稲垣佳世子・波多野誼余夫(1989)『人はいかに学ぶか』中公新書
- 学校は現代社会の分業体系の一部であり,知的生産は一握りの人が行い,大多数は知識の消費者としての位置づけを与えられ,教え手を通じて知識を吸収するに過ぎない。大多数の人は伝統的な学習観を信じ,これを疑っていない。
- 現実的必要に駆られて外国語を学ぶ時は,意思の交換という目標の達成へ向けて,粘り強く活動が続けられやすい。これが,効果的に外国語を学ぶのに寄与している。卒論のためにデータを分析するなど,学校教育でも,現実的必要が自然な形で生じるようにすれば,学習が効果的に進むはずである。
- 現実的必要から学ぶ=教えてなしでも学べる,正誤の確認情報が与えられなくても学べる(フィードバックがすぐあるため)。
- 必要から学ぶ=(1)必要が学び手自身が日可決だと実感したものである,(2)必要によって創り出された目標とそれを達成する手段として学ぶことの間に本質的に切り離せない関係がある(小遣いのために漢字を覚えるは入らない)。
- 実験結果の予測討論をした群としない群:観察後にどちらも正しく答えられるが,その理由の説明は討論群の方が十分にでき,観察群は十分できない。また,観察で得た質量保存の原理を他の場面に応用する点でも,討論群が優れていた。
- 理解のためには,新しく入ってくる情報を杞憂の情報と関連づけて,そこに整合的関係を見出すことが必要で,その整合的関係の発見には多くの心的努力が要求される。情報処理に心的エネルギーを使い切っている状態では,理解の達成に力を振り向けられない。つまり,理解を伴う学習は時間がかかる。理解には心的な余裕が必要。
- 人が早く学ぶのは,言語や数の獲得にほぼ限られる。エキスパートになることは,ゆっくりと生じる過程であり,熟達の結果,豊かで構造化された知識を持つようになって初めて効率的な学習が可能になる。
- 集団討論をすると,知的興味が高まり,討論を経て事件を観察するとより深く学べることが確かめられている。人が有能な学び手であるためには他者の存在が必要で,その人は関心を共有しながら視点が異なる人がよい。
- よく定義されていない問題を解くには,知識が必要。後から言われればもっともだという制約条件を補うのが知識。
- 日常生活の中で獲得される概念的知識は,素朴概念・誤概念・誤ったもメンタルモデルになりやすい。その原因は,理解よりもうまくできることの方に価値がおかれやすく,日常生活では現在の生活を維持することが第一義的に目指されるからである。そのため,失敗などの無駄をできるだけ避けようとする傾向がある。
- 学校における討論は,日常生活の活動を超えて理顔を深める働きがある。それは,日常的な以心伝心のコミュニケーションではなく,なぜという問いの答えを見つけることが自然な形で進められるためである。