- 組織の側はエンプロイアビリティの高い人に見合ったエンプロイメンタビリティを持っているかどうか、検証の必要がある。企業の中には、一皮むけた経験がリッチな会社とそうでない会社がある。
- 初職のイニシエーションでは、職場集団のメンバーに自分も仲間の一員として認めてもらうこと、職場の課題に仕事面できちんと貢献できることを認めてもらうことの2つができて一人前と認められる。
- アメリカではスタッフ数が少なく、トップが自分で情報を集め、考え、実行する。反面、現場の人たちの会社に対する忠誠心は少なく、マネジメントは難しい。
- 人の話をよく聞くことが基本だが、よって立つスタンスがぐらつかないことも大事。相手の話を聞くほど吸い込まれてしまい、自分を見失う。基盤・スタンスを変えず、譲れない一線を守ることが大事。
- どの職種にも、課題の発見・提起(What)→課題を分析してやり方を考える(Why)→実行する(Do)→結果を検証する(Check)という仕事のサイクルがある。Do, Checkはスキルペースで、スペシャリストやジェネラリストはこれに属するが、プロフェッショナル・リーダーは、コンピテンシーが重要で、What構築能力がその中核。
- トップは経済環境や時代変化に転嫁するが、常にわくわくするプロジェクトが出てくるようにするのがトップの責任ではないだろうか。若い世代に絶えず良質なプロジェクトがボコボコ生まれる土俵を作り、戦略を立てているかと問いたい。
- 各部門にいると、その部門なりの世界があって、そこの価値観やそこから見える景色で物事を見ている。
- 戦略的自律性は、研究者がどのような研究領域を選び、何をテーマとするかを自分で描ける自律性。戦術的自律性は、研究者として道具箱の中から自由にツールを選ぶ自律性、どんなテーマでも紀要にこなす自信があるから、テーマは上から決められてもいいが、テーマへのアプローチは任せてほしい人。任せ方の問題は、一方を他方に任せるミスマッチで説明できる。
- 他人の一皮むけた経験を読んでも、一皮むけることはない。
- 節目であることの気づきには4つあり、このままでは具合が悪いと思ったとき、メンターが今が節目と伝えてくれるとき、ゆとりや楽しさが感じられるとき、カレンダーや年齢的な目印。
- 大半のキャリアは、計画された偶然(planned happenstance)の上に成り立っている。
- 節目では局面から逃げない。それは、使命感、誇り、あきらめ、開き直り、覚悟など。
2010/09/27
金井壽宏(2002)『仕事で「一皮むける」』光文社新書
2010/09/24
土橋力也(2009)「正当性の獲得プロセス」『経済科学』57巻2号 35-48.
- 正当性の獲得プロセスの基点となるのは、制度的企業家の誕生。
- 制度的企業家は新たな事業を社会全体に広めるために、既存の正当性を利用、外部機会を活用。
- 正当性は、行為の実践を繰り返すことで獲得され、これが最も重要な要素。
2010/09/12
職員力を高める自治体職員研修
自治体行政は、装置産業でもなければ加工組立産業でもない。職員の活動は、法令にのっとって知恵を巡らせる知的労働である。装置・機械が価値のあ る物を産み出すのではなく、人が考えて活動することが価値ある行政サービスを生み出す。
自治体職員の能力発揮の総計を高めることで、自治体行政の機能を高めることができる。
こうしたアプローチは、資金や労働といった投入資源の最小化による経営効率化とは全く立場が異なる。職員力という経営資源そのものを最大化しようとする未来志向の取組である。
http://www.sri.or.jp/sri_database/backnumber_kiji/documents/101/101report3_3.pdf
自治体職員の能力発揮の総計を高めることで、自治体行政の機能を高めることができる。
こうしたアプローチは、資金や労働といった投入資源の最小化による経営効率化とは全く立場が異なる。職員力という経営資源そのものを最大化しようとする未来志向の取組である。
http://www.sri.or.jp/sri_database/backnumber_kiji/documents/101/101report3_3.pdf
2010/09/07
水田健輔(2010)「知の拠点をささえる人たち(職員編)2」文部科学教育通信 2010.8.9
- 英国の大学職員は、当初から専門職として就職することはまれであり、終業後に職業人として経験を積む。公務員的伝統に裏付けされたジェネラリスト志向で、異動や多種の職務経験により育てられる。
- 日本でも、最初から専門性を定めたキャリア形成に否定的で、幅広く学内の業務を周知した上で管理職や専門職にする志向が強い(東大調査)。
2010/09/06
高濱正伸(2010)「全教科の成績が良くなる 国語の力を親が伸ばす」カンゼン
- 国語の決め手は家庭文化にある。
- 子どもの感じる心を伸ばすには、お母さんが感じたことを言葉で表現する
- 小学校低学年で本を読まない子には、音読から入るのが1つの方法。一斉にみんなで音読するのをいやがる低学年の子はいない。それくらい音や声に反応する時代だから。子どもが楽しくて体が喜ぶことが音読。
2010/09/04
諏訪哲二(2009)「間違いだらけの教育論」光文社新書
- 教育には根源的な暴力性があり、ヘレンとサリヴァン先生の教える・学ぶコンテクストは、ヘレンが屈服させられた時に成立した。教育的なコンテクストの初発は支配・服従である。
- 途上国には学校へ行きたくても行けない子供がいるが、日本では学校へ行けるのに行きたがらない子供が増えているのは、日本の子供がヘレン的な状態に幽閉されているため。すなわち、外部との関係の付け方、自己認識のありようがヘレンと同室の構造を持っている。外部に屈服していないから、全能感的な自己感覚の支配下にある。
- 啓蒙としての教育と文化としての教育を混同してはいけない。文化としての教育では、啓蒙としての教育を経た学習者がそこにいる。しかし、啓蒙としての教育を語らずに、文化としての教育から初めてはいけない。しかも、文化としての教育は、商取引としての教育こそ教育本来の形という意味で、師弟の権威的な上下関係はありえない(齋藤批判)。
- 人が学習者になるには、子供としての人を近代的個人としての人に校正するための教育が必要。それが、ルール・マナーなどの啓蒙教育。啓蒙教育は贈与(上下)の教育で、文化としての教育は交換(対等)である。80年代以降、日本の啓蒙教育がゆるんだ背景に、人権という観点から現実の教育を切り取ろうとしたため。啓蒙よりも人権を優先させたため、リベラルは近代と対立した。
- 教育基本法の教育の目的では、最初に人格の完成が謳われ、後段に近代的個人(国民)の育成がある。
- 教育論議では、先生は偉いが必須で、教師のためにではなく、生徒のために必要。生徒側に自分は正しいという信念は学習の阻害になり得る。啓蒙としての教育を担うのが先生であり、心理としての教育に現れるのは師である。これを混同してはいけない(内田批判)。
- 教師は自己の体験を基にしつつ教師になるが、自己を絶対化してモデル化することは避けなければならない。自己の体験を越えた複雑で複合的なイメージをいくつも内面化していなければならない(義家批判)。
- 教育の語り方で最も注意すべきは、正しい教育理念を語る人。その前提に、人間とは何かがわかっている構造になっているため。しかしそれは可能か。
- 教師は新しい者への準備は身構えがない。昨年と同じと言えばたいていのものは通る。教師たちは上からのものは敬遠したり忌避したりするが、反対はしない。
- 教師の外形的ありようではなく、内面に踏み込む、すなわち、同じ教師間を持てという考えは、経営的と言うよりは宗教的なリーダーシップのありよう。生き方や倫理に関わることは、教師がどんどん提示してもよいが、相手の主体性に任せるべき(渡邉批判)。
- 夢学園では、対等の教育者としての立場と、部下の経営者としての立場の混同が問題。精神的な奴隷は教師になれない。
2010/09/01
吉永契一郎(2010)「アメリカの大学におけるアカデミック・リーダーシップ」有本章『21世紀型アカデミック・プロフェッション構築の国際比較研究』平成18~21年度科学研究費補助金基盤研究研究成果報告書 73-86
- 日本の大学で役職者のリーダーシップを確立するには、指揮系統が明確な組織の構築と、役職者の育成の双方が課題。
- 日本では、役員の任命では部局との関係より専門性や経験である一方、学長自身は学部長出身。研修機会の不在、キャリアパスの未整備、流動性の低さ、経験年数の少なさが課題。
- アメリカの大学の役職者は、学科長、学部長、副学長、教務部長、学長など。いずれもテニュアの研究者が就任。学部長以上では、研究活動から離れ、上位の役職を目指す場合が多い。
- 役職者の任命・評価は1つ上のポジションの役職者によって行われる。
- アメリカでは、教育担当副学長が1段高い地位にあり、研究、社会連携、学生生活を監督する。
- 学科長は教員代表と管理者の相克が問題。幕婦負の組織モデルを用いると、学部以上が官僚制・法人性で、学科は同僚性という二重構造。
- 日本のような断続的・短期間での役職経験では、専門性の蓄積や幅広い視野の獲得が難しく、思いつきや偶然入手した情報に依存しやすい。
登録:
コメント (Atom)