本書は、大学の法人化等で注目されている大学評価に関する著者の主張を述べたものである。本書の基本的な主張は、次のようなものである。高等教育の大衆化は、大学の多様性をもたらすと同時に自律性の喪失をもたらした。その中で、大学がその機能、果たす役割、資源確保の手段を自ら把握する手段は、自己研究・自己評価である。しかし、現在の自己評価は改善や改革に結びつかない形式的な作業に多大なエネルギーが裂かれている。
著者の危惧は、客観的・普遍的・目に見える指標で測定することになじまない学問分野があることらしいが、ではそれをどう評価するかは述べていない。結論に照らせば、自己評価で行うのだから、なじまない分野で具体的な自己評価の方法を示せばよいのだが。著者の主張は、上の一点と思われるが、なぜそう主張するかを示して書かれておらず、著者の知識の羅列の後に唐突に結論が示される構成で、研究書というよりエッセイという視点で見るとおもしろい本だろう。さまざまな経緯・事実も豊富なので、評価論の基礎を学ぶ本としてもよい。しかし、一論者の観念論と言う批判をされても仕方ない面もあるだろう。
その他、いくつかのポイント。
- 大学への役割・期待は高まっているが、政府が高等教育・研究に投資すべき資源は何らかの形で重点配分を行う必要性に迫られている。そのために世間を納得させる合理的・客観的な評価の基準・方法が開発されなければならない。
- 現代の評価は自己の内省や吟味ではなく、他者の納得・説得を要求されている。
- 大学評価で評価するものは大学の質。旧来の質は卓越性、現代の質は目的への適合性(fitness for purpose)(を証明したもの)。
- アメリカ社会では評価するものは必ず相手からも評価されるテェックアンドバアランスが貫かれている。
- 大学と言う名の機関は多数存在しているが、近代大学は理念としては死んだ、大学とは何かの答えは得られない。