2017/04/12

今井康雄(2015)「教育にとってエビデンスとは何か」『教育学研究』82(2),2-15


  • エビデンスが受け入れられない背景
    • 養成時の教育に縛られる専門職の態度
    • 受け入れに値するエビデンスを算出していない研究(→ 何をいかに研究するかの決定を研究者コミュニティに委ねず,実践者や政策立案者が関与すべき。研究の自由度は失われるが,研究の発展には得るものの方が大きい(ハーグリーヴズ))。
  • エビデンスが鉄壁となるには,ランダム化比較試験とメタアナリシスが必要。
    • ランダム化は,当の薬以外の要因を相殺・無効化するため。
  • 学級規模問題:小クラス=成績向上,しかし,「学級規模の縮小が児童・生徒の学力向上につながる明確な因果メカニズム」が明らかにされていない。
    • 要するに,RCTは途中経過をブラックボックス化する。
  • PISAのエビデンス化=それがエビデンスであることによってではなく,それがエビデンスと呼ばれることによって威力を発揮している(=正味の証拠能力のみを当てにする限りは無力)。
    • → 一旦政策側にエビデンスとして受容されれば,たとえ専門的なエビデンスの基準を満たさなくとも政策を方向付ける威力を発揮する。
    • PISAはRCTではないが,途中経過を無視することで教育の出力を数値化し,歴史的・文化的文脈を異にする教育制度の間での一元的な国際比較(ランキング化)を可能にした。
  • エビデンス擁護派:正味の証拠能力に即してエビデンスを論じる
    • 唯一意味のある研究上の問いは教育手段・教育手法の効果についての問い。
  • エビデンス批判派:エビデンスの政治的・レトリック的効果について論じる
    • 何が「効果的」であるかは,何が教育的に望ましいかについての判断に異存する。
  • → 両者の議論はかみ合わない。
  • 治療エビデンスは治療に関する個々人の専門知に情報を提供することはできるが,それにとって代わることは決してできない。外的なエビデンスが個々の患者にそもそも適合するか否かを決定するのはこの専門知(expertise)なのである。
  • EBM=権威(教科書や大家)に目を向けることの見直し → 標準ガイドラインや説明責任に横滑り。
    • なぜか?:応答責任が根づくべき生活世界から切り離されたところでエビデンスが産出される = RCT のような実験的な状況でこそエビデンスは産出されるという想定(近代科学の思想)。
  • 生活世界こそが明証性の基盤(フッサール)→ エビデンス(=実験の結果や大規模調査の数値)は,それ自体として明証性を保証するものではない。
    • EBEにおいて構想されているエビデンスは,こうした生活世界的検証の通路を欠いているがゆえに,応答責任を支えることが構造的にできない状態に留め置かれている。
  • エビデンス指向の教育学が応答責任を支えられないのは,学習の経験という途中経過をブラックボックス化し,もっぱら学習の帰結からエビデンスを採取しようとしているため。
  • エビデンスは,近代科学的なエビデンス(証拠・論拠)の方向と,生活世界的なエビデンス(明証性)の方向へと引き裂かれており,前者は教育の説明責任を,後者は教育の応答責任を支える。
    • 学習の経験は,その帰結によって測ることはできず,過程を意味づける個別的な応答責任によってしか把握できない。⇔ 生活世界的な明証性に支えられているという思い込みから,独断論に陥る危険を持つ。
    • 教育・教育実践はエビデンスで確実な支えを見いだせない = 教育実践に自由空間を与えている。
    • 教師が判断の自由を持つことは,倫理的な要請というよりも教育の構造的条件である。