- 大学の企業的行動:資源依存理論(Pfeffer & Salancik 1978)に基づいて,大学の財源的変化,外部資金の流入に影響されて大学の組織変化が生じていると説明(金を出した人間が笛を吹く)。
- 大学・ファカルティの行動・組織に与えている主要なインパクトは,高等教育に対する政府財源の縮小である。
- 80年代の大学の企業化行動:
- グローバルな政治経済競争,知識経済社会への移行
- 大学の特許取得促進,連邦・州政府による研究成果の企業化補助金などが推進され,資金供給量の増大が企業的行動の呼び水となった。→ 高等教育における資金の供給拡大が擬似市場の成立を促した。
- 政府の高等教育財政政策の変化,大学における財政の変化
- 政府財源減少による代替財源確保行動。
- 政府財源の戦略的配分:教育,研究などの領域で具体的な成果を挙げ,資源獲得競争に参入させる
- 福祉国家政策の転換とNPMの導入
- 高等教育における大衆化・商品化の進展
- 大衆化・グローバル化=リベラル教育よりは職業教育の必要・期待を増加させる。→ 学生ニーズが実学に傾斜,大学が商品としての教育プログラムの開発と提供に力を注ぎ,財源確保の手段とする。
- 情報革命
- 社会全体の商業主義,金銭価値化と大学の目的喪失
- 大学における教育研究の肥大
- → 大学像の構造的な変化をもたらしている。
- 企業的大学経営の2つの帰結
- 自由裁量財源の消失,システムの動揺,研究大学での差異化・公立大学の私学化が進み,研究資金が商業的科学に集中する。連邦資金は産学連携に集中,オーバーヘッドは減少,コアとなるフルタイム教員は縮小し,ファカルティ間の格差のために学者共同体としての大学の概念は拡散する。
- グローバリゼーションが安定し,政府財政の健全化が回復し,公立研究大学への財源投入が改善され,機関間の差異化は進行するが,高度な研究公立大学は維持,大学内部の差異化は進むが小さくとどまる。
- 外部資金の増加は教育にマイナスで,研究とサービスにはプラスな影響を与える。
- 企業的大学経営に関する研究が指摘する事実は,市場に対応するために,同僚制を基盤とした大学の運営には企業的執行体制が浸透し,官僚制と大学内の集権制が高まるが,同時に「大学への分権化」と「大学内の分権化」が促進されるということである。
- 市場的自由主義改革は本質的に自治を減少させず,むしろ企業的な意味で自由と自律を強化し,同僚的意味でそれを消滅させる(Merginson 1997)。
- 学内運営機構の集権化についても,アメリカで推進されている企業的な大学経営は,単なる集権化,トップダウン的な意思決定ではなく,教育研究の基礎組織への権限委譲,分権化とセットになった構造的なものであることを理解する必要がある。
2017/07/28
羽田貴史(2004)「企業的大学経営と集権的分権化」『大学論集』34,21-40
2017/07/27
広島大学高等教育研究開発センター(2017)『大学運営におけるリーダーシップ』高等教育研究叢書 138
(菊澤)
- 市場取引はただではない。このような取引上の無駄のことを「取引コスト」といい,会計上には現れてこない,人間関係上の見えないコストである。
- 取引コストが存在すると,社会的にみてより良い方向へと変化することによって得られる個別利益よりも,変化するために発生する人間関係上のコストの方が大きい場合,たとえ現状が非効率で不正であっても,現状を維持する方が合理的となる(合理的不正や合理的非効率が発生する)。
- 不条理を解決するには,取引コストを節約する制度を事前に形成しておく必要がある。
- 大改革が必要なときには,外の人をを選任する。
- 危機的状況は従業員に知らせる。
- ダイナミック・ケイパビリティ:「変化対応自己変革能力」= 新しいものをゼロから形成する能力ではなく,既存の能力,既存の資源,資産,知識,技術を再構成・再結合し,さらに高い価値を生み出そうする能力(取引コストより大きい価値を生む能力)。3つに分けられる。
- Sensing:環境の変化,機会,そして脅威を感知する能力
- Seizing:機会をとらえて補足して資源を再構成する捕捉能力
- Transforming:持続的な競争優位を獲得するために組織全体を変容する能力
- ドラッカーの「顧客の創造」というのは,多くの人たちが誤解しているが,実は「経営者は自由人たれ」あるいは「経営者は自律的であるべきだ」ということの言い換え。
- 損得計算の予想がマイナスであったとしても正しいもの好きなものは実行し,損得計算の予想がプラスでも不正なものは実行しないということ。
- 限定合理性があるにもかかわらず,なぜ大学の中ではそれを自覚せず,完全合理性があるかのような主張が日常的に行われるか。
- 研究者は自分たちの専門領域での研究を行い,その成果を公表しながら行動様式を形成するが,その行動様式は,それぞれの分野の専門性に依拠した完全合理性を前提とする。そこで成功した思考様式がそのまま,大学運営や組織改革に応用される傾向が強い。これは,認識と行為における負の転移効果であり,自分の属する組織や経験に基づく知見ですべてを解釈し,それにそぐわない事実や見解を排除する行動様式である。
- 完全合理性をめざすための情報収集・分析,意思決定の煩雑さとコストを回避するために,政府の発する政策・方針に沿った意思決定を行う行動様式があるため。
- 取引コスト理論は,単独で理解するのではなく,企業組織が多様な関係者の利益実現であることと一体に扱う必要がある。
- クラークのトライアングル・モデル:
- 業務の特質に応じた機関内部の権限体系と,それを積分した国レベルの権限体系の説明からなり,機関内部の重層的な組織編成と文化がもたらすメカニズムの違いはよく説明されている。
- しかし,国レベルのガバナンスの説明としては,政府・大学官僚などのようなアクターが行う意思決定と,多様なアクター間での交換・取引を通じて行われる決定とは意味が違う。
- これら3つが等化されるのは,アメリカ政治学の機能主義的性格が基盤にあるから。
- 高等教育における市場は疑うべき命題。
- 日本の高等教育研究では「疑似市場」といった一般論で片付けられている。
- 多数の研究が,高等教育においては,シェアド・ガバナンスを含む分権型が適合的と示唆するのにもかかわらず,近年の大学ガバナンスの政策的具体化は,学長への集権に特化している。
- その理由は,官僚モデル組織論とコーポレート・ガバナンスの奇妙な混合理論が形成されている側面と,新古典派経済学とそれを基盤にする新自由主義の視点においては,組織内部の葛藤・調整は視野に入らず,高等教育機関が市場における供給者としてしか把握されない側面が関係している。
- ダイナミックケイパビリティは,変革を推進する行動原理を,利益ないし利潤のような損得計算ではなく,価値問題として扱うことと重視し,実践理性に基づくことを提言している点に注目すべき。公共的性格を持つ大学であればこそ,この視点は重要。
- 組織研究は,政治学,経済学,社会学,心理学にまたがる。
- 新制度経済学が,企業組織を研究するアプローチとしては,プロパティ・ライツ理論,取引コスト論,プリンシパル・エージェント理論がある。
- 取引コスト論をベースに組織論を構成すると,組織内に分業化された職務の構成要素が独立し,相互依存性が少なければコストは減少し,高度な分権化が1つの解になる(部局への分権化と単科大学化)。
- 高等教育の世界では,組織が相互に依存し,連携するほど統合的な機能が高まり,範囲の経済が高まる(集権化と総合大学化)。相互に背反するこの命題についての最適解は,どのように案出されるのか。
(藤村)
- 国立大学の法人化 = 積年の取引コスト(同僚制支配)を精算するために,財産の所有と経営を分離しつつ,経営権を学長に委譲することで代理人問題を解消することができるようになった。
- 文科省と国立大学の関係は,直接的な統治から金銭を媒介にした間接統治に移行し,間接統治のツールとして大学間と部局間に競争を組織化することで,政策的意図を組織の末端まで貫徹させることに成功した(法人化前にはできなかったヒエラルキーの構築が,「契約関係」に持ち込むことで可能になった)。
- したがって,司令塔としての学長の使命は,損得勘定ならぬ数値目標(世界大学ランキング)とスタンダードを設定し,いかに実働部隊である大学構成員のエフォートを引き出すかである。
- 独立行政法人の枠に入れた国立大学法人法は,急ごしらえで規律密度が薄く,行政の裁量が入り込みやすい法である。そのことを食い止めるために,法人化にあたって衆参議院で国立大学の自主的・自律的運営の確保を配慮した国会附帯決議がなされたはずだが,すっかり忘れられている。
- 結果として,かつては全学ワーキング・グループで議論していた重要事項は執行部マターになり,管理職であるはずの教授が全学的意思決定に参加する機会は失われた。同僚制支配=分権化がもたらす「水平的なジレンマ」は解消されたが,執行部と部局構成員の間に面従腹背と疑心暗鬼という「垂直的なジレンマ」が生み出された。
- 調整トライアングルの内,政府と市場の力が強まる新たなステージに入った。そこで課題となるのは,権限の大きさ云々よりも,アメリカと異なり,上級管理職マーケットを持たないわが国の学長や副学長・理事の経営能力や職能成長である。
- 大学ガバナンス改革は世界的潮流
- 政策:機関の裁量の拡大とそれに伴う財源の多様化,評価制度や質保証の仕組みの整備等。
- 学内:企業的経営手法の導入,執行部の権限拡大や利害関係者の大学運営への参加。
- 大学の組織構成や権限配分の在り方(ガバナンスの公式的側面)と業績の関連性についての研究が取り組まれたが,両者の間の直接的な関係は見出し難いということで結論は一致している。
- 大学においては依然として学術的な背景が重視され,企業と同様のリーダーシップが求められる訳ではない(大学組織は他の組織と異なる性格を有し,求められるリーダーシップは同一ではない)。
- 法人化後の国立大学では,教学と経営の長が学長であるといった教学・経営一体型のガバナンス構造が採用された(諸外国においてリーダーシップの普遍性が強調されていることと相反し,制度的にも世界に類例を見ない管理運営システムとなっている)。
- この特異性は,国立大学法人制度導入が大学改革の一環として行われたのではなく,国の行政改革の枠組みの中で独立行政法人制度を基礎として制度設計が行われたこととに起因している。
- リーダーシップの構成要素(ロスト)
- 関係は影響力に基づく
- 先導者と追随者はこの関係にある者である
- 先導者と追随者は真の変革を追求している
- 先導者と追随者は共通の目的を設定している
- 国立大学法人制度設計が学長を最終意思決定権者として位置付ける一方で,学長のリーダーシップについて論じたことは,権限の問題と影響力の問題を混同したものと解される。
- クレイマーの信頼研究:高等教育研究においても,大学が機能するためには構成員間の信頼が不可欠であるとする研究は多い。
- 日本のガバナンス改革政策は,先行研究に依拠すれば効果が期待できないばかりか,大学の業績低下に繋がる恐れが否定できない。
- マネジメント手法の問題を権限体系の問題に還元し,権限と責任の体系を構築することで組織が円滑に機能すると想定する官僚制モデルに陥っている。
- 専門職組織と非専門職組織:専門職組織においては,最高の権限を握るのは専門職自身。
- よって,大学も学長など最高の意思決定者は研究者または教員でなければならない。→ 専門職組織もその規模が拡大して管理機構が必要になり,組織の論理で動くようになると様相が変わる。
- 専門職は,専門家社会と所属組織に対してダブルスタンダードで関与する。
- 非専門職を前提にした経営学の理論やマネジメントの手法が専門職に対してはそのままでは使えない(組織は専門職を限られた範囲でしかコントロールできない)。
- 研究や教育に直接関わる業務を除く狭義の学内行政は,教員が直接関わるより,職員に権限委譲(移譲でない)したほうがよい。
- 学長を中心にしたトップのリーダーシップについては,対象を職員と教員に分けて考える必要がある。
- 一般の職員に対しては,伝統的リーダーシップ理論がほぼそのまま応用できる。
- 専門職に対しては,プロフェッショナルとして意欲と能力を発揮しやすい環境を整備するとともに,成果につながるような活動を支援すること(インフラ型リーダーシップ)。
2017/07/13
真野毅(2016)「協働による行政職員の意識改革のプロセス」『京都マネジメント・レビュー』29,51-72
- 官僚制:戦後の社会インフラの構築と福祉国家の実現にその効率性を発揮。
- 90年以降:規律を遵守することを過剰に叩きこまれた結果,規則の遵守そのものが自己目的化し,その規律ができた目的を考えないが故に柔軟な対応ができない。
- 行き過ぎた分業体制は,自部門の利益しか考えないセクショナリズムを生む。
- → 事務事業評価制度の導入:導入が容易,しかし,マネジメントの Will(意思)が明確でなくても形式的には実施できる(大住)。
- 一番大きな課題は,NPM が機能するための前提条件が未整備の課題である。特に, 様々な NPM のツールを与えられた公務員がマネジメント(経営)の意識・思考方法がない(西野)。
- 新しい公共:協働によるガバナンスの向上
- 多様なアクターが対等な立場で協力して統治していくという新しいガバナンス体制が求められる。
- → 民間人との協働を通じて,行政職員の意識が変容。
- 官僚制:1つの目的達成に向けて,効率的に,長期的に安定したサービスが提供できる最も理想的な組織モデル。
- 遵守すべき規則や手順に基づき,命令の一元化が貫徹されたヒエラルキー構造の中の役割や地位に応じて,分与された仕事を執行する組織が最も効率的。
- 命令の連鎖, 分業体制,公式化,業績重視,非人格的手続き → 組織目標の効率的達成。
- ⇔ 逆機能:訓練された無能力,規律の自己目的化, 自己利害の擁護,規範の神聖化,人間関係の非人格化。
- 官僚制組織改革の限界:法規範やルールなどの「制度的要因」にあるのでは なく,職員自身の「行動的要因」に起因するところが大である(田中 1994)。
- 組織理念や構造の変革はスムーズでも,機能の変革は困難。
- 「新制度が導入されても,それが実施される仕方は結局,それを運用する側 の新制度に対する理解の仕方や意識と,それを運用する能力に依存している」ので,職員の意識改革なしに,真の組織改革はありえない。
- セクショナリズムが醸成されるプロセス(菊池 2004):
- 組織文化や部門文化は,職員それぞれが自分と他者の役割というものをまず定義し,その役割間の関係性から形成される規範のようなものであり,日常業務,会議,上司との確認作業などにおける双方向の学習によって,維持や新たなものの積み上げが行われている。
- 組織文化が,他者や他部門,またはこれらの役割というものを強く意識したうえで行動を起こすという,行政職員の行動パターンが裏付けになっている。
- 1 つ 1 つの案件について行われている確認作業が,大きな役割を担っている。
- → 既存のルーティンを使い続けると,既存のルーティンの修正に留まり,新しいルーティンの開発を排除する傾向になる(March 1991)。
- コンティンジェンシー理論の時代へ:
- 環境の安定性に応じて組織構造に変革することで好業績が残せる。
- 比較的安定した市場環境の下では, 責任や権限階層が明確な官僚制型の機械的組織が有効。
- 不 安定で変化に富む市場環境の下では,規則が少なく自由なコミュニケーションを重視する有機的組織が有効。
- コンティンジェンシー理論には,どのようにすれば環境との適合が可能になるのかという分析視点がない。
- Argyris (1972):コンティンジェンシー理論は,組織の中にいる個人の行動,小集団の行動,集団間の行動という重要な構成要素がどのように組織全体に影響を及ぼしているという視点がない。
- 行為の理論:人間のすべての意識的な行動は,認識を基礎においており,その認識に従い,行為を実践し,同時にその行為から学んだものをその行為に反映していく。
- → 組織も同様に行為の理論を持つ。
- 組織の行為の理論:それを構成する諸個人に共有された『組織の地図』 と『組織のイメージ』として,記憶される。これらは,個人が自分自身の回りで起こっていることを理解するのに役立つ。しかし,この知識は不完全なものである。個人はそれをより完全なものに近づけようとしている。それが組織学習のプロセスである(加護野 1988)。
- 加護野の組織認識論の前提:
- 人間は情報の能動的な探索者であり, 人間が外界を理解するための枠組(=スキーマ)によって情報の探索は影響される。
- 個人の中に蓄積されたスキーマは変化に抵抗するという頑強性をもっている。
- 記憶された既存のスキーマに合致した学習よりも,新しく受け取った情報と記憶された情報との「新しい結合」には,スキーマそのものの改革を伴う学習が必要となる。
- 日常の理論:組織構成員に共有されるスキーマの集合体
- 組織のパラダイム:3つが齟齬に関連しあって構成される
- 基本メタファーによって表現される世界観(狭義のパラダイム)
- スキーマの集合としての日常の理論(構成員がさまざまな状況でいかに行動すべきかを具体的に示す価値・規範としてのパラダイム)
- 見本例(日常の理論の妥当性の維持・体現・伝承を行う)
- 組織パラダイムの頑強性
- パラダ イムに合致する情報は獲得できるが,合致しない情報は獲得することが困難。
- パラダイムと合致しない情報を入手したとしても,パラダイムの信奉者に,現在のパラダイムが通用しなくなっていることを説得することが難しい。
- パラダイムは,それ自体が問題解決能力を有しているので,新しいパラダイムによる問題解決より,過去の成功のパターンによる問題解決に向かわせる(すでに確立されたパラダイ ムを創造的に破壊することは難しい)。
- パラダイムの改革:慣性力の克服が必要
- 変化の土壌づくり:問題,矛盾,緊張,危機などの不安定状 態の創造と増幅というトップの「ゆさぶり」が危機感を創出し,組織改革の心理的エネルギーの重要な供給源をつくる
- 突出集団の発掘と育成と見本例の提示(この段階が重要)
- 社内の雑音からの隔離
- 集団内に十分な異質性を取り込むこと
- 集団の規模を,少なくとも初期の段階では小さくしておく
- きわめて挑戦的な目標と明確な納期の設定
- 予算,庶務手続きなどの組織的障害の排除
- パラダイムの伝搬と定着化(突出集団が生み出した新しい発想を伝搬・増幅・体系化)
2017/07/06
羽田貴史(2009)「アメリカの大学理事会について」『私大経営システムの分析』私学高等教育研究所シリーズ(研究報告),34,59-70
- BoT:ボード=会議体で,議論する時に真ん中に板を置いてテーブルを囲んで議論をし,そのボードの上でボート(vote)する。
- トラスティース=被信託者の集まり
- BoTは一種の大学管理における革命(Encyclopedia of Higher Education)
- ボローニャ大学が学生支配の大学,パリ大学は教員支配,それに続く第3の管理運営の革命。
- もともと人間は原罪を持っている。単一の組織において個人主義的な形態だけではいいことができないので,複数のチェックシステムを置いてやっていく。
- → 監視者というのが理事会の大きな機能として現在まで続いている。
- アメリカで大学を作る:トラスティースが大学運営を実施する上で責任を持つ。
- 独占的な権力は,公共財への脅威になる。
- → 教育長官・知事・大学管理者・教員の支配:単一の組織があるものを運営することは公共的利益を侵害する → そこに対してチェックの仕組みが必要である。
- ヨーロッパ大陸では共有という概念がなく,所有する概念は個人のものでしかない。
- 日本の場合は,江戸時代の入会地が共同所有で誰が持っているかわからないが村全体を持っている観念があった。
- ヨーロッパでは,あるものを共有するのではなく,信託という形で一緒にやる(法律上の原理の違いもあり,信託が非常に発達した)。
- では,日本の理事会や理事は,誰に対して責任を負うのか?
- アメリカ・ヨーロッパの場合,世間から信託されているという範囲で自分は行動しないといけない倫理規範が内面にセットされている。
- 19 世紀後半から進化論を教えることが必要になる → 教えることをめぐって理事会が教員を首にするという事態がたびたび起こる → テニュア制度が確立 = 理事会の教員人事に対する権限が制約される。
- 大学の規模が大きくなると,レイマン・コンロトールではできないので,学長の権限や大学の官僚の力が大きくなる = 理事会は最終責任を持つが,実際の権限は制約される。
- 1940 年頃から30 年程かけて,ファカルティの参加が拡大し, 今度は学長の権限が変化する。
- 70 年以降,ファカルティの参加が 後退して,再び学長の権限が拡大する。
- 90 年代以降,理事会の行動主義(ボード・アクティビズム)で,いい学長を選んであとはお任せでなく,理事会自身がもっと経営に責任を持つ動きができてくる。
- → アメリカの理事会は流動的。
- シェアドガバナンス:分担管理 = 教学と経営の分離,
- シェア=共有ではない(権限の共有はありえない)。
- 理事会の責任:信託を実行すること + 社会と大学の緩衝装置になる
- 不当な圧力には学問の自由を守る・社会の要求を持ち込んで象牙の塔にしない(バッファ&ブリッジ)。
- イギリス:大学の上級教授たちによる支配で,自分たちのやりたいことを再生産するだけで,大学の外に成長してきた学問というのを取り込むことが十分にできなかった。
2017/07/04
竹中克久(2003)『組織の理論的研究』神戸大学大学院文化学研究科学位論文
- 組織とは、当事者がまさに組織と認識ないし解釈する対象でしかない。組織の成員がどこから組織を感じ、どこから組織を忘れるかという当事者による線引き以外に、組織を限定する手立てはない。= 組織はある空間(建築物)や時間(タイムカード)に限定される客体的事実ではない。
- 社会科学では、全ての現象は発明されたものであるが、発明が発見と同意にとらえられるようになり、その前提が揺るぎないものに変容することがある。組織論では目的や合理性などの概念である。
- 近代官僚制がトップからボトムへの指揮命令系統を持つのに対して、家元では業務に関連する権限は階のマネジメントに順次段階的に委嘱されるという、上下に結ばれたクリップ上の連結的階層である。これはビューロクラシーの代替案を示すコンティンジェンシー理論に位置づけるべき。
- 機能主義の絶対的優位性はすでに1970年を境に崩れかけていた。
- 解釈主義がメインストリームにならなかったのは、組織論に期待されていたのは組織とは何かという問いに答えることではなく、いかに組織をマネジメントするかという問いに答えることであったため。組織とは何かを根底的に理解する解釈主義の立場が必要とされなかった。
- 本稿はコミュニケーションを中心に組織を考察し、シンボルやメディアに沿って議論を展開する。
- 組織論は伝統的に、ビューロクラシーとアソシエーションという2つの概念で組織を分析してきた。
- システムという概念は常にシステム以外のもの(=環境)との差異を形成することで成立している。環境に比べてシステムは常に安定的・統一的・複雑性が低い。組織をシステムとしてみると常に一面的になる(=安定的で複雑性の低い土所的な側面の分析になる)。
- ネットワークという概念は、システムと異なり無秩序な側面を喪服見込んだ概念である。
- ワイクは組織という名詞を避けて、組織化という動名詞で語ろうとした:組織について語る時、多くの名詞を使いたくなる。しかし、そうした名詞は記述すべき状況にあらぬ静態的なイメージを与えてしまう。組織を理解しようとするなら、名詞を根絶すべきだと言いたい。組織の研究者が名詞の仕様を控え、惜しみなく動詞や動名詞を使うようになれば、仮定に対してもっと注意が払われ、それをどう理解しどう管理したらよいか、いっそう明らかにされるであろう。
- 狩俣の既存組織論分類
- 伝統的組織論:テイラー、ファヨール、ウェーバー
- 人間関係論:レスリスバーガー
- 行動科学的組織論:マクレガー、アージリス、ハースバーグ
- 意思決定論的組織論:バーナード、サイモン、マーチ、サイアート
- システム論的組織論:カッツ・カーン、カスト・ローゼンワイグ
- コンティンジェンシー理論:ローレンス・ローシュ、ウッドワード、フィードラー
- 情報処理論:ガルブレイス、タッシュマン・ナドラー
- 意味論的組織論:組織文化論、組織シンボリズム、ゴミ箱モデル、ルースカップリング
- ユニットとしてのコミュニケーション:コミュニケーションの当事者同士は直接接触せず、接触するのはメディアと情報という2つの対象物。
- 新参者が来ると、新たな当事者とのコミュニケーションを可能にするには、より普遍的なコード優位のコミュニケーションに頼らざるをえなくなる。そこで、貨幣や権力などのシンボリックメディアが登場する。
- 科学的管理法(テイラー)や人間関係論(メイヨー)(=バーナード以前の組織論)は、組織の満足と個人の満足は一致すると想定していた。バーナードは両者は一致するとは考えず、協働システムとしての目的の達成(有効性)とその協働システムに貢献する個人の意欲の満足(能率)が調整される時に組織は存続すると考えた。両者を調整するものがコミュニケーションであり、コミュニケーションを通じた組織化である。
- このとらえ方は、目的がまずあり、次に組織が形成され、その達成に向けてコミュニケーションを通じた組織化が行われると考える。
- 一方、ワイクは多様な個人目的を前提とする組織論を考える。多様な個人目的は共通手段を喚起し、その結果、共通目的が発生するという発想を立てて議論を開始する。ここには、個人が社会構造を創造するという重大な点が残っている。(だからワイクは動名詞を使った。)
- 組織という言葉は名詞で神話である。組織なるものを探しても見つからない。見つかるのはせいぜいコンクリートの陰の内側で生ずる互いに結びついた事象であり、これらの事象の連鎖やバイパス・タイミングのフォームであえる。しかし、組織について語る時、そのフォームが誤って実体とされてしまうのだ。
- ワイクの組織化は、意識的な相互連結行動によって多義性を縮減するのに妥当と皆が思う文法と定義される。
- ワイクによれば、組織目的は何かを行った後にしかわからない。組織は目的合理的には作動せず、組織の合理性は見た目よりも低い。
- 機能主義者は研究対象を切り取ることで理論の定式化を重視し、解釈主義者は研究対象を絶えず進行中の過程として分析することを重視する。
- エツィオーニの組織類型:権力=強制的→関与の種類=疎外的、報酬的→打算的、規範的→道徳的
- バーナード:協働システムの基礎として役立ちうる客観的目的は、それが組織の決められた目的であると貢献者によって信じ込まれている目的である。共通の目的が本当に存在しているという信念を植え付けることが基本的な管理職能である。
- 組織はXという目標を持っているという点では一致するが、X自体は一致していない。他者がXと答えそうなものをXと答える。その結果個人目的xとは異なる組織目的Xが生まれる。
- なぜ、個人目的xではなく組織目的Xを希求するかといえば、コミュニケーションの多義性縮減という目的が個人目的xに含まれており、人々は組織目的Xを獲得しなければならないという志向性を有しているため。
- 組織文化は、組織構成員によって内面化され共有化された価値・規範・信念のセット(加護野 1988)。
- シャインは組織文化とリーダーシップはコインの両面の関係であり、どちらか一方を取り出して分析することは不可能と考える。組織文化の道具性、操作可能性、操作に携わる者の地位の特権性を強調する。しかし、組織文化に関与する者の特権性を認めるのは適切ではない。
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