2015/09/03

大杉謙一「企業統治何が必要か(上)」2015/09/03 日本経済新聞

 欧米では、事実の分析に役立つ知識(教養)や問題解決の道具は標準化されて、エリートの間で共有されている。それは大学・大学院での教育を通じて伝授される。同じ知識・道具であっても、具体的な問題に適用して得られる結論は人により異なる。だからこそ学部の教養教育でも大学院の実学でも、議論が重視される。この知識・道具は実社会での経験で磨かれ、課題解決力へと高められる。根本の部分はエリート層で共有されているので、社内の経営者と社外出身の役員の間でも、経営者と機関投資家の間でも、意見交換が可能である。
 一方、わが国の人文・社会科学は欧米のように標準化されておらず、学歴や社会階層との結び付きも弱い。大学で学生が自ら知識・道具を活用することを求められる授業はまれであり、そもそも学生が知識・道具を身に付けずに卒業することに教員も企業も寛容だ。企業人の能力は実践的なものも人格・教養に関わるものも、多くは職場内訓練(OJT)を通じて獲得される。
 しかし現在、この仕組みの有効性は減じてきている。第1に、企業が多角化し、企業価値と部門利益の対立が一般化した。第2に、従業員の就業形態や価値観が多様化したため、従業員の利益・やりがいを一つの方向にまとめることが難しくなった。第3に、企業の経営者や従業員に求められる知識・技能が高度化し、知的労働が分業化した。 つまり、同じ会社に勤める人々が同じ言語を話さなくなったため、「下からのガバナンス」があまり機能しなくなった。人事権を持つ経営トップは以前より強大な力を組織内で行使できる。中間管理職の経営者に対する信頼感は低下している。社長の権力基盤が従業員にあるとすれば、その基盤が液状化しつつある。
本稿では、けん制の効いた経営を実現するため、「経営層が知識・道具を共有すること」と「取締役会が権力を分立すること」の2点を提案したい。第1点は「社内の常識は社外の非常識であるから、社外の常識を社内でも共有し活用しよう」ということだ。
ここでの「社外の常識」はいわゆる社会常識ではなく、ファイナンス(金融)、マーケティングや会計のリテラシー(知識)を指す。経理・財務の役員だけでなく、すべての社内・社外の取締役・監査役が一定の知見を有すれば、共通言語で会社の戦略や中期計画を議論できる。そのためには、社内外の取締役・監査役やその候補者に研修を受けさせることを検討すべきだ。
第2点は、社長は絶対的存在ではないと認識し、その言動に他者からの健全な懐疑心が向けられる環境を確保することである。社長を孤独な絶対者にしないために、経営のトップレベルでの相互けん制の仕組みが必要である。そして、権力分立の責任を負うのが社外取締役を含む取締役会である。社外取締役は助言にとどまらず、「監督」機能を果たさなければならない。