中澤渉(2014)『なぜ日本の公教育費は少ないのか』勁草書房
- コールマンの教育機会の平等の4つの要素
- 労働市場に出るのに適切な教育を誰でも無償で受けられる
- 社会的背景によらず誰でも同じカリキュラムで授業を受けられる
- 異なる背景を持つ者が同じ場所で同時に学ぶ
- 公教育が税金で運営される以上,ある所与の地域では同じ教育が受けられる
- 近年の教育改革は個の要求を満たすために市場主義的改革を行うが,学校が公費で運営されなければならないという疑問には3と4が関連する。
- 階級・人種・性による能力差はカテゴリーの差(遺伝的能力差)ではなく,環境の差が原因。ここに教育の介入する余地がある。
- ペーパーテストの手続き的公平性が,入試結果を実力や努力の反映と考えやすくさせる。
- アメリカ人が政府に頼ろうとしないのは独立運動に求められる。→ 大学が寄付金で支えられる。
- 学校の官僚制の特徴(カッツ)
- 統制と監督の集中化(教育委員会など)
- 機能の分化(部局制,専門教科分化,学年制など)
- 職務に対する資格の要求(客観的資格による任用と昇進)
- 客観性・専門性(素人を排除し,改革や決定は専門的行政官を通じて行われる)
- 正確さと一貫性(統計データに基づく行政的決定)
- 用心深さ(組織内人材の勤務態度や学校運営への評価を行い,評価結果を一部の上位職のみに限定することで権限強化と個人情報保護がはかられる)
- 教育制度が機能主義的な目的を持って設置されたわけではない。近代国家が備えるべき制度として学校制度を作ったに過ぎない(=制度的同型化)。
- 公教育負担が少ない=家庭の高負担?⇔教育費が高すぎる?
- 公教育費上昇にかかわらず私費負担も拡大(末冨 2010)。
- 教育費負担を自由-平等と厚生-効率の2軸で整理すると,日本の公教育費支出は効率-平等 → 機会均等としての義務教育と選択の自由としての高等教育。
- ポスト産業社会への移行の4段階(テイラー・グッビィ)
- 女性の社会進出,男性労働力参加減少 → 女性の教育・労働市場機会均等
- 社会的ケアを要する高齢者増 → 国の福祉サービスコスト増
- 労働市場と教育の関係強化,低学歴者の社会的排除リスク増
- 国家財政引き締め,民間年金拡大
- 日本は新自由主義の影響を受けた小さな政府という指摘は,政府の支出構造からは言えず,保守主義レジームの大陸欧州に近い。人々の政府に対する感情は,アメリカと異なっている。
- 納税者はメリットを感じる支出を正当と考える=教育は現役か子供のいる人,社会保障は全ての人が正当と考える。
- 日本人は政府への信頼感が少ない(顔見知りは信頼するが,知らない人への信頼感はアメリカ人より低い。ただし,学歴が高いほど高い。)。→ 双方向教育の充実が必要(?)
- 政府債務の規模は,政府規模ではなく税収調達能力に依存する。日本は財政的に見れば相当小さい政府だが,それでも無駄の削減や公務員削減が掲げられる。← 低コストで政府が権力を発揮するには規制をつくること。日本は規制が強い。
- 日本人は公と官を混同している。公立学校=お上が設置した学校,≠ 税金負担による共同運営学校。
- 公はみんなが利用するから少しずつ負担して共同管理しよう。
- 官から民へ:共同管理を飛び越して公の管理を個人・企業に任せるという発想。
- 国立大学授業料は,私立からの圧力で値上げされた。
- 国立大の学部別授業料が検討されたのは1988年。
- 内閣の交代が不明確は場合,安定した統治のために強固に組織化された官僚制が形成される → 組織志向型官僚制では,官庁組織が民意と離れた組織を強固に構築する。
- 税の問題が負担でしか話されず,その使用で得られる利得の話がされない。
- 日本人の間では,教育は公的な意味を持つものと認識されていない。一方で,教育の公的なベネフィットを感じる場面も少ない。