アメリカのアクレディテーションでは、機関別と分野別の2つが行われる。機関別評価のポイントは、(1)全ての大学がミッションを掲げ、達成可能な目標を定めているということ、(2)個々の大学のミッションが独自性・特殊性に富んだものであることの2つ。
評価ではリエゾンオフィサーが任命され、3年で自己点検から認証評価までを行う。3~4人の専任スタッフにデータ収集を行わせ、多くの人に協力を求め、自制心が強く、他人とうまく対応できる人でなければ務まらず、学内の意志を統一し、一つの方向へ向かわせる重大な使命を委ねられているといえる。
リエゾンオフィサーは、(1)高等教育に関する知識を高め、(2)評価機関の示す基準に精通し、(3)第三者評価に対する学内の理解を深め、(4)関連性のあるデータ・情報を蓄積し、タイムスケジュールを作成することが求められる。
評価で重要なことは、改善に必要な弱点は、大学が把握し、具体的な改善策を示していることが重要。100点のレポートではおかしい。
2008/06/28
2008/06/20
藤田整(2007)『大学卒業制度の崩壊』文芸社
本書は、筆者が提案する大学卒業制度の廃止を、様々な傍証を引用しながら説明したものである。
筆者が指摘する、卒業認定の厳格性に関する指摘は、多くの大学人が同意するところであると思われるが、それが直ちに卒業制度廃止論へ向かうとは短絡的すぎる。
筆者には大学教育の目標という概念がなく、卒業制度廃止後の大学の組織としての目的をどこに置くのかを考えないため、現状への不満を述べているにすぎない。
筆者の指摘する問題は、大学教育のみならず、職業キャリアのスタートとなる新卒採用慣行にあるのに、大学内だけで解決しようとするために、方向違いの提言になってしまうのだろう。
筆者が指摘する、卒業認定の厳格性に関する指摘は、多くの大学人が同意するところであると思われるが、それが直ちに卒業制度廃止論へ向かうとは短絡的すぎる。
筆者には大学教育の目標という概念がなく、卒業制度廃止後の大学の組織としての目的をどこに置くのかを考えないため、現状への不満を述べているにすぎない。
筆者の指摘する問題は、大学教育のみならず、職業キャリアのスタートとなる新卒採用慣行にあるのに、大学内だけで解決しようとするために、方向違いの提言になってしまうのだろう。
2008/06/15
ロバート・アンホルト(2008)『理系のための口頭発表術』講談社
本書は、口頭発表に関する実践的なノウハウをまとめたもので、理系のみならず全ての人に有益なものである。
- 口頭発表術は単なるノウハウやコツではなく、努力して習得する専門技能である
- 聴衆の傾向、要望、興味を知り、何を求められているかを知る(これが、意外とむずかしいのだが)
- 最初にこれから何を話すか話し、その話をし、最後に今何を話したかを話す
- 導入ではズームインで重要な原理との関係を示し、事実の羅列ではなく文脈を作って物語を語る
- 強固で憂鬱の決定的な結論(お土産メッセージ)を示す
- スライドは、入念に作成し、単純を心掛ける
- ゆっくり話すことで問題の90%は解決する、緊張しているときこそゆっくり話す
- 緊張するときは、冒頭だけ読み上げ原稿を作る
2008/06/12
金子元久(2007)『大学の教育力』ちくま新書
本書で言う大学の教育力とは、大学教育が学生に与えるインパクトを指す。単に大学側の教育の働きかけのみで決まるものではなく、学生側の知的・意志的準備や期待も重要な要因。
大学教育への満足度と大学教育のインパクトは必ずしも一致しない。学生を、高同調、限定同調、受容、疎外の4類型に分けると、高同調はもともと満足度が高く、インパクトも高い。限定同調は満足度が高いがインパクトは小さい。受容型は大学への期待が高いほど現状への不満が大きくなる。
ドイツの大学のにおける講座は、正教授のポストを意味する。教授1,助教授2,助手2,学生・院生といった、制度的に標準化された単位組織としての講座は日本独特のものである。先端的な専門分野を急速に導入し、後継者を養成する上では大きな役割を果たした。
日本の大学は、学生の学習に対する制御機構が弱い。学習の事由を前提としながら、ドイツのような外部の卒業試験がなく、大学教育の修了を証明する手段がないと言える。むしろ、実際に学生の学習行動を強力に制御することが困難であることが問題である。日本の大学教育の内容はきわめて専門的である一方で、実際の職業上に要求される知識・技能とは乖離し、教育内容は就職の実質的な条件となっていない。
経済の国際的な競争の中では、広い知識と視野に立った、的確な判断力を持った人材が求められる。こうした高度のホワイトカラーを労働経済学者ライシュはシンボリックアナリストと定義し、(1)具体的な現象からその背後にあるものを見抜く抽象化の力、(2)それに基づいて広い視野から判断を行うための体系的志向、(3)常に新しい試みを果敢に実験する志向、(4)文化や価値観を持つ人々を含めて共同作業を行う能力が必要である。
企業は、学生の基礎学力を基準に採用し、各職場を定期的に経験することで技能を形成させる。こうした職業能力形成のあり方は、終身雇用制度に支えられ、職場全体としての効率性の向上に大きな役割を果たした。同時に、日本企業は大卒者に求める技能を具体的に表現できないことを示している。
これは、技術が直線的に発展する際に有効で、今やこのシステムは崩壊しつつある。大学入試による選抜機能の力が弱まり、一部の選抜性の高い大学を除いて大学入学が基礎学力を保証するものでなくなっている。
シラバスは、講義の予定を示すだけでなく、学習の到達目標を明確に学生に示すことに意味がある。また、到達目標は、学術分野での専門的な知識のみでなく、何らかの基礎的な能力の形成について設定すべきである。
高等教育の資源配分を、より選択的・集中的にする案があり、社会の一定の支持を受けている。これは、社会人自らが、大学教育から有効な影響を受けたという実感がなく、それを基本的に大学の怠慢ととらえていることを反映している。
高等教育の質の低さは、低コスト構造がもたらしたものであり、そのコスト構造をそのままにして競争的な資源配分をしても、質向上につながるかは疑問。市場的競争は、一定の質の製品をより低価格で生産するには効果的であるが、質が評価しにくい高等教育に当てはまるかは疑問。
大学教育への満足度と大学教育のインパクトは必ずしも一致しない。学生を、高同調、限定同調、受容、疎外の4類型に分けると、高同調はもともと満足度が高く、インパクトも高い。限定同調は満足度が高いがインパクトは小さい。受容型は大学への期待が高いほど現状への不満が大きくなる。
ドイツの大学のにおける講座は、正教授のポストを意味する。教授1,助教授2,助手2,学生・院生といった、制度的に標準化された単位組織としての講座は日本独特のものである。先端的な専門分野を急速に導入し、後継者を養成する上では大きな役割を果たした。
日本の大学は、学生の学習に対する制御機構が弱い。学習の事由を前提としながら、ドイツのような外部の卒業試験がなく、大学教育の修了を証明する手段がないと言える。むしろ、実際に学生の学習行動を強力に制御することが困難であることが問題である。日本の大学教育の内容はきわめて専門的である一方で、実際の職業上に要求される知識・技能とは乖離し、教育内容は就職の実質的な条件となっていない。
経済の国際的な競争の中では、広い知識と視野に立った、的確な判断力を持った人材が求められる。こうした高度のホワイトカラーを労働経済学者ライシュはシンボリックアナリストと定義し、(1)具体的な現象からその背後にあるものを見抜く抽象化の力、(2)それに基づいて広い視野から判断を行うための体系的志向、(3)常に新しい試みを果敢に実験する志向、(4)文化や価値観を持つ人々を含めて共同作業を行う能力が必要である。
企業は、学生の基礎学力を基準に採用し、各職場を定期的に経験することで技能を形成させる。こうした職業能力形成のあり方は、終身雇用制度に支えられ、職場全体としての効率性の向上に大きな役割を果たした。同時に、日本企業は大卒者に求める技能を具体的に表現できないことを示している。
これは、技術が直線的に発展する際に有効で、今やこのシステムは崩壊しつつある。大学入試による選抜機能の力が弱まり、一部の選抜性の高い大学を除いて大学入学が基礎学力を保証するものでなくなっている。
シラバスは、講義の予定を示すだけでなく、学習の到達目標を明確に学生に示すことに意味がある。また、到達目標は、学術分野での専門的な知識のみでなく、何らかの基礎的な能力の形成について設定すべきである。
高等教育の資源配分を、より選択的・集中的にする案があり、社会の一定の支持を受けている。これは、社会人自らが、大学教育から有効な影響を受けたという実感がなく、それを基本的に大学の怠慢ととらえていることを反映している。
高等教育の質の低さは、低コスト構造がもたらしたものであり、そのコスト構造をそのままにして競争的な資源配分をしても、質向上につながるかは疑問。市場的競争は、一定の質の製品をより低価格で生産するには効果的であるが、質が評価しにくい高等教育に当てはまるかは疑問。
2008/06/10
石渡嶺司(2007)『最高学府はバカだらけ』光文社新書
本書は、今日の大学事情を広く一般向けに紹介したものといえる。刺激的なタイトルを付けているが、内容は表面的で、特別新しいことが示されているわけではない。
学生のバカさと大学のお粗末さを指摘する一方で、大学の面倒見の良さも一面的に紹介している。既出の資料を再構成した書籍であり、著者による独自の貢献はあまりないように見える。著者は大学ジャーナリストとのことであるが、大学の構成員の話を聞いたものではなく、基本的に二次資料で取材した情報で書いているので、このくらいの内容になるのだろう。
以下、メモ書き。
大学の勉強について行けないなら、専門学校への進学や高卒での就職をすべきとはいかない。高卒・専門卒よりも大卒の給料は高い。親なら給与条件のよいところへ就職させたい。高校も進学実績として、専門学校より大学の方がアピールしやすい。学生も専門学校で必死に勉強するより大学で4年間いろいろやりたい。
私大推薦入試の上限は、1995年、大学3割、短大5割→2000年、大学5割、短大制限なし
国大協は、1996年、3割→2006年、5割
大学数増加要因は、(1)短大昇格、(2)自治体の見栄、(3)学校経営者の見栄。この新設大学は、ユニークな学部などで差別化を図る。
2008/06/05
水月昭道(2007)『高学歴ワーキングプア』光文社新書
本書は、任期付きの職にある博士が、日本の大学院拡充政策の功罪を論じるエッセイである。
本書の基本的な違和感は、博士は有能で尊敬されるべき存在なのに、現状や待遇は異なっている、という前提をおくとも読み取れる記述の仕方である。すなわち、博士イコールあらゆる面で優れたスキルを有する人材という前提である。著者自身が述べているように、今日の博士は能力証明書であり、これだけ増えたのだから教員職にこだわらなくてもよいと考えられるが、そうした指摘をしながらも博士取得者を別の種類の人間のように主張する点が、読み手に違和感を抱かせる。
しかし、やはり博士は卒業証書にすぎない。研究ができることの証明は研究業績で、教育面での有能性を示すには教育業績で、そのたコミュニケーションなどのスキルは相応の実績で示せばよい。
確かに、文部科学省の政策に誤りがあったのは間違いない。しかし、それをこのような形で本にしては、著者の評判を逆に落とすことになるのではないか。
その他、興味深い点ならびに検討を要する点は以下の通り。
本書の基本的な違和感は、博士は有能で尊敬されるべき存在なのに、現状や待遇は異なっている、という前提をおくとも読み取れる記述の仕方である。すなわち、博士イコールあらゆる面で優れたスキルを有する人材という前提である。著者自身が述べているように、今日の博士は能力証明書であり、これだけ増えたのだから教員職にこだわらなくてもよいと考えられるが、そうした指摘をしながらも博士取得者を別の種類の人間のように主張する点が、読み手に違和感を抱かせる。
しかし、やはり博士は卒業証書にすぎない。研究ができることの証明は研究業績で、教育面での有能性を示すには教育業績で、そのたコミュニケーションなどのスキルは相応の実績で示せばよい。
確かに、文部科学省の政策に誤りがあったのは間違いない。しかし、それをこのような形で本にしては、著者の評判を逆に落とすことになるのではないか。
その他、興味深い点ならびに検討を要する点は以下の通り。
- うちは教員の博士取得率があまり高くない。三流私大出身の私が学位を取ってしまったことに不快感があったのかも。
- 大学院に誘った教員は最初から学生たちの未来を見通していた可能性があるのではないか。大学は、学校法人の中心である理事会によって意志決定がされ、経営戦略の中で何が優先されるのかによって、動きが生じる。
- 専任に就いた者の勤務日を週3日と記す。
- 専門をある程度極めた人間を、それと全く関係ない仕事につけることは、社会全体の不利益。博士の養成には多額の税金が投入されているため。
- 増えた博士を活かす方法として、高度なサービスの仲介者としての手数料収入を得る仕事。
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