることが必要になる → 教えることをめぐって理事会が教員を首にするという事態がたびたび起こる → テニュア制度が確立 = 理事会の教員人事に対する権限が制約される。
- 大学の規模が大きくなると,レイマン・コンロトールではできないので,学長の権限や大学の官僚の力が大きくなる = 理事会は最終責任を持つが,実際の権限は制約される。
- 1940 年頃から30 年程かけて,ファカルティの参加が拡大し, 今度は学長の権限が変化する。
- 70 年以降,ファカルティの参加が 後退して,再び学長の権限が拡大する。
- 90 年代以降,理事会の行動主義(ボード・アクティビズム)で,いい学長を選んであとはお任せでなく,理事会自身がもっと経営に責任を持つ動きができてくる。
- → アメリカの理事会は流動的。
- シェアドガバナンス:分担管理 = 教学と経営の分離,
- 理事会の責任:信託を実行すること + 社会と大学の緩衝装置になる
- 不当な圧力には学問の自由を守る・社会の要求を持ち込んで象牙の塔にしない(バッファ&ブリッジ)。
- イギリス:大学の上級教授たちによる支配で,自分たちのやりたいことを再生産するだけで,大学の外に成長してきた学問というのを取り込むことが十分にできなかった。