- かつて就職はborn again,家族・学校の共同体から企業共同体に生まれ直すことを意味したため,以前の共同体から持ち込まれるものは迷惑だった。
- かつては企業も企業文化も変わらないことが前提だったため,学生に適応を求めたが,現在は存続のために変わるかもしれず適応力をを求める。
- このことは就職活動の中身の変化を意味する。適応世代の年長者を相手に,年長世代の自明性を破る提案をしつつ,相対的に人間関係を台無しにしないで済ませる能力が重要になる。
- 学生は仕事を通じて自己実現したいと考えるが,仕事で自己実現するという考え方自体に問題がある。
- かつて,仕事での自己実現が難しくなった際,消費での自己実現へシフトした。しかし,意匠に駆られて買い換える社会は,市場の限界を超えられても,資源・環境の限界は超えられない(成長の限界)。こうして,家族や地域という帰還場所がなくなってから,再び仕事での自己実現を求め始めた。
- 昔は生活のために働くうちに仕事=人生になったが,今はまじめにこつこつ働いても報われない可能性もある。そうであれば,仕事で不本意でも承認から見放されずに自己価値を保てる関係性や本拠地を持つ方がよい。
- かつて,会社員が死ねば同僚が大挙して葬式を出した。地域でも葬式を仕切った。今は家族だけで,中には家族がなく葬式もしない人が多い。
- 近代化は地域をホームベース(感情的安全を得る所)になることを困難にしたので,企業をホームペースにした。今は企業もホームベースになりにくく,自分の力で作らないといけない。その意味でも仕事での自己実現は危険。
- 共同体の空洞化の解決には,就業時間の短縮が必要。少子化の要因は非婚化と晩婚化だが,その背景は恋愛市場におけるアンマッチングと信頼できる恋愛関係の樹立スキル低下,育児コスト上昇。
- かつてはサークルが就職ルートだった。バブル後,採用枠が小さくなり,学生は別の採用ルートを探し,企業は優秀な学生をピンポイントで探して早く採用したいと考えるようになった。
- 情報過多で,学生は適職幻想に陥る。選択肢は多いほどよいは勘違い。実際にどんな仕事かも知らずに職業を志望するのは問題。多くの学生は,周囲・世の中の承認がある仕事を希望しがち。メディアの情報は消費者向けに加工された誘引情報で,真に受けるのは問題。
- 趣味の時間や家族の時間を楽しむためと思うなら,大企業への就職は合理的。仕事での自己実現を目指すなら,全体性が見える中小企業が合理的。そもそも大企業を狙うから就活がつらくなる。婚活がつらいのと同じ構造。両者とも貧しいマスイメージのみで考えている。
- これから生き残るのは社会的に正しいことができる企業。
- 内定を取る学生は実績のある学生。未来への希望ではなく,過去の実績が評価される。結局,大学生活を誰よりも充実して過ごすことが一番の近道。そのためには,すごい奴に出会って感染されろ。
- 後から取り返せることに時間を使ってしまった子は,その機会費用の分,遊びで得られる経験をせずにしょぼい奴にになりやすい。
- 何事もいいとこ取りやつまみ食いはできない。全体最適を考えない部分最適化は低いアウトプットにしかつながらない。相手の暗黙の要求がわからない学生が多い。グループワークには,その場にいる人々を観察し,期待による呼びかけと応答のやりとりの能力が必要。こうした訓練をしてこなかった学生に就職は難しい。
- ゆえに,学校教育でグループワークを重視するひつようがある。サークル活動でもよいが,そうした機能を持つサークルは減りつつある。
- 自殺したいといって屋上に立つ人を止めるロールプレイング。通常,どうして,そんな理由で自殺する必要がない,というが一番だめ。おまえが死んだら悲しいといって,相手がこの人を悲しませたくないという感情を動かせばOK。もう一つは,おなかすいてないか,何か食べてからにしよう,と思いもしない発言で硬直した文脈をずらす。コンテクストでなくテクストに反応すると本義を忘れた応酬ゲームになる。テクストから身を外してコンテクストに集中するのは意外と簡単。
- 就活マニュアルをいかにも就職できなさそうな人が読んでいるのは,まさしく癒やし宗教。
本書の主張に沿えば,本書の内容の鵜呑みも危険だが,学生には読んでもらいたい,1年生くらいの早い時期に。しかし,学生が気楽に読めるような文章ではなく,そこそこ学力と根気のいる本。