2009/09/15

リベラルアーツ教育とは

リベラルアーツ教育とは、リーダーを育てる教育。リーダーのための基礎教育。
  • あらゆる問題を総合的に判断できる
  • 狭い視点にとらわれず、幅広い視野で議論し、決断できる
  • 説得力があり、多様な人々とコミュニケーションできる
  • 人格的に優れている
  • 体力的に優れている
ハーバードカレッジ創設の経緯でもある。大学人は、なぜこういう教育が必要なのかを、語らなければならない。

http://www.wasedajuku.com/wasemaga/unipro-note/2009/06/post_451.html

2009/09/14

矛盾した考え方が共存

—記録を狙う上で大事なことは。

 大事だと思って、それを大切にしているわけではないが、結果的に野球が大好きだ、ということがそれに当てはまると思う。僕には相反する考え方が共存している。打撃に関して、これという最後の形はない。これでよしという形は絶対にない。でも今の自分の形が最高だ、という形を常につくっている。この矛盾した考え方が共存していることが、僕の大きな助けになっていると感じている。

2009/09/08

歴史を学ぶ

思考を支えるには歴史を学ぶ必要がある。 中曽根康弘は、いま日本は時間と空間の座標の中のどの位置にいるのか、これからどの方向に進むのかを常に念頭に置いていた。

http://dhbr.hontsuna.net/article/2260741.html

2009/09/05

柳川範之(2009)『独学という道もある』ちくまプリマー新書

 著者が独学に成功したのは、勉強することが実現につながる目標を持っていたためであろう。
  • 本人があきらめてしまうと、別ルートを探すことすらできなくなってしまう。
  • 社会現象をうまく整理できて、それに対して提言できる。
  • 自分に何が欠けていて、何を学んで卒業していく必要があるかを十分に認識したうえで勉強する。

2009/09/04

浦坂純子(2009)『なぜ「大学は出ておきなさい」と言われるのか』ちくまプリマー新書

 本書の正確な題目は、なぜ有名大学は出ておきなさいと言われるのか、であろう。本書で主張される大学を出ておく理由は、賃金の高い仕事に就く可能性が高くなるという点につきる。その背景は、情報の非対称性や統計的差別など標準的な考え方で説明するのみである。

 後半で大学での学び方を論じているが、教員から見た理想的な学生像を述べているにすぎない。そうした学びが成立しない大学は捨象されており、著者の論理の前提が、有名大学を出ることにあるからだろう。

 高卒と大卒を比較するのは、大卒が希少であった時代の発想だろう。今や大卒者が増え、その中でも求職市場が分断している。また、そもそも高卒者と大卒者が異なる労働市場で求職しているのだから、大卒と高卒の賃金を比較した説明では弱い。逆にそうした説明をするくらいだから、高卒で就職するかとりあえず大学へ行くかを選択している学生をターゲットにするのか思ったが、そこで選択する大学は有名国立大学を前提にする。

 冒頭の命題はある程度自明で、改めて説明する意味はない。むしろ、今日的な課題である、「なぜ名前も知られない崖っぷちの弱小大学であっても出ておきなさいと言われるのか」を論理的に説明しなければいけない。

 以下、気づいた点のメモ。
  • なりたいものからなれるものへのブレイクダウンは、社会人になるためにはあまりにも当然であり、必要不可欠な作業
  • 何を学ぶかではなく、どう学ぶかという点を重視し、そのプロセスを着実に実行できることが社会人としての底力にもなり得る

2009/09/03

追手門学院大学教育研究所(2006)『大人数授業をどう改革するか』アスカ文化出版

 本書は、大人数授業に関する調査結果の報告と、いくつかの実践事例をまとめたものである。授業の工夫はよくわかったが、授業の目標や評価の情報が少なく、どういう場面で一般化できる知見なのかがわかりにくい。結局、どう改革するかに対する答えは示せていないのではないだろうか。